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駄目、ぜったい。

ちょっと前に、以下趣旨のネット記事をみて、取り上げるほどのものでもないと思ったが、数日経った今もやはり気持ち悪く気分の片隅を濁しているので、ここに書き出して、お焚き上げする。

その主張というのは、よく駅に貼ってある痴漢防止ポスターの「ダメ、絶対!!!」というキャッチコピー、あれは犯人の、取り返しのつかないことをしてしまったという恐怖を煽るからよくない、というのだった。

それに対して、私には「みそくそ一緒」というコメントしか浮かばない。

昨今のインクルーシブネス(包括性)の言語化で、人は失敗する存在であると認めあおう、弱さを認め合う組織は強い、心理的安全性は大切だとかいう類の話があるけれど、それはあくまで「前を向いて頑張ってても、失敗しちゃうこともあるさ、にんげんだもの」という文脈。

しかし、犯罪防止の啓発ポスターの言葉にそれ当てはめて語るかね。

痴漢はだめです、絶対。

被害者が自らゆるすということと、犯罪者が自らゆるされていいはずだということとは全く違う。

本能に基づく妄想をすることと、それをコントロールできずに行動に移してしまうことは全く違う。

痴漢被害にあっても死なないと言うなら、痴漢加害者も死刑にはならない。社会的に死ぬ。それだけ、被害者の心を殺す可能性のある行為なのだ。

という私は、若い頃何度か痴漢にあった。でも、数ヶ月で都会生活に慣れてきて、なんというか電車の中で「殺気をまとう」ことを覚えたらピタッと被害にあわなくなった。

反応できなさそうなホワッとした子を嗅ぎ分けて狙うんだから。あれは実に卑劣な犯罪だ。私に痴漢したやつ、今からでも特定して私刑に処することが許されるならスパッと去勢しますよ、許してないからね。

やる前に気づいてほしいのだ。

ダメ、絶対。


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