少年院へ入った生徒の背景とその後
〈少年院へ入った子〉と聞くと「怖い・厄介・関わりたくない(我が子と関わらせたくない)」などと拒絶する人も多いだろう。
別にそれがひどいことだとは思わない。
素直な感情だと思う。
でもその人たちに対して、実際に〈少年院へ入った子〉と関わったことがあるかと聞けば、おそらく首を横に振る人が多いのではないだろうか。
つまり実態をよく知らないのである。
このように書くとわたしは実態をよく知っているかのように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
いままでにわたしが関わった生徒のなかで〈少年院へ入った子〉は5人である。
たった5人の個人的な経験を一般化することはできないし、たった5人では〈少年院へ入った子〉の実態を知っているとも到底言えない。
そのため今回はあくまでもひとつの例として、わたしが関わった〈少年院へ入った子〉の様子などから感じたことを書いていきたい。
まず、5人は共に男子生徒で、暴行・窃盗・詐欺・飲酒運転・無免許運転・薬物などが少年院へ入る主な理由だった。
※性的犯罪や殺人などが理由で入った生徒はいまのところいない。
それぞれ本人から詳細も聞いたが、なかにはあまりにも犯罪の種類が豊富なので覚えきれなかったこともある。
ちなみに彼らは当初教員という存在に壁を作って突っ撥ねるような態度を取ることもあるが、打ち解けていくととても素直で、懐っこく、かわいらしかった。
ほかの高校生となにも変わらない。
犯罪や少年院などというレッテルを貼らなければ、まったく同じ10代後半の高校生である。
じゃあなぜ犯罪に手を染めてしまったのか。
もちろん個々にさまざまな事情はある。
たとえば幼いころから虐待を受けていたとか、親がアルコールやギャンブルの依存症だったとか裏社会に携わっていたとか、もしくは同級生とうまくコミュニケーションが取れずに孤立していたとか、仲間という名目で悪用されていたとか、妄想を抱いていたとか……
詳細は割愛するが本当にさまざまだ。
しかしおおまかにまとめると、いずれも家庭環境・発達障害や知的障害(ボーダーライン)・精神疾患などが背景に潜んでいた。
つまりどれもこれも本人が自ら作り出したものではないのである。
こういうことを書くと「甘い」「結局は本人の責任」などと言われてしまうかもしれないし、それもたしかに一理ある。
とはいえ、もしこの子たちが別の家庭で育ったり適切な支援や治療を受けたりしていたら必ずしも同じ結果を招いたとはいえず、したがって歯痒い思いが残ることもまた事実なのである。
さて、大切なことはここからだ。
彼らは少年院の生活を振り返ると「つまらなかった」「早く出たかった」と口を揃えて言うのだが、その一方で、下記のようなことも言う。
「初めて勉強をした」
「初めて本を読んだ」
「初めて文字の書き方を教わった」
「初めて人の気持ちについて考えた」
「初めて向き合ってくれる大人に出会えた」
たくさんの「初めて」尽くしである。
わたしは過去に「実はこれ生まれて初めて持った筆記用具なんだよね」と照れくさそうに言いながら、少年院で購入した思い入れのあるシャーペン1本を見せられたことがある。
未就学児の話ではない。
彼は10代後半の高校生だ。
あのときわたしはどんな表情をしていたのだろう。そして〈少年院へ入った子〉を拒絶する人はどんな表情をするのだろう。
少年院は若者たちが適切な教育・支援・治療を受けられる場所だ。
彼らは授業や精神科医による診察や各種プログラムなどを日課としている。
特に先述した家庭環境・発達障害や知的障害(ボーダーライン)・精神疾患など、自分ではどうにもできない背景を持っている子たちにとって、その価値は計り知れない。
犯罪に手を染めるほどの状況に置かれた子が、少年院へ入ることで、ようやく生まれて初めて「第一歩」といえる地点に足を置けるかもしれないのである。
少年院へ入ることはマイナスじゃない。
むしろこれからも長く続くその子の人生において大きなプラスにもなる可能性を持っている。
もちろん例外もあるのだろうが、わたしは現状で、そのことを強く感じている。
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