シーリングライト

「箱は?」
 先輩はチャイを顔の前に持ったまま、私に訊いた。カップの中で揺れる液面が紅茶色の髪に似合っている。
「すぐそこの」
 私が指さした小劇場の方向に、先輩の大きな眼が動いてから、小さく「あー」と独りごちた。
「幕も、壁も、床も全部黒で、雰囲気が合ってるかなって」
「よく押さえれたね」
「久々なんで、無理言ってお願いして」
 結局口をつけないままカップは置かれ、芝居ががった動きで天井を見た。釣られて見上げると、吊るされたライトが視界を焼いた。
「良い箱だし、頑張ってね」
 空っぽの『箱』に光を灯し、人間を演じる。最初の一言で空気が引き締まる。箱が劇場に変わる、懐かしい瞬間を先輩の眼は天井に映しているのだろうか。

(300字ショートショート『シーリングライト』)

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