アニメーションの専門学校に行って失敗した話

はじめまして、梅茶と申します。

丁度10年くらい前、アニメーションの専門学校に通っていました。

今、アニメーションだったり、その他漫画家やら何かになろうとして専門学校への門を叩こうとしている人へ、このノートを捧げます。

1.専門学校へ行こうとした理由

中学、高校とたいして成績も良くなく、大学に行くような学力もなく、かと言って就職したい訳でもなく、のらりくらりとこのぬるま湯学生生活を続けていたかった私は「せめて仕事するなら楽しい仕事がしたいな」と漠然と思っており、「ならば絵を描く仕事なら一日中好きな絵を描いて暮らせるから超楽しいじゃん!」とクッキーの缶の蓋よりも浅ーーーい思考で専門学校への扉を叩いてしまったのである。そこが地獄への門とも知らずに。

2.実際専門学校に入ってみて

正直すごく楽しかった。だって周りには同じようなオタクしか居ないし、廊下ですれ違う度に舌打ちしてくるヤンキーも居ないし、何よりも毎日アニメや漫画を”勉強の為”という大義名分の元読みふける事ができた。

入学金は80万、学費も前期・後期それぞれ70万ずつとかなり高額な上に寮に入っていた為月8万円もかかっていた。でもその時は全て奨学金や県の学資ローンなどで賄っていたため全く実感は無かった。そう、「どうせ卒業したら仕事しながらちまちま返せばいいもんね」くらいの軽い気持ちだった。今思い返すと当時の自分はマジで頭にマシュマロでも詰まってんのかなって思う。オツムが致命的に足りていなかった。出来る事ならあのころに帰って自分の頭カチ割ってちゃんと脳味噌入ってるのか確認したい。今の自分消失するけど。

入学してからしばらくすると、最初はオリエンテーションなどで他の生徒と交流しましょうという時間ばかりだったのが、本格的な絵の勉強の時間へと変わる。

私はそこで生まれて初めてパース線や人体の構造を学んだ。

そう、遅すぎたのだ。

専門学校へ入る前にこの程度の事はネットや本で調べて知識として身に着けておくべきだったのだ。

私がパース線をああでもないこうでもないと学びながらやっている中、そんなの常識でしょと言わんばかりにクラスメイトのバケモノ達はパース線も引かずにカッチリとパースを感じられる絵を仕上げていた。知識を手に入れ、きちんとそれを扱える道具として身に着けてから専門学校に入学したんだなとこの時初めて"焦り"を感じた。

(バケモノとか言ってすみませんでした。神絵師様右腕を下さい。

クラスでは早くも頭角を現している超神絵師達が難なく課題をクリアしていく中、そもそも一日8時間や10時間も絵を描く習慣の無かった私はほんの3時間くらいで集中力が切れてしまう。

うだうだやっているうちに溜まる課題、迫る締め切り、上がらない画力。

片手間に同人誌を発行する神絵師達。

私と同じような理由で入学してきた奴らはそのうち課題に手を付ける事がなくなり、廊下で遊☆王などをして遊んでいた。私と同じく入学金80万、前期70万払って廊下で☆戯王をしているのである。一体どんな心境だったんだろうな。遊戯☆をやりながら背徳感でも感じていたのだろうか。今思い返すと自分の事ではないのに何故か胸の奥あたりから嫌な冷や汗が出るような感覚がする。ゾワワッ…

先生はそんな彼らを見ても特に注意する事なく「自分の仕事は絵を教える事」と言わんばかりに意欲のある神絵師達へ熱心に絵の描き方を教えていた。当然だ。学習をサボっている人たちに注意をするような時間は1ミクロンたりとも無いのだ。

私はというと、それなりに何とか課題はこなしていたものの、キラリと光るような何かがあるわけでもなく他の作品群に埋もれていた。

1学年後期の終わりごろ、何となく、ここが限界だなと悟った。

3.就活と悟りと夏休み

2年前期には就活が始まった。当然である。2年制だもの。

という事でスーツに身を包んだ私はあちこちのアニメーション会社へ見学などに行っていたが、自分がそこで働くようなビジョンは全く湧かなかった。

神絵師達は先生がどんどん引き抜いていて、就活する前から就職先が決まっていた。

ここで専門学校の仕組みを知ってしまったのである。

専門学校の講師は現役のプロであることが大半だ。つまり現場と繋がっているので使えそうな人材が居たらどんどん欲しいのである。

専門学校は生活態度や授業を受ける態度も含め長く個人を観察出来る面接会場だったのだ。

遅刻や欠席を繰り返したり、課題を上げてこない奴、課題を上げてきても内容がお粗末な奴だけが就活をしていた。

気づけば夏休みになっていた。

もう就活をする気も起きずに現実逃避をしながら地方に旅行に出かけていた。大丈夫、なんとかなる、なんだかんだ最後はそこそこ普通の職業についていて、もしかしたらパソコンをカタカタ打っているかもしれない。なんて考えながら飛行機に乗ったりしていた。端的に言えばバカである。やっぱりマシュマロ詰まってたんですかね。キャンプファイヤーでもやってビスケットに挟んでやろうか自分。

結局ちまちま夏休みの課題はこなしていたが、とてもじゃないけど就活をして私を採用してくれる企業なんか無いだろうという結論に至り学校をやめる事を決意し、夏休みの終わりに退学手続きをした。

4.奨学金

専門学校へ行って残ったのは莫大な金額の奨学金だけでした。

一応補足しておくと専門学校は悪ではないです。絵も一応上手くはなったし。でも失敗だったんです。そもそもなりたい物があるなら中・高校生の頃に調べたり、勉強したり、試しに描いたり、美術スクール通ったりすればよかったんです。そうした基礎知識を持った状態で更なる高みを目指して専門学校へ入るのが正しい道だったようです。

なんとなく絵を描いて暮らしたいなんてマジパンよりも甘い考えの奴は私含め全員失敗した。

1学年80人くらいは居たのだが、卒業して3年くらい経った同窓会の時に絵で食ってる人は5人くらいでした。

あとの75人は営業とか、事務とか、看板屋とか、介護とか、なんとなーく働いているようだった。

一日最低10時間絵を描けて、それが苦ではなく楽しいと思えて、それに加えて通常の社会人としての能力(調べる、考える、行動する)が備わって初めて専門学校に行った時に報われる気がします。

私みたいに怠惰な理由で専門学校行こうとしてる奴らは全員やめとけ。

私はというと、約500万円の奨学金や学資ローンを背負ってコンビニのアルバイトを始めました。

そこでは何故か店長の地位まで上り詰めたけど、それはまた別の機会にでも・・・。

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