私がつわりで苦しんでた時のこと。②

いつのまにか年またいでしまいました。2020年!

随分記憶も薄れてきてしまったので文章というかメモとして重症妊娠悪阻で入院した時のことを書いときます。

入院になったのは自分でもびっくり。ご飯も妊娠前の半分くらいにはなってたけど食べ悪阻だったから毎食食べてたし、ゴロゴロしながらもなんとか生活できてたから。

夜中ものすごくしんどくて。なんか代謝がうまくいかない感じ?何か食べとかないとしんどいんだけど吐き気もあるから10分に一回くらい飲んで、食べて、結局吐いて。一睡もできなくて朝迎えて急遽産婦人科受診。点滴したら少しマシになるかなーてくらいで行ったんだけど、体重減少とケトン体3+で前回の受診でもケトン体で引っかかってたからもうとりあえず体を休ませるために持続点滴をして入院したほうがいいと看護師さんと医師に言われてそのまま入院。24時間の持続点滴が始まった。ちなみに吐く回数は少なかったのでご飯もだしてもらってた。

入院するような病気になったことは物心ついてからはなかったし、看護師として働いてたのもあったのでちょっとワクワクしながら入院したらもうとりあえず、暇。暇すぎて辛いけど悪阻でしんどいのもあるから動けないしとりあえず夜はベッドで寝ながら秒針が動いてるのを見てた。

毎日両親のどちらかが来てくれた。嗅覚がかなり敏感になってたので個室入院にさせてもらったので4.5時間くらいはいつも母がいてくれた。何をするわけでもなくただおしゃべりして一緒にテレビを観てたのだがそれがどれだけありがたかったか…そしておやつなど食べれるものを買ってきてくれた(食べ悪阻でも食べれるものと食べれないものがあった)親には本当に感謝しかない。実家のある他県で入院してたのだが、旦那も車を何時間も飛ばして週に1回は忙しい中来てくれた。


点滴について。退院目標は点滴をせず、ケトン体も出ず過ごせること。妊娠11週だった入院1週目はとりあえず24時間点滴していた。2週目はもう家に帰りたくて笑、外泊とかしてみたけど持続点滴がないと血糖値が下がるのかとりあえずしんどくてしょうがなくてすぐに病院に戻った。持続点滴がないとしんどい自分に絶望して3週目、少しずつ点滴をしない時間を作ってなんとか退院できるよう必死だった。4週目にはいるころ、入院食が苦痛でしかたなくて、この時期は安定期まで2週間をきったところだったので悪阻が軽い時間帯が時々出てきたので2週間食べれなくても死なないでしょ!もう家でゴロゴロしとこう!と無理矢理退院。タイミングはよかったみたいでそれから少しずつ、少しずつ悪阻がマシになっていき妊娠17週あたりでは外出もできるようになった。

入院中のメンタルについて。主治医はハキハキした女医さんで、入院してもいい、退院してもいいよ!みたいな人だったのは救われた。ただご飯食べれてるのに持続点滴がないとしんどい、というのは理解してもらえなかった。ちなみにそのことについては私も全く理解ができなかった。普通重症妊娠悪阻というのは全くご飯が食べれず吐きまくって水分も取れなくなったような妊婦が絶食、持続点滴で胃腸を休めて徐々に経口摂取していくものなのだ。私は食べれるし飲める。ただ点滴をやめたらすぐにケトン体が出る。うまく消化できてなかったのかな…

そのことで私はすごく悩んだ。しんどいけど入院したのは自分の甘えだと思い続けた。実際そうだったのかもしれないが妊婦として私は出来損ないだとも思った。おそらく妊娠中の情緒不安定さが出てたのであろうがとりあえず心もしんどかった。

その時救いになったのは個室だからこそ自由に観れるテレビ。ラグビーやバレーボールをやってたので勇気をもらった。個室料金が高い病院だったが、医療保険と高額療養費制度、そして旦那の優しさで3週間超えの個室入院できたのは本当に救いだった。


もう二度と妊娠したくないと思った悪阻の時期だった。妊娠25週になった今も相変わらず喉つわりはあるがあの頃に比べたら外出もできるしとても元気になったなと思う。今でも2人目なんて積極的には考えれないけどそれは無事にこの子が生まれてまた考え方が変わるんだろうな笑。

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