ありがとう2万回で起きた奇跡【ヤドンとうどん香川の旅】
「ありがとうの詠唱2万回」で僕の身に起こった奇跡的な出来事、ウソのようなホントの話を紹介します。
◆やったこと
毎朝5分、太陽を浴びつつ「ありがとう」を声に出して詠唱(スキマ時間も口ぐせのように)。ぼそぼそ機械的でもOK。
【始めた理由】
ありがとうをただ唱えているだけでいいことが起きると聞きました。
また「がんが治った人もいる」と聞いたのが決め手でほんとかなーと疑いつつ、どうせタダだしと始めてみました。
25000回言うと涙が止まらなくなるとも言われていますが、本当なのか試してみたい気持ちもありました。
◆ありがとう3000回までに起きたこと
・誰に何のため「ありがとう」と言っているのか分からない
・それゆえ何度も「こんなこと無駄じゃね?やめようかな」と思う。とにかく違和感がすごい
・自分が利益を得たくて「ありがとう」を唱えている汚いやつのように思えたりもして、そこそこ苦しいときもある
◆ありがとう1万回までに起きたこと
【詠唱に関して】
・「ありがとう」を唱えることに抵抗がなくなる
・今まで感謝などしていなかった日常の事柄に感謝できるようになってくる
・したがって客観的な状況は特に何も変わっていないのに幸せ感が増してくる
【自分の心理面】
・おしなべて上機嫌で日々を過ごせる
・7500回くらいのとき号泣する。
「自分がただ自分として生まれたことがなんてありがたいことだったのか」と心の底から思えてしまう(記事あり)。
【健康面】
・家系的な大病か?と心配していた原因不明の痛みが消失。
(実はこれが詠唱を始めた大きな理由です。「痛みありがとう」と唱えて2ヶ月後に痛みは消えました)
・トラブルで心を病んでいた母がなぜか闇落ちから回復して前向きに。(これまでの母らしくもなく、奇跡?と思う)
・不登校で情緒不安定だった子どもの心理が安定してくる。
【体感面】
・なんにでも「ありがとう」と思えることは実は神さまの視点だったのだなと気づく。
・汎神論を体感できる。生きながら天国へ来ちゃったような至福感(記事あり)。バイオリズム絶好調。
・直感が冴えていて、疑問に思ったことは即日、答えが見つかる。向こうから答えが表れてくる。
【ご利益面】
・NOTE上でフォローさせて頂いているアトロさんからサポートを頂き嬉しい(ありがとうございます!)。
・十年以上前に書いて僕自身忘れていた小説がなんと某公立校受験の試験問題に使用されたと知らされる。
・そのことで有名出版社数社から使用料が舞い込んでくる。
※これはマジありえんと思える出来事でした(小さな出版社の短編集に一篇載せて頂いたことがあるのですが)使われた小説はまったく無名で僕自身、もちろん著名な物書きなどではありません。したがって普通ありえない展開におののき「やべぇ、神さまが本気出してきたぞ」と感じる。
◆ありがとう2万回までに起きたこと
【詠唱に関して】
・慣れでマンネリ化してきてバリエーションをつけることが多くなる「ツイてるうれしいよかったね、ありがとー」等。
(でも今は「ありがとう」を基本ベースに戻しました。詠唱の内容にお金関係を入れると、モヤモヤが生じやすくなる感覚があったので、それはやめて原点に戻ることに)
【自分の心理面】
・1万回あたりが、始める前との違いが如実にわかって心理面も絶好調だったのですが、それよりは少し控えめになって横ばいの安定期といった感じ。
・ご先祖様を大切にし始める(遺影を飾って、お供えをする、日々ありがとうを伝えるなど)
【健康面】
・大病を疑っていた痛みが消えても、がんこに残っていた足の指のあいだのかゆみ(水虫ではない多分w)が消える。
【家庭面】
うちの子はポケモンのキャラクター「ヤドン」が大好きなのですが、まだ「毎朝、理由もなくヤダヤダ泣きして不登校が続く状態」だったときその励ましになればと、香川にある「ヤドンのお宿」への旅行を思い立ち、予算的な見通しもないのに、宿の予約をその場でズバッと取ってしまう。
(たまたま見た琴平のヤドン宿はGWはいっぱいで、直近の空きが2ヶ月後の6月5日しかなかったのでエイヤと勢いで)
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これらを機に長らく不登校だった子どもが登校し始める。
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しかし朝方、目覚めと同時に毎日泣きだす生活が相変わらず続いていた。しかし、これも「この子の原因不明の泣きは俺自身の精神的な気づきのために起きている?」と思い、そのことに向き合った記事をNOTE上で書いた途端、子どもが泣かずに健やかな気持ちで起床できるようになる。
【ご利益面】
旅行にかかる金額を算出してみて青ざめる。そんなにかかるのかマジかーやべーぞ俺よく即決したな…と思っていたら思いがけない方向から臨時収入が入る。旅行にかかる金額とほぼ同額で「奇跡か!神さま、ありがとう!」と思う。
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ある深夜、僕の結婚後に亡き父と家族旅行を出来なかったことに思いを馳せ「今度の旅行はお父さんも一緒に行こう」と声に出して言ってみる。
すると隣室の台所で冷蔵庫が閉まる音がした。妻や子どもが起きていたのかと思い、覗くが誰もいない。亡き父の返事?
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子どもはたまに早帰りするものの相変わらず登校継続。学校でも楽しそうで順調。
そんなさなか、会えたらいいねーと言っていたヤドンとガラルヤドンのグリーティングイベントが、僕らがはるばる香川へ行くまさにその日(その日しか空きがなくとった宿の予約日6月5日)香川の高松で開催されると突如発表され「えぇえ、マジかよ!」と驚愕。
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しかも、そのイベントは、うちの子が大ファンであるYoutuberポケるんの皆さんとのコラボイベントだと判明し、「わー、なんじゃこりゃ!好きなもの全部乗せかよ!奇跡かよ!」と家族揃って大騒ぎする。うちの子のため用意されたイベントなの!?と思い「神さま、ありがとう。おじいちゃん、ありがとう!」と涙がこぼれてくるほど感謝する。
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しかし参加できるのは抽選で当たった100名のみだった。
落選したら旅行日が同じだけに、うちの子の落胆が大きくなるだろうことが懸念され、嬉しくも苦しい状況。
しかし今、不登校に苦しんでいた我が子は「ヤドンのお宿」予約がきっかけで立ち直りつつある。その完全復活のゴールとしてイベントに参加でき、本物のヤドンやポケるんさんたちと会えたらどんなに素敵なことだろう。是が非でも我が子をその場面に立たせてやりたい。そう思って「当選ありがとうございます!」と祈りを込めて家族揃って応募する。
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当選発表まで落ち着かない日々を過ごす。闇落ちを克服したかに見えた母が再び闇落ちし「私は旅行に行かない」と言い出す。僕は一瞬慌てるも「ははーん、神さま、そういうシナリオですか」と見抜く。すると母の調子が回復し始める。
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ありがとうの詠唱が2万回に達したその日の午後、遂に当選の知らせが届いて皆で万歳三唱で大喜びする。(これは試験に使っていただいた小説と似たような内容だったりする)
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健やかに起床、登校できているごほうびとして、うちの子にガラルヤドンのぬいぐるみをプレゼント。するとその30分後、子どもが前からやっていたスマホゲーム「ポケモンGO」にこれまで一度も出現しなかったガラルヤドンが現れ、その場でゲットでき大喜び。またも奇跡。
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旅行日は、あいにく移動中は雨や曇りだったが瀬戸大橋を渡り出すと空が晴れ渡り、島々が浮かぶ瀬戸内海がきらめく、神話のような景観が車窓に広がる奇跡。
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イベント前日、高松へ宿泊。翌早朝、目が覚めてしまった僕は思い立ってホテル前の高松港へ一人朝焼けを見に行く。そこで白鷺と遭遇。さらに夜明けと共に彩雲?が現る。
太陽を直視したゆえの見間違いかと思いつつスマホで撮る。
(彩雲はかつて生前の父と見た思い出深い自然現象)
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遂にヤドンとガラルヤドンのぬいぐるみを連れ、イベント参加。ポケるんの皆さん、ヤドン、ガラルヤドンと楽しくも奇跡のような時を過ごす。皆さんにお手紙を渡し、感謝を伝える。関係する皆さんと人生のすべてに感謝がこみあげる。
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琴平のヤドンのお宿へ移動。二人きりになると母の闇落ちが復活し、困惑。皆が温泉に行き、僕だけ部屋に残ったとき、またも声に出して言う。
「お父さん、お母さんの病みをなんとかして下さい」
温泉から戻ると宙を見てうちの子が言う。
「光の玉が見える」
不登校からの復活以来、このようなことは言っていなかった。僕の呼びかけで父が現れたのかと密かに思う。それで僕は、うちの子がヤダヤダ病から回復した過程を母に話した。「言霊っていうのはあるんだよ」とも。
すると母も「そうだね。楽しい楽しいって言ってるほうがいいのかもねぇ」と。父の助けが少しあったように感じる。
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翌日は小雨の中、妻と子は参道で買い物、僕と母は金刀比羅宮へ参拝することに。
いつの間にか残り1時間で「しくじったー」と思うが、タクシーで500段目まで行けると知り、配車。
20分後には残り250段も登りきり、無事参拝。
小雨がむしろ涼しくて絶妙にちょうどよかった。真夏日だったら断念していただろう。
あらゆることがちょうど良すぎるなと神がかりを感じる。
金刀比羅宮の神さまに感謝を伝え、下山。
待ち合わせ時間にも間に合う。
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小豆島へ移動。朝から雨だったがヤドンフェリーに乗った途端、空が晴れ渡り、最高の景色が広がる。またも奇跡。
土庄港へつくとホテルの方のお出迎え。「昨日まで土砂降りで今日も荒天かと思ったら急に晴れて驚いた」と言われる。
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しかしチェックインして部屋で休憩していたら、また曇ってしまって少し残念。でも最終日の明日もある。きっとこういうシナリオなんだなと思う。
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夕飯のとき、窓外に巨大な虹が現れて食堂の人々が驚く。
そんな中、うちの子が言い出す。
「昨日の夜、虹色に輝く17って数字を見た」
僕は聞いていなかったのだが、光の玉を見た後、宙に浮かぶ虹色の「17」を見たらしい(うちの子は光の玉はちょくちょく見ていたのだが、数字を見たのは初めてだという)。
「17ってなんだろう。”いーな”ってこと?」などと談笑。
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その晩、父の早逝の話になり、僕はふと思う。
まさか「虹色の17」って、あのことじゃ?
予感がしてスマホ撮影した高松港の朝日の写真を見る。
すると朝日を直視したがゆえの見間違いかと思っていたが、彩雲=虹色の雲は確かに写っていた。
しかも、その撮影時刻は5時17分。
彩雲は僕が地元にいた頃、父と目撃した思い出深い雲だ。
父は彩雲を気に入り、名刺にこのとき撮った写真を入れていた。その後、父はタイ出張でも二度彩雲を見たそうだ。
その後、父が亡くなって地元へ帰る列車の中で僕は二度目の彩雲を見た。
更に最近、闇落ちした母と電話で話して「こりゃやべーぞ」と思った直後の夕空にも三度目の彩雲を目撃している。
今回、高松港で彩雲を見たことはまだ話していないし、写真自体も見せていない。にもかかわらず。彩雲の撮影時刻は5時17分で、うちの子は宙に「虹色の17」を見たと言う。
「マジかよ…完全に一致しちゃったじゃん。これ、お父さんじゃん。やっぱ旅行に一緒に来てるんじゃん」
そう話したら母は「うそー。やだー」なんて笑って眠った。
僕は「翌朝、みんなで日の出を見に行こう」と提案する。
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翌朝、僕は4時過ぎに起床。子どもや奥さんも一度は起きるが、どうも眠いらしく、僕一人で日の出を見に行くことに。
せっかく綺麗なのにと、やや落胆しながら頂上からはエンジェルロードや周囲の島々や海が一望できる「約束の丘」へと続く石段を空が白み始めた中、ひとりで登る。
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夜明けの方向に雲がかかり、太陽が現れるまで時間がかかりそうだし、風が強くて肌寒い。一人で来て正解だったなと思う。
明るくなり始めた海面を見下ろしながら「ありがとうの詠唱」をする。
「そうだ。せっかくだから瞑想をしてみよう」
以前から興味があったが実践したことはなかった瞑想。
でも今なら時間も在るし、何より霊験あらたかにして、まるで古神道の世界のような景観が広がっている。瞑想するにはもってこいの環境だろう。
僕は「約束の丘」の頂上であぐらをかいて瞑想し始めた。
しばらくすると、男性の咳払いが聞こえた。
誰かが頂上へ上がってきたらしい。
目を開けてみると、一眼レフを下げた白髪交じりの男性だ。
「おはようございます」という挨拶に僕は挨拶を返す。
「ここで、この時間、人と会うのは珍しい。僕は、いつもここに定点観測みたいに写真を撮りに来てるんだけど」
と男性は話し始めた。
「失礼ですけど」とどこから来たかと職業を尋ねるので、正直に答えると「そうですか。僕の息子もあなたと同じ場所で、同じ仕事をしてますよ」と男性は言う。
そして自分は神主の家に生まれ、かつて神主にだけはなりたくなくて島を出たけど、けっきょく今の歳になって東京育ちの奥さんを連れて地元である小豆島へ戻ってきたと語った。
それから趣味はカメラとパソコンいじりだと。
パソコンは、DOS−VとかそういうWindowsパソコンを改造したりしていたらしい。
それらは生前の父の趣味とも同じで、なんとなく僕はその老齢の男性に父の姿を見るようだった。
しばらく談笑して、そろそろ日の出が近くなると、
「じゃ、良き旅を」
唐突にそう話を区切って、男性は立ち去った。
「フェイスブックやインスタはやっていますか?」と会った直後に尋ねてくれたのに、その連絡先を聞きそびれたのを心残りに思いながら、その後ろ姿を見送った。
それからお日さまが現れ、圧倒的な景色の中で、この世はすべて奇跡だなと感じ、感謝する。日の出の写真を撮る。
最終日の帰り際、空は見事に晴れ渡った。
お日さまに照らされながら皆でエンジェルロードを渡った。
本当にこの旅は奇跡ばかりが起こる。
一体どうなっているんだろう。
帰りの新幹線で母と別れ、うちの子も疲れて眠った。
妻と話した。この旅は本当にすごいこと尽くしだったねと。
そして僕は今朝「約束の丘」で出会った男性の話をした。
その日に撮った朝日の写真も、光が七色に輝いていた。
男性は言っていた。
「僕の息子もあなたと同じ場所で、同じ仕事をしてますよ」
僕は不意に思い立っていった。
「あの人、もしかして"お父さん"だったんじゃないかな」
僕はこれまでも何度か”霊”が身近な人にほんの一瞬、憑依して言葉を話す、という直感を得る体験を何度かしている。
父の葬儀後も、当時まだ幼児だった姪っ子が「満足だった」と言い出し、皆で目を丸くしたことがある。
あの男性も、なにかそういう働きかけを受け、僕が夜明けに一人で佇んでいた「約束の丘」に昇ってきたのではないか?
お父さんも一緒に行こうと言って、たびたび彩雲や虹と遭遇した今回の旅行、その最後に父が本当に再会しに来たのではないか?
もちろんそれは僕の願望かもしれない。
しかし、ただ願望だと切って捨てるには、あまりにも奇跡や奇妙な符合が多すぎたのも事実だ。
だから、きっと、あの男性の中に一瞬、父が降りてきていたんだとしても不思議じゃない。
これからもご先祖様を大切に敬って日々に感謝しながら生きていこうと話すと、この手の話はふだんは煙たがりがちな妻も今回ばかりは深くうなずいた。
こうして僕らの家族旅行は終わり、日常がまた始まった。
でも本当に直感の命じるままに旅へ出てよかった。
何から何までありがたいことばかりの旅だった。
これが僕が「ありがとうの詠唱」を始めて2万回を迎えた後に起こった出来事です。
これをお読みになって、あなたはどう思われますでしょう。
かつて僕は、この手の話は迷信だと決めてかかって、まったく耳を貸さなかったタチなのですが、今ではすっかり考え方が変わってしまいました。
しかし、いいことがあろうがなかろうが今後も「ありがとうの詠唱」を続けて心身ともに健やかに、この人生なる旅を生きていこうという思いを一層つよく持ちました。
今回の旅で出会った方々、お世話になった方々、それから世の中のすべて、今までの人生のすべてに改めて感謝を伝えたいと思います。
それら無くして今回の旅の奇跡もありえませんでした。
本当にありがとうございました!
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