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新型コロナが流行ってる今だからこそ、行きたいところに行き、会いたい人に会っておけ

 自分はこれまで、基本的にやりたいことを先延ばしにせずやりたいうちにやり、やりたくないことはできるだけ避けたり後回しにするように生きてきた。この生き方はもうすぐ50歳で、結婚も子供も無縁で、自慢できるほどの貯蓄もない今でも、間違ってなかったと思う。

 昔「やりたいことリスト100」というのが流行った時、自分も作ってみたことがある。今でははっきり覚えてないが、やりたいと書いたことの大半は、すでにできたように思う。残ってるのはバイクで日本一周、豪華客船で世界一周、スペースシャトルの打ち上げを見る(これはもう不可能で、後悔が残る)、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩く、くらいだろうか。だからいきなり明日亡くなったとしても、たいていやりたいことはやってこられた人生だったので、そこまで悔いを残すことも無かろうと思う。

 振り返って今の社会。新型コロナウイルスが大流行し、全人類がひとり残らず、やりたいことをできないという制限がかかってる状態だ。感染を抑えられてるという台湾やニュージーランドですら、自由に出国できないという制限をかけられている。
 その理由は「感染拡大を防止するため、ワクチンや特効薬が出来るまで耐え忍ぼう」というところだろうか。だが自分から見ると、みんなあまりにそこに期待しすぎてやいないだろうかと感じてしまうのだ。

 ワクチンは100近くが作られ、臨床試験に入るらしい。だがそれのすべてが失敗に終わる可能性だってもちろんある。作れても変異の早いコロナ相手に効かない可能性もある。すでに感染した人の抗体が数ヶ月しかもたないところから、ワクチンを作れても同じく数ヶ月しかもたないものしか作れないという話もある。
 そんなあまりにも不確定なものに期待して、やりたいことを先延ばしにしてる間に、他の何かが起きたらどうするのだろうか? それでも「無理でした」とはっきり言えれば、そこで区切れるからまだいい。だが「あと1年、あと1年」と先延ばしになっていったら、どうするのか?

 自分の親は兄弟がたくさんおり、年に1回位集合してあれこれ話すのを楽しみにしている。だがこの状況なので、今年は無しにしようという話が出ているらしい。
 自分は即座に「そんな馬鹿なことをせずいつもどおり会うべきだ」と言った。
 親の兄弟なんて、誰もが平均寿命間近か、超えてる人ばかりだ。それはつまり、コロナにかかろうがかからなかろうが、来年誰かが亡くなっててもなんらおかしくないということを意味する。
 今ならほぼ確実に全員が会える。だが来年なんか、どうなるかわからない。たとえコロナにかかったとしても、今会っておくほうが良いのではないかと、自分は思うのだ。秋冬に第2波が来て感染爆発すると言うならなおさらだ。それで親の兄弟の一人二人、亡くなる可能性は大いにある。親自身も亡くなるかもしれない。

 これは自分の親や親族にだけ言えることではない。すべての人に言えることだ。今は皆「コロナが落ち着くまで我慢しよう」と言ってるが、本当に落ち着くなど、誰も保証してくれないのだ。かたや、その会いたい人、やりたいことは、おそらく今や明日、来週や来月ならほぼ確実に会えるし、できるだろう(海外旅行には行けないわけで、それが人生で一番重要な人は、今亡くなったら悔いが残るだろう。それもこれもコロナで大騒ぎし自由を制限していいという社会、世相のせいだ)。行動に移す時期が近ければ近いほど、コロナにかかるとか交通事故で死ぬ確率より、遥かに高い可能性で会えるし、出来る。

 こう考えるとなにを優先すべきかは明白ではないだろうか? 「ワクチンが出来る可能性に賭け、その日まで行動を抑制することを受け入れる、耐え忍ぶ、我慢する」よりも「明日、会いたい人に会いに行く」ほうが遥かに大事だということだ。

新型コロナウイルスの影響で県境を越えた帰省ができなかった日が続き、両親との電話では「コロナが落ち着けばね」が互いの口癖だった。3日夜、恵美子さんから「帰ってこんのねー?」と電話があり、西村さんは「明日帰るから」と返していた。冷蔵庫の中には刺し身や肉があった。「ごちそうで迎えようと思ってたみたい」。涙が止まらなかった。

 これ以上こういう悲劇を増やすべきではない。

 コロナ自粛派(ロックダウン推進派)は「命は何よりも大事だ」と言う。経済優先は間違いだ、命はなくなったら取り返しがつかないと言う。
 本人が感染するなら自己責任で済むが、身勝手な行為が原因で他人に感染し、その人が亡くなったら誰が責任を取るのかと言う人もいる。
 では、コロナ感染拡大阻止のために協力し、やりたいことも出来ないままに亡くなった人の命については、誰が責任をとってくれるのだろうか? 生まれた子供、年老いた親、コロナを広げないためといって彼らに会わず、そのまま亡くなってしまった悲劇を、誰が補償してくれるのか?

 コロナにかかっても、誰も補償なんかしてくれない。もちろん死んだって同じだ。たとえお金をいくら積まれようが、死んだ本人にはどうでもいいことだ。
 だからこそ、すべての人が、今やりたいことをやり、会いたい人に会っておくべきなのだと自分は思う。コロナが流行し先の見通しが立たない社会だからこそ、先のために今を耐えるのではなく、やりたいことを優先しておくべきなのだ。

 それでもコロナ怖い、怖いと言ってる人は、本当にこれがそこまで恐れるべき病気なのか、感染率、発症率、重症化率、致死率などについて自分で調べ、納得できる答えを各自で出すべきだ。社会が新しい生活様式と言ってるから従おう、田舎の親に帰ってくるなと言われたから帰るのは止めようではなく、ちゃんと自分の頭で考え、自分の中で納得できる結論を出して、それに従うべきだと思う。

 誰も感染対策を一切するなと言ってるわけじゃないからね。風邪でもインフルエンザでもなんであっても、流行ってるなら手洗いうがいはするべきだし。というかそんなの、何も流行って無くても毎日しよう。マスクをつけるべきだと思うならつけた上で、生活はいつもどおりにすればいい。普通に気をつけるべきことを普通にすれば、それで十分。

 以下とくに何もありませんが、投げ銭などいただけると、とてもありがたいです。よろしくお願いします。

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