
今も忘れられない「でも私わがままやけん束縛するかもよ?」という元カノの言葉
30代も半ばとなると、誰にでも忘れられない恋の一つくらいあるもので、あれから17年経った今でも僕は願っている。
決まって思い出すのは、誰からも愛される天然の笑顔と、仕事に疲れた僕を迎えにきてくれる助手席からの横顔で
無理に記憶の引き出しを探れば、思い出せることはたくさんあるけど、やっぱり飾らない普段の彼女の姿が忘れられない。
あれは忘れもしない2003年3月。
場所は福岡の太宰府での宿泊施設。
お互いに同じ18歳、それぞれ別々の高校を卒業し、偶然とある職場の研修で僕らは出逢った。
彼女はアルバイトで、そして僕は1か月ほど先に入社し彼女に仕事を教える現場リーダー的な立場だった。
天然な彼女はいつもドジばかりしていたけど、生まれついての性格なのか、どんな人でも笑顔にしてしまう何かを持っていた。
一方の僕はというと、それまでまともな恋愛経験はなかったものの、彼女の裏表のない振る舞いに少しずつ惹かれていた。
研修最終日。
帰り支度を済ませバスに乗り込む社員達の列に遅れ、僕らは偶然とある部屋で二人きりになった。
「あの・・・携帯の番号教えてくれませんか?」
「え?はい・・・そのかわり交換ですよ?」
それが彼女とのはじまりだった。
きっかけ
直感的に「このまま離れてしまうと絶対に後悔する」と感じ、何とか聞き出した彼女の携帯番号。
だけど、それまでまともな恋愛経験のなかった僕は、何を話せばいいのかが分からなかった。
とりとめのない会話や、仕事の話なんかをしていたと思うけど、大した進展はなく3週間ほど経っていた。
きっかけは職場の飲み会だった。
白髭まじりのイカしたおじさんがビールを注いでくれる、地元で割と名の知れていた幸陽丸という居酒屋での話。
未成年だったこともあり、部屋の隅っこに座る僕らを見て、同期の社員が「何か二人ともお似合いやね」と言ってきた。
今思えばひと目見た時から彼女を意識していたことは間違いないけど、付き合いたいという思いは不確かだったような気もする。
宴もたけなわ。
カラオケに向かう他の社員達と解散し、自然な流れで僕は彼女の車に揺られ帰ることになった。
はじめての二人きりの時間。
「お似合い」という言葉に照れくささを感じていたのか、無言のまま不思議な空気が流れていた。
何を考えていたのかはもう忘れてしまったけど、車中に流れる「旅立ち」という曲を二人で口ずさんだことを覚えている。
深く輝く月の下
今日も本当にいい日でした
でも私わがままやけん束縛するかもよ?
新しい職場はオープンを控えた新店舗で、準備に追われる僕ら新入社員はかなりストレスを抱えていた。
もちろん僕も朝8時から出社し、夜遅くまで働く毎日で、時には病院に運ばれることもあった。
そして二度目の飲み会。
場所は同じく幸陽丸。
誰から言われるでもなく、彼女がぐっと僕の腕をつかみ、隣に座るよう目で合図を送ってくれた。
彼女がどんな思いだったのかは分からないけど、おそらく僕の体を気遣ってくれての行動だったと思う。
バカ騒ぎのなか僕は疲れで意識を失った。
なぜそんなことになったのか、詳しく覚えてないけど、宴会が終わるころ僕は彼女の膝の上で目を覚ましていた。
あの時、僕を気遣うように
そして、顔を覗き込むように
目を丸くしながら、ふと起き上がった僕の顔を見て涙ぐんでいた彼女の表情が、今でも本当に忘れられない。
それから帰宅し僕は携帯を手にしていた。
「どう伝えればいいのか分からない」
「告白なんてしたことなかったから」
いや言い訳だ。
彼女が好きだと気づいていたのに、その声を聞きながら自分の思いを伝えることが怖かった。
「勘違いかもしれない」
「見間違いかもしれない」
そんな思いの中
僕の人生初の女性への告白は、メールでの「好きやけん付き合ってほしい」というものだった。
今思えば、女性への告白をメールで済ませるなんて男として考えられないが、とにかく怖かった。
当時はガラケーだ。
既読機能なんて無い。
あの彼女からの返信が来るまでの時間は、今後の人生でも二度と感じることのない、無数の思いが交錯した瞬間だったかもしれない。
数分後に着信音が鳴った。
”メッセージ受信中”の文字。
「うん。」
「でも私わがままやけん束縛するかもよ?」
あれから17年という月日が経ったが、彼女がくれたこの返信は、今でも忘れずにハッキリと覚えている。
同棲生活
2003年4月。
僕の思いを受け入れてくれた彼女は、一緒に住むことを提案してくれ、僕を自分の部屋へ招き入れてくれた。
5階建ての新築マンション。
空港からほど近い立地条件。
彼女は箱入り娘だったような気がする。
高校を卒業したばかりとはいえ、オートロックのマンションに、シルバーのセリカを所有する女の子。
小さな机にところ狭しと並ぶ教科書に製図版、彼女はデザイナーを目指し、建築の専門学校に通う学生だった。
僕は彼女が羨ましかった。
なぜ羨ましかったのか?
それは、僕の尊敬する祖父も建築士で「建築士として世の中のために働きなさい」と口癖のように言われ育てられたからだ。
もちろん僕もその夢を目指し勉強していたけど、祖父との死別や金銭的理由などから叶うことはなかった。
そんな自分の境遇を思えば、彼女の部屋に広がる建築士を目指す環境は、僕が憧れる環境そのものだった。
真新しい家具に傷一つないフローリング。
1LDKの部屋に二人きり。
同棲生活のはじまり。
当時は当たり前のように思っていたけど、高校を卒業したばかりの男女が同棲するというのは、少し危険な匂いが漂う気もする。
とはいえ僕らは真剣だった。
僕は日々の仕事を
彼女は自分の夢を
お互いが成すべきことと、はじめての同棲生活をより良いものにするために、手探りの毎日を必死で生きていた。
ある夜のこと。
時刻はAM2:00。
仕事を終え帰宅しようと携帯を開くと「駐車場で待ってるから」と彼女からメールが届いていた。
彼女のもとへ急ぐと、運転席で携帯を片手に寝息をたてながら、僕を待つ姿がそこにあった。
同じ職場でバイトをしているし、食事や着替えも毎日準備してくれている、朝から学校だし学校の勉強だってある。
疲れてるはずなのに、夜空の車中に一人、寝巻き姿で僕を待つ彼女のひたむきさに、ただ申し訳なさでいっぱいだった。
「ありがとね」
「ううん?いつもお疲れさま」
今でも鮮明に思い出せる。
ふと目を覚ますと、僕はサイドブレーキに手を掛ける彼女の手の上で眠ってしまい、その手は僕のよだれで汚れていた。
かっこわるい。
「ごめんベタベタやん」そんな言葉を寝ぼけながら掛けていたと思うが、笑顔で信号を待つ彼女の横顔がそこにあった。
僕の口元を拭い思いきり笑う彼女。
この瞬間だったような気がする。
彼女の夢は僕の夢にもなった。
「俺こんな仕事しよるけど一緒にがんばろ!」
「うん!でも仕事は関係ないやん?」
「うん。俺めっちゃ応援するけん!」
「うん!がんばろ!」
「もう少しして落ち着いたらその時はさ・・・」
「その時は??」
「うん・・・その時が来たら言うけん」
両親の妨げ
彼女との暮らしは楽しかった。
人生でも最高の日々だった。
とても10代の男女とは思えないくらい、忙しい毎日だったけど些細なことで笑い合えるだけで幸せだった。
二人で並んで食べる食事
車中で歌うTRFやhyにケツメイシ
僕のギターと夢の詰まった製図版
どこにでもある普通の恋だった。
だけど、通帳に増えていくディズニーランド旅行の費用を二人で眺めながら眠り、同じ朝を迎ることが本当に幸せだった。
しかし、落とし穴はどこにあるか分からない。
ある日、携帯が鳴った。
連絡先は母だった。
胸騒ぎがした。
僕にはコンプレックスがあった。
それは自分の境遇に対するコンプレックスだ。
トタン張りの借家
全く働こうとしない父
毎晩どこかに出かける母
自分と比べて育ちの良い彼女には、とても見せられない環境と境遇だった。
ボロボロの服を着ていた幼少期。
栄養失調で死にかけたこともある。
そんな家庭環境を彼女に見せるということが、僕にとっては彼女との終わりを意味するように思えてならなかった。
もちろん、そんな環境がたまらずに、家出同然で彼女の部屋に転がり込んだのは今さら言うまでもない。
母は言った。
「彼女ができたなら連絡しなさい」
思わず無言で電話を切ったことを覚えてる。
怒りや憎しみ、または呆れがあったからか。
どんな感情だったかは覚えてないが、こんな人間に「幸せな日々を邪魔されてたまるか」という思いがあった。
「ごめん母が〇〇に逢いたいって・・・」
「え?なんで謝るの?逢おうよ!いこ!」
彼女はすごく天然だ。
彼女の笑顔の前で僕は常に無力だった。
車を走らせること20分。
停車する僕らの前に母が現れた。
笑顔の母を見て僕の胸はざわついた。
「何も起こるな」
そう願っていた。
しばらくの会話のあと母が口にする。
「〇〇ちゃん?何かあった時のために〇〇ちゃんの連絡先を聞いてもいい?大事な息子だから」
運転席から番号を伝えようとする彼女。
必死に止めようとする僕。
でも彼女は聞かない。
「いいやん!ユウジのお母さんやけん私も仲良くしたい!」
やっぱり僕はダメだ。
彼女の手をほどいてしまった。
今さら悔いても仕方がない。
だけど、あの時にもっと必死に制止していれば、あの手を離さなければ・・・。
僕の人生は、今とはまた違ったものになっていたかもしれないと思うことがある。
彼女は喜んでいた。
だけど僕は不安だった。
「私の息子を盗んで何様だ?」
「あんたじゃ不釣り合い」
「息子を返せ」
母からそんなメールが届くようになり、彼女の携帯が鳴り続ける日々が始まった。
着信拒否するも、別の携帯を準備していたのか、そんな状況が延々と続いた。
少しずつ悪化していく彼女の体調。
一緒に働いていた職場も退職した。
それから彼女は近くのコンビニでバイトを始めたけど、うまくコミュニケーションが取れず泣きながら帰ってきたこともある。
母はとても変わった人だった。
彼女と違い裏表があり、常に言うことが変わり、僕の財布から内緒でお金を抜き、何かと暴力が絶えない人だった。
思い出を問われたとしても、食器で殴られ血まみれになったことや、お金をせがんでくる姿しか思い出せない。
一方の父親はというと。
彼も大差ない人間だった。
それからある夜。
僕は母から届いてた着信やメール、その痕跡を彼女の携帯から全て削除した。
あれから父や母とは逢っていない。
どこで何をしているのかも知らない。
それどころか生死すらも知らない。
薄情に思えるかもしれないが、僕と両親との関係はそんなものだ。
正直なところ、血の繋がりはもちろん、親だからという特別な感情も全くない。
歳を重ねた今、鏡に映る自分の顔が母に似てきたかもしれないと思うことはある。
でもそれ以上に彼らに思うことは何もない。
恐らく死ぬまで逢うこともないだろう。
お互いの劣等感
2003年5月。
母との連絡を断ち一か月。
彼女の笑顔も戻ってきた。
望んでいた幸せな日々が帰ってきたけど、僕は彼女に対して引け目を感じるようになっていた。
迷惑をかけたこと、かっこ悪い面を見せてしまったこと、そして何よりも彼女を苦しめてしまったこと。
彼女はそんなことを気にする性格ではなかったけど、彼女の前で頭が上がらない思いでいっぱいだった。
いつも明るく前向きな彼女。
情けなくてかっこ悪い俺。
もちろん僕も彼女に負けないよう必死に働いたが、引け目のような感情が少しずつ大きくなっていった。
僕を支えていたのは、彼女と並んで胸を張って歩きたい、彼女と釣り合う男になりたい、そんな思いだった。
月が変わること2003年の梅雨。
彼女の実家に招かれたことがあった。
大きな川が流れるのどかな田舎町。
彼女の家は3階建ての大きな家だった。
専門学生なのに車持ちなのも納得だ。
彼女は知らないけど「〇〇をお願いね?心配だから」と、ご家族から言葉をかけていただいたことがあった。
まんざらでなかった僕も「〇〇は僕が守ります」と返答し、楽しい夜を過ごさせてもらったことを覚えてる。
そして食後のこと。
時間を持て余していた僕は、高校を卒業するまで彼女が過ごしていた部屋へと向かった。
その予想以上の部屋の広さに驚きつつも、思わぬ形で彼女の悩みを知ることになる。
赤い絨毯に真っ暗な部屋。
部屋に響く雨音に、もの思いにふけっていると、下の階で談笑していた彼女が急に僕のもとへやってきた。
「見らんで!」
なぜか泣いている彼女。
状況が飲み込めない僕をよそに、彼女は僕の胸を掴み「絶対に見ないで」という言葉をくり返していた。
彼女の涙の理由はすぐに分かった。
ふと辺りを見回すと、床にはいくつかの写真が散らばっていて、彼女はどうしても僕に見られたくなかったらしい。
「お願い見らんで!嫌われたくない!」
「何で?嫌いになんかならんよ?」
その言葉が意味するもの。
それは見た目のことで「自分の本当の姿を見られることが怖かった」と話してくれた。
整形をしていたらしく「自分の容姿にコンプレックスがある」と打ち明けてくれた。
「好きだよ?〇〇の顔」
「目だって小さいもん」
「俺がいいっていいよるけんいいんよ」
「身長だって小さいけん」
「俺は小さい方が好き」
「・・・ユウジにはわからんもん」
劣等感というものは難しい。
僕からすれば彼女は理想のタイプで自慢の彼女だったし、彼女と一緒に歩けることがすごく誇らしかった。
まさか「釣り合わない」と感じていたのは僕だけではなく、彼女も同じ思いだったことをこの日に知った。
彼女の頭をなでてみる。
なんだか照れくさい。
鼻水まみれの彼女。
見計らったかのように雨が上がる。
帰宅の車中。
これからどんなことがあっても、彼女と同じ歩幅で歩いてくことを誓った。
成長
「無限の彼方へさあ行くぞ!」
僕らはいつもことあるごとに、この言葉を掛け合いながら、辛いことを乗り越えていた。
彼女が製図板に向かう時
僕が仕事で悩んでいた時
二人で手を繋いで歩く時
どんな時でも「無限の彼方へさあ行くぞ!」
トイストーリ・バズライトイヤーの名言だ。
バカなやりとりだと思っていたけど、この言葉に僕らはいつも救われていたように思う。
もともと僕らはポジティブな性格だ。
多少のコンプレックスが知られたところで、落ち込んだり塞ぎこむような性格ではなかった。
人を好きになるということは素晴らしい。
それはお互いが成長できるからに他ならない。
彼女は「自慢できる彼女になる!」と言いながら勉強だけでなく、オシャレや料理をがんばっていたし
僕も「自慢の彼氏になる」と思いながら仕事に明け暮れ、彼女に言えなかった夢を現実にしたくて必死に働いた。
彼女の努力に励まされ
彼女の笑顔に癒され
互いに19歳という若さながら、彼女と歩んだ道のりは、恋人という仲を越えた何かがあったようにも思う。
「無限の彼方へ?」
「さあ行くぞ~!」
この先どんな試練が待っていたとしても「二人で無限に乗り越えていける」そう信じていた。
思い出
思い出せば色んなことがあった。
彼女との日々は色あせることがない。
2003年8月。
僕らは温泉旅行に行くことにした。
行先は大分県の湯布院。
彼女が夏休みだったこと、そして僕の転職など、ちょっとした慰安旅行みたいなものだった。
意気揚々と出発!
と思っていた矢先に急報が入る。
連絡先は母だった。
あれから母とは連絡を取っていなかったが、父が倒れたという知らせを受け、僕らは温泉に向かうその足で病院へと向かった。
あの母のことだ。
どうせまた難癖をつけ、僕らのことを邪魔するつもりに違いないと思っていたが、本当に父は病室で眠っていた。
夕日の眩しいた日だった。
病室に入ると父は目を覚まし、彼女を呼び寄せ、二人きりで話をしたいと彼女を外に連れ出した。
待つこと10分。
父と彼女が戻ってきた。
笑顔を浮かべる彼女と厳しい表情の父。
父は僕の胸をポンッと叩き「俺はダメやったけどお前は絶対にあの子を泣かしたらいかん」と釘を刺してきた。
「あんたに言われるまでもない」と内心思っていたが、なぜかこの言葉は僕にとって胸に来るものがあった。
いったい何を話したのか?
それは今も彼女にしか分からないけど、それから彼女は僕をなぜか年下のように扱うようになった。
彼女との思い出は他にもある。
そういえば死にかけたこともある。
僕の職場から帰宅する時の話。
通行量の多い福岡市内の旧3号線。
助手席に僕を乗せた彼女は、対向車線からくる車と衝突し、100メートルくらい吹き飛ばされてしまった。
車は大破。
ぶつかったのは助手席の後部だったため、なんとか押しつぶされずに済んだが、僕は頭から流血し彼女もアザを作っていた。
後の現場検証では、現場には激しいタイヤの後が残っており車は廃車、お互いによく生きていたと感心する。
僕にはあの瞬間の記憶がない。
それはたぶん彼女も同じだと思う。
救急車に運ばれる夜空の下で、生きていられたことに感謝し、痛みのなか手を取り合い眠ったことを覚えている。
そしてやってきた。
東京ディズニーランド旅行。
これは彼女の念願。
そして僕の目標でもあった。
東京への便は早朝7時。
朝5時に目覚ましをセット。
二人で早めに眠ったが、ふと目覚めると明かりが点いていて、なぜか床に座りこみ彼女が絶望していた。
「どうしたと?」
「ないっちゃん!」
「何が?」
「デジカメがないと!」
「写ルンですあるやん。寝よ?」
「デジカメがいると!」
「現像すればいいやん。写ルンです」
「デジカメじゃないとダメと!」
「写ルンですじゃだめなの?」
「絶対ダメ!」
あわてて携帯を手に取る彼女。
「ちょっと〇〇!?今すぐ起きて!今から実家のデジカメをこっちまで持ってきて!いいけん持ってきて!」
時刻は夜明け前の3時。
電話の相手は彼女の1つ年下の妹だった。
寝ぼける妹に無茶を言う彼女。
タクシーで来ようにも2時間はかかる。
「妹も寝とるやん」
「ユウジは黙ってて!」
「時間も遅いし妹だって・・・」
「私には今日しかないと!ユウジががんばってくれたのに思い出いっぱい残さんと絶対に後悔するやん!」
やっぱり僕は彼女の前では無力だ。
また彼女の仕草に何も返せなかった。
トゥーンタウン。
プリンセス達のナイトショー。
ミラコスタでのピノキオ探し。
この旅行での思い出は他にもたくさんあるけど、僕にとってはこのデジカメの一件が最も印象に残っている気がする。
涙を浮かべながら「私には今日しかない」という言葉を口にしていた彼女。
どれだけの僕のことを大切に思ってくれていたのだろう。
2004年2月。
まだ陽の昇らない暗闇と乾いた空気の中、大切そうにデジカメを握る彼女の手を引き、家からほど近くの福岡空港へと向かった。
やっと連れて行ける。
ずっと二人で歩いていけると思っていた。
すれ違い
2004年4月。
出逢いから1年が経っていた。
僕らの毎日は相変わらずで、彼女は学校の勉強とは別に宅建の資格を取るためにがんばっていた。
一方の僕はというと、新しい職場に慣れない環境のなか、仕事に追われる日々が続いていた。
いつも通りの毎日。
穏やかな日々が続いていた。
ひとつ変わったことを挙げるなら、最初に二人で暮らした部屋よりも広い家に越したこと、そして僕が寮を借りたことだった。
それ以外は何の変化もなかった。
しかし歯車は少しずつ狂い始めていた。
もともと僕の仕事は不規則だったことから寮に泊まることが増え、彼女の待つ家に帰れないことが多くなっていた。
でもそれでいいと思っていた。
正しいことだと確信していた。
新しい彼女との住まいは2LDK。
博多や天神といった福岡市の中心地からは少し離れた、それぞれの区の中間地点に当たるような場所にあった。
多少の車通りはあったけど、それまで小さな部屋で身を寄せ合うように暮らしていた彼女からすると、あの部屋は広く感じたに違いない。
いつからか彼女と過ごす時間は減っていた。
気づけば笑い合うことも少なくなっていた。
だけどそれか正しいと思っていた。
その理由は僕の価値観と夢に他ならない。
それは自身の家庭環境から、僕は彼女には生活や金銭面で、心配をかけることだけは避けたいと思っていた。
あまり自慢できる仕事でもない。
だから、せめて懸命に働くことで、彼女の願いに応えられるだけの将来性と経済力をなんとか手にしたいと思っていた。
「もうすぐ彼女は建築士になる」
「〇〇が落ち着くころには俺も建築学校に」
あの日、彼女に伝えられなかった思い。
そんな思いが僕を突き動かしていた。
優しすぎる僕
2004年6月。
新しい職場の仕事に慣れはじめていたころ、彼女との距離は遠ざかり、二度目の夏を迎えようとしていた。
20回目の誕生日、まともに成人式に参加できなかった僕を気遣い、手作りケーキで祝ってくれたことを覚えている。
彼女とは週1~2日のペース逢っていた。
本当は・・・毎日一緒に居たかった。
でもそれができなかった。
仕事は朝8時から18時までの早番と、16時から夜中2時までの遅番という2交代のシフト制。
日によっては、遅番の翌日に早番というシフトが組まれ、時間的にも眠れないことがたくさんあった。
寮から彼女の家までは自転車で1時間。
限られた時間の中で、簡単に彼女の待つ自宅に帰ることはすごく難しい環境だった。
体力勝負の毎日。
立ったまま眠ることもあり、しだいに体に影響が出はじめ、いつの間にか体重は50キロを割っていた。
でも不満はなかった。
僕と彼女の夢は必ずどこかで交わり、きっと今よりも二人で笑いあえる日々がやってくると信じていたから。
だけど彼女と逢えない夜は寂しかった。
カーテンやテレビのない部屋に一人きり。
彼女に内緒で貯めていた建築学校の学費を計算しながら、二人で撮ったディズニーランドでの写真を握りしめ眠る夜が続いた。
しかし、その時はそこまで来ていた。
一字一句覚えている。
忘れようにも忘れられない。
遅番の前に彼女にメールを送ってみた。
「最近ずっと逢えてなくてごめんね。今日は帰るから待っててね?離れてても〇〇のことを誰よりも大切だと思ってるよ。」
時刻は15時。
しばらくして携帯が鳴る。
「うん・・・でも私はこのままだといけない気がする。少し距離を置いたほうがいいと思う。」
血が逆流していた。
頭が真っ白になっていた。
とりあえず出社したことは覚えているが、あの日どう仕事をして、どうやって帰宅したのかが全く記憶にない。
気づけば僕は彼女との住まいの下にいた。
暗闇の中、外灯に照らさられる彼女の姿。
日付は変わり、時刻は2:00を越えていた。
「ごめん・・・疲れとるよね」
「ううん?どうしたと?」
「ごめんねユウジ」
「・・・何かあったと?」
黙って首を振る彼女。
「何もない・・・ごめん」
「あ・・・距離を置く話よね」
「うん・・・ごめんなさい」
「謝らんでよ」
「だって私わがままやけん」
「俺はわがままな〇〇が好き」
「何でユウジは怒らんの?」
「だって怒る理由がないやん」
見たことのない表情で僕を見つめる彼女。
「何でそんなに優しいとよ!」
「ごめん・・・分かんない」
「怒ってよ!怒ればいいやん!」
「そんなんできんもん・・・」
泣き出す彼女。
「何でよ!わたし最低やん」
「そんなこと言う〇〇嫌い」
「バカやん。何で怒らんの?」
「だって笑った顔が好きやもん」
「何で?ユウジは優し過ぎるよ」
悪いのは私
彼女と過ごした1年と4か月。
確かに僕らは、まともにケンカをしたことも無ければ、怒鳴りあったり口論になったことは、ただの一度も無かった。
優しいと言われれば確かにそうなのかもしれないけど、僕はそもそも彼女に対しての不満が何も無かった。
怒る理由なんてない。
あるはずもない。
むしろ、あの時は別れ話をしているのにも関わらず、久しぶりに彼女と逢えたことが嬉しくてしょうがなかった。
「ごめん。やっぱり怒りきらん」
「そんなんユウジいつか傷つくよ?」
「一緒に居られるならいい」
「それじゃダメになるとって」
「距離を置くってなんなん?」
「ユウジのことは好きだけど・・・」
「うん」
「これ以上傷つけたくない。ごめんユウジ」
「いや俺が悪いんよ。ごめんね?」
「私やけん。私が悪いとって!」
今でも後悔することがある。
彼女が「悪いのは私」と口にしたこの瞬間、なぜ彼女の手を握り、別れを受け入れることがてきなかったのか。
あの時は全く分からなかった。
でも大人になった今なら分かる。
それは、自分のことしか考えていなかったからに違いない。
彼女と別れたくない。
ずっと一緒に居たい。
誰にも渡したくない。
そんな自分の都合ばかりを優先し、彼女の気持ちに寄り添うこともせず、自分の幸せだけを考えていたから、突然の別れを受け入れられなかったのだと思う。
あの時の惨めで子供だった自分に
泣きながら夜道を歩いていた自分に
もし過去に戻って声を掛けれるのなら、死ぬほど殴ってやりたいとさえ思う。
「〇〇?いつも1人にさせてごめんね」
「ううん。やっぱ私が悪いと」
「ううん。俺も悪かったけん」
「ユウジじゃない。私やけん」
「〇〇・・・俺さ?」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
もう彼女に僕の声は届かなかった。
いや・・・届くはずがなかった。
別れの記憶
あれから何度かの恋はあった。
そして、その数だけ別れもあった。
ただ彼女だけは、あの別れから完全に縁が切れるまでの数日間、自分の身に何があったのかを全く覚えていない。
あれだけ彼女のことが好きだったのに・・・
我ながら情けなくなってくるが、それだけ彼女を失った現実感の無さに呆然としていたのかもしれない。
ただ今も思い出すのは
「ユウジは優しいから幸せになれるよ」と言葉をかけてくれた最後の笑顔と、偶然イヤフォンから流れていた曲だ。
やさしさだけじゃ生きてゆけない
でも優しい人が好きなの
夢をかなえることは素敵で
でも何か物足りなくなってゆく
後悔
目を見て告白できなかったこと
一緒にいてあげられなかったこと
彼女と過ごした時間は、自分の人生の中で最高の日々だったけど、それと同時にたくさんの後悔もある。
もっと好きと言えなかったこと
たくさん笑い合えなかったこと
車の助手席に乗せれなかったこと
お化け屋敷が怖くて自分だけ逃げたこと
別れの間際に彼女を泣かせてしまったこと
無限の彼方へ行けなかったこと
あげるとキリがない。
本当に後悔ばかりだ。
これからこの先、彼女がこの記事を読んでくれる日が来るのかは分からない。
だけど、後悔しないために「今を大切にする」ということを教えてくれた彼女には、どんなに感謝してもきっと足りないだろう。
あのころよりは大人になった。
人の気持ちも分かるようになった。
そして、その分だけ歳も取った。
後悔の分だけ進むことができ
後悔の分だけ成長することができ
あれから数えること17年・・・。
僕が、自分の決断に後悔しない人生を歩むことができているのは、彼女の存在と決断があったからに他ならない。
ありがとう。
本当にありがとう。
約束
二人で映画を見た帰り道。
自宅から近くの福岡空港の夜景を眺めながら僕の手を握り、後ろを歩く彼女が掛けてくれた言葉がある。
「ね~ユウジ?」
「どうしたん?」
「ずっとユウジと一緒がいい」
「うん」
「ユウジのいちばん近くにおりたい」
「うん」
「生まれ変わってもまた私を見つけてね」
「うん」
「約束よ?」
「うん。約束する」
なぜ僕は彼女と出逢ったのか。
今でも僕はその答えを探している。
確かに僕は彼女を幸せにできなかった。
重ねた夢を叶えることができず、本当の思いも伝えることもできず、別々の道を歩むことになってしまった。
もし、この世に生まれ変わりというものが存在するとしても、僕がまた彼女を見つけだせるかどうかは分からない。
だけど今一つだけ言えることは、今世であろうが来世であろうが、僕が彼女の幸せを願わない日はないということだ。
あれから17年という月日が経った。
目を閉じれば確かにそこにある笑顔。
決して忘れることのない彼女との日々。
それらは掛け値なしに僕の宝物だ。
また出逢えるかは分からない。
そして約束を守れるかも分からない。
だけど僕は願っている。
彼女が幸せでいられるように。
彼女が笑顔でいられるようにと。
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