彼女を生かすもの
さて、いい感じで現地校に馴染んでくれているヨーヨーとあーちゃんですが、その反面、すごい勢いで日本語の崩壊が進んでいます。
ロンドンに来てから2ヶ月、学校に通い始めてからはまだ1ヶ月しかたっていないのに、ヨーヨーは家での会話(完全に日本語で話をすることにしています)に英単語が混ざるし、あーちゃんに至っては、家で「あいうえお」を教えようとしたら「ABCの方を覚えたい」と言われてしまった…。ひー。
それであらためて、友達から教えてもらって出国前にサラッと読んできたこちらの本、目の色を変えて読みなおしています。
真摯な提言がなされている素晴らしい本ですが、そのなかでも繰り返し説かれているのは、母語を確立することの大切さ。
第一言語をしっかり立ち上げることが第二言語の取得にもつながる。高度なバイ・リンガル、バイ・カルチュラルになれたら、言語は柔軟に人生を拓く力になるけれど、第一言語がしっかり育っていない段階で無理に第二言語に切り替えると、どちらも年齢平均に届かないダブル・リミテッドになって他の学習にも支障をきたすおそれがあるとのこと。
渡英が決まってからずっと、4歳のあーちゃんは小さいからなんとでもなると思って7歳のヨーヨーの方を心配し、彼の環境を整えることを優先してました。でもヨーヨーが言葉の取得に積極的な性格だということも手伝って、思っていたよりだいぶ手離れが良かった。
今になって、これはもしかして、あーちゃんの日本語こそ最優先でサポートしないといけないのではないかと思い始めています。
日本人学校は6歳からだし(幼稚園もあるらしいけど遠いし)あーちゃんは当面、家の中以外に日本語に触れる環境がないのです。
このままだと、幼児みたいな日本語しかしゃべれない帰国子女になっちゃうかもしれない?
それで、1年くらいは現地校ではなく家庭学習にしようかってチラッと思ったんですが、本人に聞いたら「学校やめたくない」といわれました。
カリナとリアナというお友達ができたからそちらで遊びたいって。
たった1ヶ月でも、子供は全力で適応するんですね。すごいな…。
心配していた現地適応の第一関門がクリアされたから、次の贅沢に目が向き始めたと言えるのかもしれませんが、
今のところ、寝る前に日本語の本の読み聞かせをする以外に、いいアイディアない。どうしたもんかなあ。
ただ、そういう「心配性な私」がいる一方で、ぱかっと「楽天家の私」もいて、まあなんとでもなるだろう、とも思っています。
最近Netflixで「アンという名の少女」をみているんですが、主人公のアンはみなしごで孤児院で虐げられていて、13歳から学校に行き始めても、知性と愛を備えた素晴らしい女性に育っていくわけです。
アンを支えたリソースは「想像力」だった。
つまりどんな環境からでも立ち上がる人は立ち上がっていくものなので、もちろん、基本の読み書きについてはなんとか道を考えつつも、あーちゃんの中にある力を信じていこう。と、思います。
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