あの日のこと
はじめに
今日は珍しくお昼の時間帯に朝ドラを観ていた。
ちゅらさんでエリーが大きな決断をした回で
旦那さんには相談しないんだ・・・
あのお方は旦那さんだよね、wikipediaであらすじや関係性を確認してしまった。やっぱり旦那さんだった。
その流れで、おにぎりを観た。
ちょうど脚本家さんの記事をYahooニュースで読んでいたので、そういう回があるのだとは知っていたが
なんでか今日だった。
阪神・淡路大震災の回。
タイトルのおむすびの意味が分かった気がした回だった。普段チラ観しかしていないタイプ。
そして、震災が起こった1月17日は「おむすびの日」だそう。
阪神・淡路大震災
わたし、あの時の事はずっと記憶に残っている。
神戸からは海を挟んで直線距離で約220km。
こんなに離れている距離でも目が覚めた。
「ドンッ」と音が鳴ってグラグラ揺れ出した。
私は当時中学2年生だった。
ベッドから起きて2階から1階へと階段を降りた。
起きてきたのは、元看護師の祖母と私だけだった。
両親と姉は起きて来なかった。
私がワーワー言っているのを聞いて
親がしょうがなく起きてきた感じだった。
私の住んでいた地域で震度3。
当時はそんなに揺れた経験がほとんどなかったので
ビックリしてしまった。
TVを付けると悲惨な映像がたくさん流れていた。
当時通っていた学校にも
被災した男の子が転校してきていた。
たしか祖母の家がこちらだとか。
わずかの間しかいなくて、あまり関わりがなく
名前も顔も覚えていない、ごめんね。
東日本大震災
同じ地震つながりで
東日本大震災の時は、住まいは東京は葛飾区。
実は、あの日、彼氏時代の夫と京都へ旅行に行っていた。
ちょうど東京から出発する日だった。
早朝の朝焼けが、やけにピンクでそれはすごく覚えている。
私たちは、京都で二人浮かれて寺巡りをしていた。
東福寺の見学を終え、JR東福寺駅のホームで
何やら放送が流れていた。
揺れてから1時間後くらいだったと思う。
耳を済ませて聞いてみると「津波」という言葉が聞こえてきた。
サザンの曲でしか知らないよとか思いつつ・・・
京都にいる人たちは、普通に過ごしていた。
当時Twitterをしていたけれど
「調べる」ことはしていなかった。
今なら真っ先にX開いて確認するけれども。
状況がよく分からなかったので
ホテルに早めにチェックインしてTVを眺めていた。
あ、これはやばいやつ・・・
西の方に住んでいる、いろんな人から恐る恐る電話がかかってくる。
私だけ繋がるという・・・
え、だって私、今、京都ですもん。
東京には電話が繋がらなかったらしい。
あの時、ずっとTVをぼーっと観ていた。
自分の脳みそが処理しきれていないのが分かった。
あまりにもショッキングな出来事で放心状態だった。
ご飯を食べに行かないといけない時間なのに
やっぱりぼーっとしていた。
しびれを切らした彼氏(夫)に連れ出され、ようやく食べに行ったのだけど。
このまま観光していてもいいのか
モヤモヤしながらも京都を楽しむことにした。
ここで一つ問題が起こった。
新幹線が動かない可能性があるとのこと。
戻りは日曜日。
結局は日曜日の新幹線は動いてくれたのだけど。
戻って来てみて、部屋が・・・
泥棒に入られたみたいにぐちゃぐちゃで。
棚の上のほうに入れていたル・クルーゼが落下し
下に置いてあった木のまな板に激突して跡がついていた。
当時使っていたiMacは90度回転していたけれど
前後に倒れてはいなかった。
液晶は割れてお無くなりに…と思っていたので
この時、さすがジョブズ!と関心した。
月曜日の電車が動かなかったのを記憶している。
東京組はお休みしましょうということになり
部屋でひとり片付けをしていた。
上司は、横浜から何時間もかけて事務所に向かったらしい。
火曜日、やっぱり電車が動かなかったのだけど
今ではありえない「這ってでも来い」スタンスだったので、バスと地下鉄を乗り継いで会社に行った記憶がある。
出社したら、震災時に東京にいた人たちが
当時の揺れの凄さを語っていた。
目の前にあるビルが横のビルに当たりそうに見えたとか。
私のデスクは、グチャっとしていた。
みんな自分のことで必死だったんだなと思った。
当時、私はミュージックスクールにサックスを習いに行っていて、サックスの先生が、「私達みたいな仕事は、こういう災害が起これば真っ先に無くなる」と語っていたのをよく覚えている。
おわりに
お話しの中で震災関連があるとやっぱり少し涙してしまう。改めてあの日起こった出来事を振り返ることになるし、自分の記憶からは、絶対に消えない。
全然当事者ではないのだけどね。
☆最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。トップ画像のおにぎりはミニチュアです。(自作)