これは恋?「感動」の種類について考える


感動の種類

「感動」と一口に行っても、じつは色々ある。
Macに搭載されている辞書を引けば、感動とは「美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること。」とある。心の中で起こる情動を端的に言えば確かにそうだ。

よく「感動」と銘打たれるのが、映画や小説、舞台などのエンターテインメントや、スポーツ中継だ。これらに共通するのは、ドラマがあるということ。そこに登場する人々や出来事の前後の文脈をふまえて、劇的な変化があれば、心は震え、歓喜したり涙を流す。作る側も、「このストーリーだったら絶対泣く」というノウハウをもって作っているから「感動」という看板を掲げられるのだろう。

それとはまた別の感動もあって、食べ物やYouTubeで聴く音楽はハーモニーの快感、完成度の高さ、組み合わせの妙みたいなところでも人は感動する。会食やイベントなんかでは人とモノとコトの巡り合わせによって起こる場の雰囲気に感動する。

もちろん、これらの経験や知識を蓄積し、その結果今までと違う進化を感じた時に起こる知的感動もある。

どれも感動はしているけれど、ちょっと違うのだ。
それでは、アートやデザインにおけるアートワークには、どういう感動があるのだろう。


アート作品を見た人が言う「いいね〜」ってなに?

筆者の話になってしまうが、7年間美術大学に在籍し、そこで美術やデザインに触れてきた。美術界の巨匠やデザイン界の巨匠、新進気鋭のアーティスト、今グイグイきているアートディレクター、同級生などなど、ありとあらゆる人の作品を見る場において、見る側の人たちがよく口にするのが「これ、いいね~」という言葉だ。

この「これ、いいね~」は、一体なにが「いい」のだろうか。
大学生の頃は、他人の「これ、いいね〜」のなにがどういいのか共感できなくて、半ば「いいねノイローゼ」になっていた。(今思えば別に共感する必要なんてなかった)

そう、今ならわかる。この「いいね」はたぶん、上記に挙げた感動が全部ごちゃまぜになって出た「いい」なのだ。たしかに、作品を見たときの感動は説明しづらいことが多い。

しかしこれらとは別に、筆者が何よりも好きな感動の種類がある。


この感動は恋に似ているかもしれない

ハワイ島のキラウェア火山に行ったときのことだ。
バスで様々な観光スポットを巡ったあと、ガイドさんが連れていってくれたのが広大な溶岩流の跡地だった。その日は噴煙が多く、空一面が灰色になっており(ニュートラルグレー8くらいだろうか)、一方の溶岩流跡地は、濃い灰色(こっちはニュートラルグレー5くらい)をしていた。

なにもないと思っていた大地に立つと、カチャカチャという足音が耳の近くで聴こえる。少し離れた場所に咲く、小さな花の葉が擦れる音も、擦れる葉の一つ一つが見えるように聴こえる。視覚よりも鮮明で、彩りがある聴覚体験に集中できたとき、 えも言われぬ感動に襲われた。

後頭部を鈍器で殴られたような?いや、雷に打たれたような 、うーん、頭に冷水をかけられたような、ビビッときたと言えばいいのか? とにかく全身で感受して全身で感動している。頭もキンキンに冴え渡っているけど、どこかふんわりと心地いい。(まるで恋みたいだ)

こういった感動の種類は、この後あらゆる場所で訪れたし、過去に経験していたこともあった。トレッキングの経験がある人や、スキーやスノボに行ったことがある人はわかるかもしれない。パワースポットが好きな人もわかるかもしれない。

明確な対象への感動ではなく、空気感に対する感動。視覚や聴覚だけではなくて、触覚や嗅覚、産毛までも総動員して、いつもと違う指向性を働かせている。子供の頃嗅いだ匂いとか、音の記憶までも総動員して、いろんな自分のパーツがその場を集中して視ている。

筆者が好きなのは、そんな一番わけのわからない、恋のような感動なのだ。


他にもあるかもしれない感動の種類

さて、自分が知りうる感動の種類について少し整理してみたが、まだまだ世の中にはたくさんの感動の種類があるだろう。(出産の立ち合いも感動するとよく聞くし)

これからも自分の好きな感動を大切にしながら、いろんな物事に出会って感動して、それについて考えては書き留めていきたい。


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