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国内ネット文化における閉鎖的空間性と「偶然の出会い」を求めて

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1.はじめに

 2008年に情報社会学者の濱野智史が発表した『アーキテクチャの生態系』は、2000年代における代表的批評家・東浩紀のデータベース論と中心とした「ゼロ年代批評」の流れに大きな影響を与えた著作である(1) 。その特徴は東がフランス現代思想の論者たちの権力論と惹きつけながら論じた環境管理型社会論を(2)、2000年代に流行した国内ネット文化を対象に展開した点にある。ローレンス・レッシグによる「アーキテクチャ(3)」という概念を主軸に展開された濱野の議論はゼロ年代批評でも代表的な本という立ち位置を獲得したが(4)、特に『アーキテクチャの生態系』を発表した2008年以降の濱野は女性アイドル論に傾倒していったゆえ(5)、ゼロ年代批評の文脈を継承した国内ネット文化論のその後の発展は無かった(6)。

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国内におけるソーシャルメディアの使用状況(『情報通信白書』159頁より)

 しかし、2007年にiOSとandroid OSという二大モバイル向けOSの登場を機に、情報社会、ネット文化は濱野が議論を展開した2000年代と比較して大きく変化している。その変化は濱野がTwitterに対し「日本ではこれ以上の成長はあまり望めない(7)」と下した予想に反し、今日のTwitterのアクティブユーザーはFacebookよりも多くなっていることからも推測できる(8)(9) 。梅田望夫が『ウェブ進化論』で展開した情報社会化に対する全面的肯定の論調は影を潜め(10)、代わりに東浩紀や宇野常寛が共にオンラインサロンという形で閉じられた共同体の中で議論を行っていることは、この変化において示唆的だ。濱野以降から今日に至るまでにどのような変化と問題が生じたかを考えることは、ゼロ年代批評が2010年代以降にいかに影響したかを考えるにおいて必要だろう。

 この点で、2013年に美術家・黒瀬陽平が発表した『情報社会の情念』で展開した議論は、濱野が展開したアーキテクチャ論と接続することが可能な点で注目に値する(11)。黒瀬はソーシャルゲームをもとに、アーキテクチャを構成する「運営の思想」とその制限下におかれるコンテンツ制作者の「制作の思想」という対立関係を設定し、また前者によってユーザーとコンテンツが必然的に遭遇する空間を「情報社会の球体」を表現した(12)。「運営の思想」の管理下で「制作の思想」は強力に制限されると主張した黒瀬は、アーキテクチャ的制約を受けつつも発展した国内ネット文化の多様性を描いた濱野の議論と類似性が見られる。一方で、黒瀬は「球体」が外部を排除したうえで内部で過剰なパーソナリゼーションを生むものであると批判し、その打破を情報空間外部の「偶然の出会い(13)」に求めた点で、アーキテクチャに注目し国内ネット文化の多様性を描くのみにとどまった濱野の議論のその先を展開したポスト・アーキテクチャ論だといえる。しかし、濱野があくまで情報空間における想像力を論じたのに対し、黒瀬は現実社会における外部との遭遇を希求している点で、もはや情報社会論やネット文化論の範囲を超えた議論である。

 そこで、本稿では黒瀬が提起した情報社会の球体という問題を継承しつつ、彼が情報空間外部に求めた出会いをアーキテクチャ内部で実現できないかを考えたい(14)。それにあたって、本稿は2ちゃんねるとTwitterに注目することで、濱野が展開した国内ネット文化がいかに黒瀬が批判する「球体」的閉鎖性に陥っているかを主張することで、濱野の議論と黒瀬の議論を組み合わせる。濱野のTwitterに対する予測が的中していないことは先述したが、その背景には2007年に生じた情報社会のモバイル化の流れが議論で含まれていないことが理由に挙げられる。本稿では第2節で2ちゃんねる、そして第3節でTwitterを論じることで、国内ネット文化が2ちゃんねる的「コピペ」を通して閉鎖的空間を形成してきたことを指摘する。それをもとに、第4節では国内ネット文化における「球体」に対し黒瀬とは別の手法として、芸術家・布施林太郎による「アナグラムな唯物論」という視点を参照することで(15)、我々が「球体」内でどのように出会えるかを考えたい。

2.国内ネット文化におけるアングラ的土壌——2ちゃんねるにおける「コピペ」

 1992年に経済学者ティムズ・バーナーズ・リーの発案から世界中に展開されたWWW(World Wide Web)はアメリカ西海岸思想の一拠点であり、従来の政治的空間に対するオルタナティブ空間として登場した。インターネットを従来の政治空間に対するオルタナティブとして見る考えは国内でも1990年代を中心にメディアアートとして輸入されたが(16)、一方で政治思想が抜け落ち、アングラ・サブカルチャーが形成されるためのインフラ技術としてインターネットが活用されてきたことが多くの先行する議論で指摘されている(17)。そのような最初期のネット文化の流れを継承したメディアとして、ネット掲示板2ちゃんねるは注目された。本節では『アーキテクチャの生態系』における2ちゃんねる論に注目することで、国内ネット文化の特徴の一端を示す。

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ネット掲示板『5ちゃんねる』COVID-19板トップページ

 『アーキテクチャの生態系』で2ちゃんねるは「フロー」と「コピペ」という二つの概念で論じられる。前者は更新頻度が高い掲示板であるほど2ちゃんねる上で多くのユーザーが確認しやすい位置にリンクが表示されるという、アーキテクチャ的特徴について述べたものである。2ちゃんねるは例えば「哲学」や「ノートPC」など話題ごとに掲示板が作成され、各掲示板のスレッド上でそれぞれユーザー間のコミュニケーションが展開されている。各スレッドはユーザーが書き込むことで掲示板トップページ上にリンクが表示され、他のスレッドが更新されるほど表示位置が下がるものの、新しい書き込みによって再度トップに表示される。これにより、一方では人気のスレッドは常にトップに表示され、他方では人気の無いスレッドが淘汰されることで、ユーザーが流動的に動くシステムが形成されている。その背景には、いわゆる「常連」ユーザーを排除するという2ちゃんねるの設計思想がある。濱野は2ちゃんねるの管理人ひろゆきに対するインタビューを参照しながら、2ちゃんねるが一度固定化されたコミュニティが形成されることを避けるように設計されていることを指摘し、2ちゃんねるを「成員が自由に結成し参加する集合体」という意味で「都市」と表現した(18)。このような構造に2ちゃんねる以前のネット文化特有の匿名性が加わることによって、2ちゃんねるは全員が平等なユーザーとして扱われるアーキテクチャとなる。

 一方、2ちゃんねるはその構造ゆえ、匿名ユーザーたちが独自の文化を形成してきたことも指摘されている。それを語るにおいて特筆すべきものが、濱野が「コピペ」と称した言語的コミュニケーションだ。2ちゃんねるには「モナー」という独自のAA(アスキー・アート)で作成されたキャラクターや、「kwsk(「詳しく」の略語表現)」や「イッテヨシ(「死ね」の間接的表現)」といった独自な記号表現があり、それらは2ちゃんねる内部で限定的に使用された。コピペはユーザーたちが内輪で用いることで、匿名ユーザーが「2ちゃんねらー」という巨大なキャラクターとして協働するための信頼財(社会関係資本)となっていると指摘されている(19)。この「コピペ」を通したユーザーの連帯は非常に強く、また個人により私有化されることを徹底的に拒否する。2005年に生じた2ちゃんねるの代表的キャラクター「モナー」に対する株式会社エイベックスの商標化問題(「のまネコ騒動」と称されている)は、まさしくこの事態を象徴する事件であった(20)。2ちゃんねらーが協働するための社会関係資本である「コピペ」は2ちゃんねるの想像力の源である一方で、それは全くの外部によって参照されることを拒絶する性質を有するがゆえ、いたって閉鎖的に共有される。

 このように、2ちゃんねるは「フロー」というユーザーが常に流動的に動くアーキテクチャ下に関わらず、「コピペ」と通してユーザーが非常に限定的かつ閉鎖的な共同体文化を形成した。その影響は2000年代前半を中心に絶大なものであり、記述した梅田望夫によるグローバリズム的理想主義に対置される「悪場所」として多くの議論で指摘されている(21)。

3.情報社会のモバイル化に伴う国内ネット文化のTwitterへの移行

 先述のように、『アーキテクチャの生態系』は2007年に登場するiOSとandroid OSによる情報社会のモバイル化については触れていないが、その変化は国内ネット文化において大きな影響を与えていた2ちゃんねるにも及ぶ。なかでもモバイル向けOSがFLASHに対応しなかったことで「フラッシュ動画」と称される国内ネット文化の一翼を担ったコンテンツが衰退したことは注目すべきだろう。2ちゃんねるの「FLASH・動画板」を中心に展開されフラッシュ動画は2000年代前半においてはマスメディア上でも取り上げられたものの、2005年に登場する「YouTube」と2006年に登場する「ニコニコ動画」に次第に地位を奪われ(22)、2020年末にはPC上の全ブラウザでFLASHコンテンツが廃止されることで、全てのフラッシュ動画が視聴不可能になる(23)。

 そのようなモバイル化に伴う状況の変化と同時に、2ちゃんねる上では2000年代前半におけるメディア上での積極的な取り上げが問題になった。1999年に登場した2ちゃんねるは同年に発生した東芝クレーマー事件を機に注目され、登場後翌年には「TVタックル」などマスメディア上で犯罪のイメージ映像とともに登場している(24)。2001年には世田谷一家殺害事件と大教大付属池田小児童殺傷殺害事件が2ちゃんねると共に報道されたことや、2002年のタカラギコネコ商標騒動や日韓ワールドカップを通した嫌韓的書き込みなどが取り上げられることで、2ちゃんねるに対する反社会的イメージが普及していった。しかし2004年の『電車男』や2005年の『恋のマイヤヒ』を起点に、2ちゃんねるの想像力に企業が目をつけたことで、メディア上でも肯定的に評価する流れも生じてきた。だがそのような流れは2ちゃんねるの背景にあるアングラ的な国内ネット文化の文脈とは一致せず、情報社会のモバイル化が進行する2000年代中盤に登場したTwitterは2ちゃんねるユーザーの中でもアングラ的文脈を保持するユーザーにとっての新たなメディアとして受け入れられたと考える。『アーキテクチャの生態系』ではTwitterユーザーを「イノベーター層」であり、有意義なディスカッションのために使用されていると言われているが(25)、今日のTwitterが決してそうと断言できない理由はこの変化にあると考えている。

 では、なぜTwitterは2ちゃんねるの後継として注目されたのか。これについて、再度濱野の議論に立ち返り考えたい。彼はTwitterを「選択同期型コミュニケーションツール」と表現する(26)。タイムライン上で各々が自由に呟く「ツイート」に対しフォロワーが突発的にリアクションを起こすことによってコミュニケーションが発生するTwitterは、それ以前のメール等でのコミュニケーションにおける強制力を解消しうる手段として意義がある。しかし同時に、そのような選択同期型コミュニケーションがmixiなどの既存ソーシャルメディア上にも存在していたことも濱野は指摘する(27)。今日最も使用されるソーシャルメディアであるLINEと比較すれば(28)、匿名ゆえにユーザーが何者かを特定されず、かつ好みのタイミングで各掲示板に書き込みが可能な2ちゃんねるのコミュニケーションは、自ら好みのタイミングでコミュニケーションを行うことが可能な点で「選択同期」型だろう。

 もう一点、2ちゃんねるにおける「コピペ」を通した閉鎖性をもとに、Twitterとの類似性を考えたい。2ちゃんねる上では2002年に生じた日韓ワールドカップを機に、韓国の対応とメディアの報道に不満を持った一部ユーザーが一斉に嫌韓的な書き込みと反朝日新聞的な書き込みを行い、大きな話題となった。濱野はこの問題を北田暁大による「繋がりの社会性」概念を援用しながら(29)、2ちゃんねるユーザーによる他国排外的な言論活動も内輪ノリ的に消費することで、今日ではヘイトスピーチとされる主張さえもがコピペと同じ手法で消費されているという(30)。このような2ちゃんねるの保守性は1999年の創設時には目立って注目されなかったが、国内ネット文化として多くの人々に注目される中で政治的問題が浮上したことは奇しくも、2010年代にかけて次第に政治的メディアとなったTwitterと同様だ。Twitter上の保守系ツイートを行う一部ユーザーにはユーザー名やアイコン、プロフィール欄に日章旗のスタンプを使用していることが特徴としてみられるが、そのような自身のアイデンティティの掲示は、コピペによって自身が「2ちゃんねらー」であることを証明した2ちゃんねるユーザーと近いだろう。

4.Twitter上で「外部」と遭遇することは可能か

 本稿ではここまで2ちゃんねるが「コピペ」を通じてコミュニケーションを展開してきたこと、そして2000年代における情報社会のモバイル化を通し2ちゃんねる的文化が次第にTwitter上に移行していったことを示した。このような国内ネット文化における閉鎖的・アングラ的な性質はサービス提供開始から10年以上が経過した今日におけるTwitterでも変化はない。2020年8月に生じた「#TwitterとTikTok併合許すな」というハッシュタグをめぐる騒動で、国内のTwitterユーザーが自身を「陰キャ」であるゆえに「陽キャ」たるTikTokユーザーと相容れないという意見が出ていることはTwitter上で展開されたネット文化の特徴を考えるにおいて重要だ(31)。2ちゃんねるの「コピペ」と通したユーザーの連帯はそれ自体が無意味であるということを理解していなければならないという点で、強烈に外部を排除する。この閉鎖性は本稿初めに扱った黒瀬陽平が「球体」という概念によって批判されるべきものだろう。「コピペ」を通したコミュニケーションを交わすユーザーたちはその性質ゆえに、自ら他者との遭遇を拒絶する。この性質は2ちゃんねるの独自文化を形成してきた大きな要因ではある一方、黒瀬の表現を用いれば「私たちを多様性のないウェブに閉じ込めている(32)」ものだ。この問題はフォロー・フォロワーによってタイムラインが構成されるTwitterではより顕著だろう。

 この問題に対し、ゼロ年代批評はどう応答したのだろうか。東と宇野はそれぞれ「観光客の哲学」と「遅いインターネット」という、異なる形で応答した。前者は観光客が誤配しながら観光をこなすように、連続した誤配が《帝国》の富と権力を再分配できるのではないかという主張を行った(33)。後者は加速度的に速くなった情報社会におけるコミュニケーションから意図的に抜け出した空間上で、時間をかけて問題を考える必要があるというものだ(34)。いずれも黒瀬の提起した「球体」的問題に対しての応答として考えられるが、ここでは別の議論を参照してみたい。

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Auriea Harvey and Michaël Samyn, 《skinonskinonskin》(1999)

 それにあたって、最後に芸術家・布施琳太郎の「アナグラムの唯物論」に注目し、その可能性を提示して終了したい。布施が提示した本概念は、芸術作品を一度解体することによって、そこに新しい経験を創成するというものだ。布施は議論の中でオーリア・ハーヴェイとミヒャエル・サミンがネット上で展開したHTMLによるラブレター《skininskinonskin》(1999)を紹介し(35)、ソースコードの次元で挿入された多層的コミュニケーションの可能性を指摘している(36)。作品はJavaスクリプトやFLASHを使用したウェブサイトであり、暗闇の中に人間の胸部が浮かび上がるグラフィックと左右反転で設置されたカーソル、そして録音されたハーヴェイの心臓音と呼吸音が聞こえるページである。画面中央で一致する二つのカーソルが中央で一致する本作品は空間的に隔てられた情報社会における2人の出会いを表現するだけでなく、Javaスクリプトの次元においても解体されたメッセージが本作品には隠されている。本作品に対し布施は「ただひとりのあなたにとっての聖なるものへと自分自身を変質させるために、それぞれのファイル形式に向けて自らの身体を解体しながら、それを恋する相手とウェブブラウザによって再構成するプロセス」と称した(37)。布施の議論はあくまでインターネットアートとして展開されたが、このようにメッセージを解体し、不特定多数の要素を通した再構築によって多層性を帯びさせることで、黒瀬が「偶然の出会い」と称した出会いとはまた異なる「出会い直し」ともいえる可能性を検討することはできないだろうか。そのような手法にこそ、「球体」に固執し続けた国内ネット文化における新たな想像の可能性があるのではないかという筆者の主張を述べたところで、本稿はひとまず終わりにしたい。

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(1)濱野智史『アーキテクチャの生態系——情報環境はいかに設計されてきたか』NTT出版,2008年.
(2)東浩紀『情報環境論集——東浩紀コレクションS』講談社,2007年.
(3)ローレンス・レッシグ『CODE——インターネットの合法・違法・プライバシー』翔泳社,2001年.
(4)市川真人・大澤聡・佐々木敦・さやわか・東浩紀「平成批評の諸問題2001-2016」東浩紀編『ゲンロン 4』ゲンロン,2016年,140頁.
(5)濱野智史『前田敦子はキリストを越えた』筑摩書房,2012年など.
(6)この濱野の変化に対して、複数著作で協働した東をはじめ、ゼロ年代批評の流れを形成していった多くの批評家の間では肯定的に評価されていない(市川・大澤・佐々木・東,前掲書,144頁参照).
(7)濱野,前掲書,215頁.
(8)総務省編『平成30年版 情報経済白書』159頁.https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/pdf/n4200000.pdf (最終閲覧備:2020年11月23日)
(9)一方で、『アーキテクチャの生態系』で濱野は情報社会の将来について「未来予測はできない」とも主張している(濱野,前掲書,318頁).
(10)梅田望夫『ウェブ進化論——本当の大変化はこれから始まる』筑摩書房,2006年.
(11)黒瀬陽平『情報社会の情念——クリエイティブ野条件を問う』NHK出版,2013年.
(12)同上,43頁.
(13)同上,63頁.
(14)なお、著作内で黒瀬は行動経済学者キャス・サンスティーンの「キャリー・ミー」という概念を紹介しながらも、自身の意見を展開する際に自分と真逆の意見も掲載することがネット上での意見を賛成/反対という二元論に落とし込んでしまうものであると批判している(黒瀬,前掲書,62頁).
(15)布施琳太郎「恋と、アナグラムな唯物論——アインシュタインの脳、HTMLのラブレター、あるいはインスタレーション」『美術手帖』2020年12月号,186-191頁.
(16)NTTインター・コミュニケーションセンター(ICC)のプレイベントとして1995年に開催された『InterCommunivcation ’95 on the Web——ネットワークの中のミュージアム』など.
(17)ばるぼら・さやわか,『僕たちのインターネット史』,亜紀書房,2017年.および木澤佐登志,『ダークウェブ・アンダーグラウンド——社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』,イースト・プレス,2019年.
(18)濱野,前掲書,96頁.
(19)同上,106頁.鈴木謙介
(20)2005年に発売されたモルドバ共和国出身のアーティストO-Zoneがリリースした楽曲『恋のマイヤヒ』(原題:『Dragostea Din Tei』)と、それを用いたAAがフラッシュ動画として注目を集めたことが原因となり、株式会社エイベックスのグループ会社がAAを「のまネコ」という名前で商標登録を試みたところ、2ちゃんねる上で殺害予告を含む巨大な事件になってしまったというもの。最終的に、商標登録がなされることは無かった。
(21)円城都司昭,『ゼロ年代の論点——ウェブ・郊外・カルチャー』ソフトバンク新書,2011年,68-69頁.
(22)「FLASH・動画板wiki」で、フラッシュ動画における人気の最盛期を2000年代前半の「のまネコ問題」前後に置くと同時に、2006年の「ニコニコ動画」の発表以降に衰退がはじまったことが指摘されている。https://w.atwiki.jp/flaita/pages/432.html (最終閲覧日:2020年11月10日).
(23)「Adobe Flash Player サポート終了情報ページ」 https://www.adobe.com/jp/products/flashplayer/end-of-life.html (最終閲覧日:2020年11月24日)
(24)2ちゃんねる監修『2ちゃんねる公式ガイド2006』コアマガジン,2006年.
(25)濱野,前掲書,215頁.
(26)濱野,前掲書,214頁.
(27)濱野,前掲書,215頁.
(28)注7参照.
(29)北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHK出版,2005年.
(30)濱野,前掲書,102頁.
(31)2018年に登場して以降世界的に人気を集めたソーシャルメディア「TikTok」の買収騒動は、米国が中国企業ByteDanceに対して不信感を持ったことを起点に発生し、その買収先としてTwitter社が名乗りを上げた(https://www.huffingtonpost.jp/entry/tiktok-twitter-billgates_jp_5f320987c5b64cc99fdd2873 最終閲覧日:2020年11月24日)。この流れにおいて、日本国内のTwitterユーザーがTikTokの買収に抗議する形で展開されたのが上記ハッシュタグである。その批判は規約上問題、政治的問題、著作権上の問題、そしてユーザー文化上の問題、の四つに分けられるが、中でも最後者の批判は国内ネット文化の特徴を顕著に表現していると考えられる。
(32)黒瀬,前掲書,88頁.
(33)東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』ゲンロン,2016年.
(34)宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎,2020年.
(35)Entropy8Zuper!, skininskinonskin, “Net Art Anthrogy, ” RHIZOME https://anthology.rhizome.org/skinonskinonskin (最終閲覧日 2020年11月24日、なおEntropy8とZuper!はそれぞれサミンとハーヴェイのハンドルネームである).
(36)布施,前掲書,189頁.
(37)布施,前掲書,189頁.

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