絶対と相対
1. ここで事象とは、現象の相対的発現のことを示す。
2. 私は、
「(ある事象について)絶対的である。」と解釈することができる。
「(ある事象について)相対的である。」と解釈することもできる。
そして、私はこれを他の人に伝えることができる。伝えることによって伝わる可能性がある。
あなたと私において、
「絶対的である。」と解釈することができる
「相対的である。」と解釈することもできる
あなたと私はさらに他の人に対して伝えることができる。伝えることによって伝わる可能性がある。
あなたと私と他の人は、
「絶対的である。」と解釈することができる
「相対的である。」と解釈することもできる
またその他の人が別の人に伝えることができる。伝えることによって伝わる可能性がある。
これら一連の動作に閉じたコミュニケーション空間においては、その事象は相対的だろうか、それとも絶対的だろうか。
3. そもそも、1人の人間にその"相対的"が閉じていることはあり得ない。なぜなら1人の人間がそこで言語を扱えていることそのものがこの一連の動作の結果であるからだ。"絶対的"も同様だ。有限の立場においては、"絶対的"も"相対的"も存在し、かつ両立する。そしてそれらは、人間のコミュニケーションの中で時間的動的非平衡状態として存在する。ベクトルは常に回転している。このベクトルの回転は、その時間や対象者、振る舞いや場所、信頼性や論理などのさまざまな要素に依存する。
4. そのコミュニケーションの中で、有限の立場を越える「全て」は、扱うことができない。「全て」を扱うことは、ベクトルが回転しなくなることと同義だ。「全て」は死んでいるに等しい。コンピュータはコンピュータの中、すなわち仮想空間でのみ、「全て」を扱うことができる。
5. もしシンギュラリティが存在するならば、その時は私たちが全員死んだときだろう。
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