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第16夜 真夜中の握手

 2021年6月中旬にネットで少し話題になった記事に、日常でのちょっとした恐怖を切り取ったものがあった。

 Dさんの家に自治会からの回覧板が入っていた。内容は、ごみの出し方などありきたりのものだ。引っ越してきてそれほど間がなかったDさんは、深く考えずに隣へ持参する。すると、こういわれた。

「この町内には自治会はありません。少し前に会長の就任などのいざこざでなくなってしまったんです」

 では、この印刷部物はいったい誰がどのような目的で作って回しているのか。最後は「きっと有志の方が作っておられるのでしょうが、ホラー映画のモブキャラの気分を味わいました」としめられていた。

 怪談の定形の一つに、「あるはずのものがない」「ないはずのものがある」というパターンがある。一つひとつは小さなことでも、積み重なると恐怖の度合いは増す。冒頭の例はあるはずのものがなかった例だ。

 例えば、ないはずのものがあるパターン。このパターンのほうが比較的多い。

 イリュージュニストHさんが、アジアの某国からの公演依頼を断った晩に一人暮らしの自宅マンションに帰ると、ベッドルームにあるはずのぬいぐるみが玄関でこちらを向いて座っていた。

 これは怪談の中でも「人怖」のジャンルに入ると思うが(むしろ都市伝説か?)、セキュリティが高く誰も出入りできないはずのマンションで、家の扉を開けると愛らしいぬいぐるみが迎えてくれるというのは、無言の圧力を強く感じてしまう。結局Hさんは某国の公演を受けたそうだが。

 あるはずのものがないパターンも挙げておこう。ないのに、そこで……という話。つい先日の私の体験談とも類似しているが、そこはご容赦を。

【真夜中の握手】

 旅行好きのOL、Aさんは、年に1度か2度仕事の閑散期に一人旅に向かう。といってもそれほど大がかりなものではなく、温泉につかって地元のおいしいものを食べて帰ってくるというだけのものらしいが。

 コロナが蔓延する前年、中国地方へと足を延ばした。秋の行楽シーズンとあってか、宿はあちこちに人の気配がした。通された部屋は三階の和室だった。窓からは、遠くに海を望むことができ、一泊するには十分の広さだったという。

 夜、枕元に携帯を置いて電気を消す。Aさんは、寝るときに完全に真っ暗にしないと眠れないたちで、宿のどこか遠くからはうっすらと饗応の音らしき賑わいが聞こえていた。

 夜中に目が覚めた。

 何時かと思って、枕元を手で探る。

 しかし、携帯がない。

 おかしいと思って、少し手を伸ばすと、握手するように右手をぐっとつかまれた。しっとりと濡れているようで、少し低い体温のような感覚だったという。反射的に振り払って布団にもぐりこんだ。

 誰だろう、一人旅の部屋に何者かが紛れ込んだのか。しかし、部屋の扉には簡単ながらカギがかけられるようになっており、それを外して入ってくれば気づくはずだ。女性の一人旅だと思い目をつけられたのか。

 布団の隙間から外を見るが、暗闇に慣れた目でも部屋の中に人影はみられなかった。そうしているうちに、眠り込んでしまった。

 次に目が覚めた時には、朝で、障子越しに部屋に明かりが満ちていた。扉を確認すると、寝る前に掛けた鍵がしっかりかかっており、携帯電話は部屋の隅のほうに転がっていたのだという。

「寝ぼけて携帯をはじいてしまったんだと思うんですけど、手を握られた感覚は夢じゃないと思うんですよね」

 そう口にしたAさんは、趣味の一人旅をやめることは考えていないと笑った。

(6月20日に修正・加筆)

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