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日本の神さまについて

どうも、こんばんにちはᕙ( ˙-˙ )ᕗ 丸々です!

今日は雨が土砂降り状態で、春より冷たい季節を感じました。

今日、お話する内容は以前の「未来」に関する話題の中の「日本の神々」についてどういう神さまなのかを説明したいと思います。書籍『日本建国の原点』の中の一部抜粋なのですが、大事なところだけをお伝えします。それをお伝えする前に考え方として理解して頂きたいところがあります✨

まず、「日本に神さまはいるんですか?」という質問に対して、はっきり言って「YES」と答えます。それはキリスト教のイエスキリスト(愛の神)ではないのですが、日本には二千年以上も前から見守り続けた神様がいて、彼らはその時代に日本に現実に生まれて皇居を作り、政治を動かした人たちです。そして、死後に神として地位に立って、そうした偉い方々が日本を守っています。だから日本が平和でいられるようになるし、目に見えないけど平和なのはまさしく奇跡なのです。もし神がいなかったらこの日本という国は中国の占領されるかもしくは天変地異が起きてもおかしくないからです。そのため、神様はどこの国にいても当然のことであり、感謝しかないのです。だから、お祈りがどこの宗教にも習慣としてあるし、仏教の供養もあります。

こうした宗派が日本にも世界にもある中で、日本は大昔「日本神道」という宗教があって神社を作り、仏教が中国から輸入して戦もあったけれども、神道が皇居を守り、お寺もできました。その数は合わせて1万以上の件数があります。日本の主宰神は天照大神と呼ばれ、日本の最高の地位にいる神だと言われています。(ˉ ˘ ˉ; )

では、本題に入ります。紹介する書籍の中ではこうあります。↓↓

日本の神々は、「日本は約三千年の歴史を持っている」と繰り返し語っています。「天御中主神(amenomi-nakanushinokami)は、三千年近い昔の神である」「神武天皇の登場は、二千六百数十年前、つまり二千七百年近い昔である」と言っています。

もし、二千七百年前に、神武天皇が宮崎県に生まれて東征したのであれば、「孔子や老子の時代よりも古い」ということが言えるわけです。

連綿と地上に降りられ、この国の歴史をつくってきた神々への尊崇の念を持っていれば、当然ながら、国を大切に思って、「この文化や伝統を守らなければいけない」という気持ちが起きてきます。

私は、宮崎市内にある、天照大神(amaterasu-okami)が生まれたとされている「みそぎ池」を見てきました。その池は、蓮の花と葉で九割ぐらい覆われていましたが、少しインドを思わせるような風景でした。

この場所で、「伊邪那岐大神(izanagino-okami)が左目を洗ったときに生まれたのが天照大神、右目を洗ったときに生まれたのが月読命(tsukuyomino-mikoto)、鼻を洗ったときに生まれたのが須佐之男命(susanoono-mikoto)とされています。この三貴紳が生まれたわけです。

もちろん、目を洗ったり、鼻を洗ったりして子供が生まれることについては、おかしく思われるかもしれませんが、これは一種の象徴でしょう。

「左」は女性を意味するものです。そのため、「天照大神は左目を洗ったときに生まれた」とされています。「右目を洗ったときに生まれた」「鼻を洗ったときに生まれた」というのは、象徴的に解釈しなければいけない面がありますが、おそらく、「その池において産湯を使った」と考えてよいのではないかと思います。

そういう意味で、天照大神にあれほどの神格があることがまことに不思議です。天照大神は「初代の神」というかたちではなく、途中で出てきているのに、「高天原(takamagahara)の統治者としての権能を与えられた」ということになっているのです。この秘密は、やがて明らかになってくるでしょう。

いずれにしても、神の威人力を甘く見てはいけません。最近、天照大神からの警告が幾つか出ていますが、かなり当たっています。怖い予言もありますが、かなり当たっているので、バカにしてはいけません。神様は怖いですし、人間が増長や慢心をしてきたときには厳しい面があるのです。

ただ、歴史としては、西洋の民主主義はギリシャあたりから始まっているのかもしれませんが、ギリシャの民主主義の時代よりも、日本の歴史の方が長いのです。日本には神々が存在していましたし、高天原で神々が神評定をして物事を決定していたわけです。

要するに、日本は「神々の民主主義」から始まっているのです。「人間の民主主義」ではなく、「神々の民主主義」によって、どのように国を治めていくかを相談し、それを地上に降ろしていました。日本では、その仕組みが明らかに出てきているのです。

ところが、現在の民主主義は、必ずしもそういうものではなく、「人間の民主主義」になっています。その場合、「人間が民主主義的に決めることさえできれば、もう、神は要らない。仏は要らない」という民主主義にもなりかねない危険性が、半分はあるでしょう。

もちろん、「神のある民主主義」もありますが、「神のない民主主義」も存在しています。現代の民主主義は、この両方の面を持っているわけです。

民主主義においては、みんなで神の心を慮り、良心と良識で考えて道を決めていくことが大事です。「神様ならこう考えるだろう」という気持ちに合わせて、結論を出していくことが大事なのです。

っっということで、、いかがだったでしょうか?( •̀ᴗ•́ 人)

日本国憲法にも「信教の自由」について信じる自由と信じない自由がありますから、あるのがおかしいとは限りません。また、日本国憲法にも一部間違いがあるそうなので、ここは難しいところです。

また、「民主主義」という観点で考えれば、天照大神がいた時代は「政治と宗教が同じもの」として「政教一致」で国を治めておりましたが、現代では憲法にもある通りの「政教分離」が当然の流れだそうです。しかし、日本国憲法は戦後、日本がアメリカに終戦で負けてマッカーサーが宗教の内容を消す命令が来て明治にあった憲法を変更されたということです。これは人間マッカーサーの考えであり、日本の神々は「政教分離」を認めません。

また、日本の神様や天皇後継の歴史について書かれている内容は「記書」と呼ばれる「日本書紀」「古事記」「竹内文書」だとされています。「万葉集」や「秀真文献」も含まれているかもしれません。。。ʕ·͡ˑ·ཻʔ❓

これについては今の理解では難しい内容であると思うので、時を待ったら投稿することにしましょう。

=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ 以上、丸々でした〜〜=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ


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