『自立なんかくそくらえ! 2016国民総決起集会』宣言文

これまで「自立」とは、親元を離れ、独立した生計を営み、好きな異性といちゃいちゃし、結婚し、子どもを産み育てる一連の流れを表していた。その後子どもも独立したら、高額な年金を元に悠々自適の老後を送り、介護が必要になっても貯金から老人ホームの費用を捻出し、最後まで自立した一個人として生きることを理想としてきた。

だがもはや現実は違う。今や親元を離れて生計を別にしても、非正規労働者として酷使され、十分な賃金ももらえず、結婚など夢のまた夢である。だがそんな非正規労働、ブラック企業における労働ですら、「働かざるもの食うべからず」の美辞麗句のもとに、ニートや引きこもりより立派だ、がんばれと賞賛される。

あくまでも社会規範の大前提が自立なので、ブラック企業で苦しむ人間に対しても、ブラックから自立し自営業を立ち上げれば良いというアドバイスがなされる。決して「生活保護でのんびりしなよ」などというアドバイスはなされない。

生活保護も問題である。立法趣旨はあくまでも自立までの支援であり、自立を崇高な目的として助長していくことが謳われている。

そんなに自立とは絶対的に成し遂げなければいけないものなのだろうか?

今や「自立」という言葉は呪詛の言葉なのだ。この言葉と「働かざるもの食うべからず」がセットで用いられることで、この社会には無様な労働が溢れかえっている。
ブラックでも自立してる人は立派だよ、親や社会に依存するニートや引きこもり、生活保護受給者は人間のクズだよと「差別」することで、依存的に生きる人間をことさらに貶め、自立を強要しようとしているのがこの社会なのだ。

技術革新、産業構造の変化により必然的に格差が開いていっているにもかかわらず、自己責任のもとにその格差は容認され、放置されている。自立を持ち上げることで、格差の底辺であっても自立していることが大事なのだ、あとは自己責任で頑張れと煽り、資産再分配の重要性を脇に追いやる。
「もうこの国の財政は破綻寸前で余裕が無い」などと言う者がいるが、そんなのはごまかしである。以前より累進課税率上限が引き下がり、法人税率も下げられ、はっきりと格差が広がっているにもかかわらず、大量の食料が廃棄され問題になる。
格差は広がっているのに、物質的には史上空前の豊かさを持つ。この矛盾した状況、これこそが今の社会の現実なのだ。

かつて社会運動家にして作家、雨宮処凛は自著のタイトルに「生きさせろ!」とつけた。だがそれではもはや足りなくなってしまった。

我々は今こそ、こう叫ぶべきなのである。

「自立なんかくそくらえ! 依存させろ!」と。

社会の間断のない自立圧力に抗い、十分に豊かになった社会に依存し生きることを、正面から肯定する。自立は素晴らしいという美辞麗句のもとに底辺労働を甘受し、なんであれ働く者こそが、依存して生きているニートや引きこもりより立派なのだという洗脳が、この生きづらい社会を作っていることを認める。
そこから、真の社会改革ははじまるのだ!

立てよ国民! 座れよニート! 無理して働くこと無く、社会の豊かさに依存して生きよ!

(本文は一種のパロディです。はい。本気ですけどね。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?