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好きなバス会社はありますか?

さて今回はあまり構えずラフに、「濃飛バス」を褒めたいと思う。乱文乱筆お目こぼしあれ。それでは行きましょう。

おっと一点、その前に。まずは今回の主役をざっくりご説明致しましょう。

「濃飛バス」とは、その名の通り、主に美濃・飛騨地方を主戦場とするバス会社の名であり、岐阜県高山市を本丸として、西へ東への長距離バスと、足元達者な路線バスを巡らせる、この地域の庶民の足である。

つまりは、僕の足でもあった。
この1年半ほど、大変お世話になっている。

それでは改めて。

ローテクに残る「よどみ」

何かを褒めようって時に、どんな入りをするかはセンスが問われる。少なくとも、相手にあまり興味がないだろうものを、最上段から褒めそやすのを、聞いてられる人は少ない。

それは一般的に知名度の高いもの、例えばBTSとて同じこと。話しだすや否や、各メンバーの胸キュンエピソードの大開陳。愛のむきだし。受け取れない方がわかってない。そんな余裕のないスタンスでどうしますか。

僕ならこう言おう。
確かに、ちょっと不器用なとこはあるのよね、と。

濃飛バスの話である。

端的に言ってしまえば、遅れている。都市部の〝当たり前〟に慣れた人なら、シンプルに交通系のICカードが使えないのは、小さいが確実なストレスを感じるだろう。

念の為、ICカードを使わずに「バス」に乗る、ということがどういうことか今日日きょうび想像できない人もいるんじゃないかと思うので、そのプロセスを詳述するところから始めよう。

よくご存知の方は、サクッと読み飛ばして欲しい。

バスが到着する。入り口の扉が開く。
バスに乗車する際は、その先頭の入り口から、やや段差の大きい階段を3段上がる。

1段目から2段目を上がったぐらい右手に、小さな郵便ポストのようなものがあって、そこから、ペロッと舌を出したみたいに出ている白い半券を引き抜く。都こんぶぐらいのサイズである。その半券に、あなたが乗ったバス停の駅に対応する番号が赤い文字で、印字されている。7だとか、3だとか。

通路を進み、好きな席に座ると、バスは発車する。正面フロントガラスを見れば、その上部には黒い電光掲示板があり、居酒屋の靴箱みたく箱がいくつも並んでいる。

それぞれの箱には、各駅番号を名札がわりに、落ちついたオレンジ色の数字が光っていて、その数字がタクシーのメーターのように距離に応じて増えていく仕組みになっている。都こんぶが7であれば、7の靴箱に入っている数字が、あなた用の「その時点での」運賃となる。

乗車中の最後に、ひとつやることがあって、それがUNOである。「いよいよ次(の駅)だな」となったタイミングで、どの席からもそれぞれ手の届く位置に備え付けられているブザーを押す必要がある。発声の必要はない。

そのブザーによるコールに応じて「次、とまります」などと安心の機械音によるレスポンスがある。これをやっておかないと、バスはあなたの駅をスキップしてしまう。UNOと全く同じルールである。なお、リバースは使えません。

バスが停まると、お会計をして降りる。最終的な運賃を、電光掲示板で確認して、さっきの都こんぶと一緒に、運転手の横にある賽銭箱みたいなものに放り込んで降りる。ただし、この賽銭箱にはお釣りを出す機能がない(!)。もしかすると、賽銭箱に入れられたお金を正しく数える機能もないような気もするが、パッと見ではわからない。

とりあえず、きっちり払わないといけない。そのために、賽銭箱の前に小型の両替機があるので、そこに千円札を入れれば、500円が1枚、100円が4枚、50円が1枚、10円が5枚が吐き出されるので、これで確実に、お釣りなく払うことが出来る。そして少なくないコインが余る。

ちなみに、このお会計をして降りるプロセスの間、運転手はあなたと賽銭箱を、なんとなく見るような見ないような感じで見ている。するっと一言お礼などを告げて、段差に気をつけながら階段を3段降りたら、到着である。

はい、すごく長い。

そして当然ながら、仮に、降りる人が10人いたら、このプロセスを10人全員が繰り返すことになる。

つまり…

「白い半券(都こんぶ)を引き抜き、変化する電光掲示板(靴箱)の数字を追っかけ、降りる駅手前でブザー(UNO)を鳴らし、最後にもう一度だけ数字を確認して、お財布からきっちり払えるか確認して、無理そうなら両替して、お手々いっぱいの小銭から、ひーふーみーと硬貨をきちんと選び、料金箱(賽銭箱)に放り込み、残ったコインをしまう」×10である。

どう考えても、効率が悪い。

ついでに言うと、バスの入口と出口は同じなので、これらの人が全員降りるまで、新しい乗客は乗り込むことも出来ず、入り口付近で「待て」の格好になる。あぁ…。

これをもし都市部と比較するなら、前後扉が入り口と出口となって開き、両扉近くに備え付けられた端末が〝ピッ〟の音を立てるだけで、乗客がぐるりと循環するスムーズな流れは、ここでは避けがたいよどみとして保存されている。

これが濃飛バスである。

でも少なくとも、このおかげで僕は、助けられているのだ。それも何回も。

ローテクに残る「ゆとり」

今から話すことは、実話である。当たり前か。でも少なからず驚いたり、意外に響く、嘘みたいなところがあると思われる。

それは、ITの主導する「都会の洗練」に慣れた人がうっかり持つ、お客さんはのっぺらぼうな「ユーザー」であり、想像上の「ペルソナ」であり、その数字の大小で語られる「マーケティング」の対象ではない世界の話である。

ここでは、お客さんは、あくまでも顔のある人であり、言葉を交わす相手であり、お互いに持ちつ持たれつの関係の中にある。そんなことなんじゃないかな、と思うことがよくある。

それでは。

次乗るときに払ってね

濃飛バスは、ツケが効く。

というのは、もちろん誇張であって、今日はお金がないからツケで乗ろう、みたいなことは無理だと思うけれど、あくまでも「致し方ない時」に、運転手のアドリブの親切に浴したことがある。

ある時、買い出し帰りの僕は、財布がなくて焦っていた。ここではICカードは使えない。そのスマホに意味はない。うっかり財布を家に忘れたまま乗ってしまったようだった。僕は素直に打ち明けた。

「財布を忘れてしまいました」と。

運転手はこう対応してくれた。今回は仕方ないから、と。そして、僕が手渡した、都こんぶの白い半券に鉛筆で数字を書き込んで、次回はこの金額も合わせて支払って下さい、と。

財布は家に帰ったら、カバンから出てきた。

金欠の恋も支える

運賃が10円足らなかったこともある。

この1年半ぐらいの間、僕は濃飛バスのバスターミナルで働いていた人に、心をときめかせていたことがあって、うっかり上高地に一人でよく行った。今日はいるかしら、と。あら懐かしい。

最終的に6打数3安打という、驚異の遭遇率を誇り、お話などをすることは出来たが、もごもご、これ以上は言うまい。詳細はこちらから。

さて、確かその最終打席。6度目の逢瀬を目指してバスに乗った日に、またしても手持ちがなかった。ああ、またやった。と思った。300円の運賃に対して、コインケースの大量にも感じた硬貨は、ピタリ290円を数えた。足らない。何度数えても10円足らない。

仕方ない。ここは演技で…。

じゃらじゃらじゃら、とその全部を賽銭箱に放り込んで、気怠げにお礼を告げて降車した。ありがとうございましたぁ~と。むしろゆっくり、緩慢に。相手は〝違和感〟にこそ気がつくものだ。ダラダラとズルをする人間はそういないはず。

最近わかったのだけれど、この賽銭箱には、いくら投入されたか、運転手側にだけ向けて赤い数字で見える表示があった。そう、バレてたのだ。多分。そして、見逃してくれたのだ。僕の大根の演技を。290円の恋を。

ここで借りた10円は、後日違う便に乗った時に、合わせてお支払いした。

確かな技術がある

サクサク行きましょう。ひとつ基本的なことを触れてなかったので、言い含めて置きたい。

非常にシンプルながら、濃飛バスは運転がうまい。

そして、相手に何かを与えるためには、それだけの余裕が必要で、その余裕が何を前提にするのかというと、その場をコントロールしている確かな技術にあるのではないか、と思う。「技術+任侠=親切」である。

そう、濃飛バスは運転がうまい。

それもそのハズで、飛騨地方は山道が主であり、冬には大雪が降る。例えば不慣れなスキー客などは、路面凍結のアップダウンにスリップして動けなくなるようなこともしばしばのこの山道を、小回り効かないあのガタイで、日々の試合感を保ってこなしているのだから、うまくならないわけもないのかもしれない。

腕の良さは、相対的に語られる。僕はお隣の旅館の女将と話をして、思わず意気投合をしたことがある。

「京王バスは酔いますよね」である。

この地域から東京に行く際には、濃飛バスと京王バスの2種類のバス会社が乗り入れているわけだけれども、京王バスは都会っ子であり、色白に赤みの差したるもやしっ子である。山で鍛えた、深緑の濃飛バスの足腰とは、担がれる側の安定感が違うのだ。

ただし、各席の足元にレバー式の足置きがあるのは、さすがは京王バス、都会の洗練であり、ここだけは濃飛バスもうっかり、抜け作であった。

粋である

技術に触れたので、次は、任侠を伝えたい。
「技術+任侠=親切」である。

この豪雪地帯に住んでいて、車を持たない人は、例外的である。そんな僕にとって、特に冬の週に1度の買い出しは、ひと仕事になる。

行きしの片道は歩いてゆくことにしているので、50分ほど歩く。そして、リュックと、両肩に手さげ袋と、余った手でダンボールに詰めた1週間から10日分ぐらいの食材を抱えて、帰りをバスに乗って戻る。

スーパー近くの駅から、バスなら10分ほどで最寄り駅まで戻ってこれるので、そこからえっちらおっちら残りを歩いて家を目指す。

家に帰ると、そのままの格好で体重計に乗り、差分を確認するのがいつものルーティンである。一度の買い物で、平均的に20kgぐらいになる。なんと。僕は毎日2kg以上もモノを消費しているという事実を細目で見つめながら、戦果をテーブルに広げて、ふぅーーーーーと一息つく。

ここまでが大変で。

特に、バスを降りてから自宅までの歩きがしんどい。2種類あるバスのルート次第では、最寄り駅がいささか遠くなる。その日は、遠い方の最寄り駅であった。先の荷物でずしりと重い体でバスに乗り込み、10分間のバスの中で、しばしの休憩をする。最寄り駅に近づけばUNOをして、次止まりますと、機械音が告げた。冬の夜の便で、乗客は僕だけしかいなかった。

駅につくまだ少し手前、運転手が話し掛けてくる。

「◯◯に行くんか?」

それは僕の住むエリアであった。そうです、なんで知ってるんですか?と言うと、そこには特に触れずに、僕が住むエリアに行くための一番近い分かれ道のところで、ドアを開いて下ろしてくれる。あれ、まだ駅じゃないのに。

この数百メートルでどれだけ助かるか。

「他じゃこうはいかんと思っとってよ」

そんな一言を掛ける。僕が運転手をきちんと覚えていないのに、向こうは僕のことを、顔を、生活を、知ってくれていたんだなと思う。

次が、最後のエピソード。

何か勘違いしていませんか

遠方より友人が遊びに来ても、車はない。

とは言え、ないなりに庶民の足を上手に使って、いくらか案内も試みたい。路線バスは1時間に1本なので、ゆとりのあるプランニングと、時間をうまいこと揉みほぐしてくれる日帰り温泉の利用がコツである。

先日、素晴らしいお湯を頂いた旅館から、これに乗って帰ろう、と計画したバスは18:15発であった。

もうすっかり暗くなった雪の降る中、少し離れたその温泉旅館から、狙いのバス停にまでトコトコ歩き、到着したタイミングで、友人の一人が忘れ物に気がついた。

仕方ないと、すぐに来たバスは見送り、忘れ物を取りに引き返す。本来ならこれでまた1時間待ちになるところだったが、幸い次のバスは、最終のためか少しだけ早く40分後には来てくれる予定だったので、旅館の囲炉裏スペースで談笑などをして過ごした。

忘れ物見つかり何より。また歩いてバス停にトコトコ向かうが、今度はバスが来なかった。普段そんな遅れへんねんけどな、と待てど暮せど来ないので、時刻表をよく眺めたら、その最終便は冬期は運休であることを告げる小さな表記を、見逃していた。

3人ぽつねん、と。雪降る中で、もう来ないバス停の前で佇んだ。ここから歩いて帰るとしたら、どれだけ頑張っても30分はかかる。片手で足りる温度の中で、その行軍はきつかったし、少なくとも女性に強いるタイプのものではなさそうにも思われた。どうしようか。旅館の人に頼んでみる…、いやでもな。ヒッチハイク…も出来るかなぁ。どうしようかな。

そんな時に、一台のバスが通った。

濃飛バスの別路線であった。行き先のところの下には「降車専用」と書いてある。

降車専用とは、その区間の駅については、それまでに乗っているお客さんを下ろすことはするけれども、新しく乗客を乗せることはないよ、というものである。長距離バスを例に取れば、東京発の京都・大阪行きがあったとした時に、京都〜大阪間は、降車専用の区間になる。あれのことである。

諦めきれずに、手を挙げた。なにせもう足がないのだ。

バスは止まり、運転手さんが話かけてくれる。時刻表を見誤っていたこと、もう最終のバスがないことを告げたら、乗ってよいと言ってくれた。

3人で乗り込みバスの中で暖をとる。待ち時間で体は冷えていた。少しづつ最寄り駅が近づくが、ひとつやってないことがある。

乗車時に、都こんぶを引いてない。小型の発券用ポスト自体が起動されてないようだった。なにせ降車専用で新たに乗る人はいないのだ。電光掲示板の靴箱に並んだ文字は、ある程度の距離を来ているものばかりで、そこそこの値段を示しており、この特定の区間に対応する運賃がわからない。

最寄り駅が近づく。UNO的な動きは躊躇ためらわれたので、乗る時に告げた、どこどこまで行きたいと言った言葉が通じていたことだけ信じて待つ。

すると、ゆるやかに最寄り駅で減速して、バスは停車した。ほんとよかった、あとは運賃だけお支払いして、厚くお礼を述べよう。

「いくらお支払いすればよいですか?」

運転手は、こちらをちらっと見ると、正面に向きなおって、こう言った。



「何か、勘違いしていませんか。このバスは降車専用です。私は、あなた達を乗せていませんよ」


「ありがとうございます!!」

嘘みたいだけど、煎じ詰めれば、ただバスに乗った時の話。これが奥飛騨の庶民の足こと「濃飛バス」であり、上記エピソードも、彼らの毎日の平常運転の中のほんの一部、いつも通りの一コマなんだろう。

そして、その職業上控えめだけれど、心根では鯔背いなせな彼らが、この地域を支えるアンサングヒーローである。

あなたの好きなバス会社はありますか?

<以上>


よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。