私たちはどう生きるべき?
どうもうじまるです。
前回は人生の価値についてお話ししましたね。
人生そのものの価値というのは結局のところ何なのか?という点に関しては分からずじまいでしたが、状況にもよりますが人生の中身の価値を高めれば良い人生と言えるのではないでしょうか?
というのが前回の話から読み取れるのではないでしょうか?
では、人生の中身の価値を上げるためにはどういう生き方が望ましいのか?
というところを考えてみたいと思います。
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とは言っても以前にも話しましたが、価値基準は人それぞれありますので絶対的に価値のあるものってかなり限られていると思います。
例えば、人間の3大欲求とも言われている食欲・性欲・睡眠欲は性欲を除き人間には必要不可欠なものなので生きる上での絶対的な価値があると言っても差支えないと思っています。
じゃあひたすら食って寝てればその人生は価値の高いものなのか?というと疑問を感じます。
①では、各々価値のあることと信じていることをロ―ラー作戦で片っ端から消化していく場合はどうでしょう?
要は価値の+αを付けに付け足していくことです。
旅をしたり、スポーツを嗜んだり、映画鑑賞したりなどとにかくいろんなことをやってみる。
個人的にはこれはひとつの答えとしてはありだと思っています。
現実では仕事や家庭、金銭事情などに縛られてしまうことを考えれば理想論ですが。
しかし、ひとつひとつをピックアップしてみると手の届かないほどハードルが高いものではないと思います。
全部できるのが理想ではありますが、一部でも各々にとって価値がある事には変わりはありません。
なので可能な限りの価値をつけ足していくというのは失敗があるにしても間違いではないように考えられます。
そしてリスクが小さいという利点もあります。
例えば、「映画鑑賞は好きだけれどこの映画はつまらなかった」ということは少なからずあるかと思います。しかし、それは2,3時間での一つの失敗であって他の価値の埋め合わせでどうとでも補完できるものです。
②次に大きな価値をつくるという考え方です。
例えば、絵画や音楽、スポーツでの記録や歴史書、技術革新といった後世まで語り継がれるような特定の分野での絶対的な価値や実績をつくりあげることです。
自身にとってそれが最大の価値であるならば、それを成し遂げた時は何よりも得難い価値となるのは明白でしょう。
しかし、これは大きなリスクを伴う可能性があります。
道半ばで自身が達成できないことを察したものの、道を引き返す時間が残されていない可能性です。
映画とは違ってその間、犠牲にしてきたことを完全に取り返すことはできないかもしれないということです。(↓『賭ケグルイ』5巻より)
まぁ同時進行できるものもあると思うので一概には言えない気もしますが。
③最後は大きな価値と小さな価値の両方を適切な塩梅で付け足していくといううものです。
スポーツ選手のような多大な犠牲を払って得られるほどの価値はないけれど、映画鑑賞よりは価値があることといったお手軽ではないけれど頑張れば何とかできそうな価値を追求することです。
これならリスクもリターンも大きすぎはしないので価値を得るまでのペース配分を間違わなければ引き返しもある程度可能というわけです。
結局どうやって生きるべきなのか?
人生の価値が中身の足し引きで成り立つのであれば
②を狙うに越したことはないでしょうね。
リスクはあれどより高い価値が得られるのだから。
堅実な生き方が良いなら①、多少冒険を冒しても良いなら③となるのでしょう。
どれを選ぶのかは自分次第です。
別の選択肢を見つけてそれに従うのも良いでしょう。
結局のところ実のない話をまたしてしまいましたが
私はこの話を読んで、休日に何もすることなく一日終える人生からブログを書くことで微量ながらも価値を高められているのでは?とちょっとだけ良い方向に前進した気はしています。
そんなもんでも何もしないよりはマシかなと。
この話を読んだ方が少しでも何かに前向きになってくれたら嬉しいなって感じです。
はい。
まだまだ掘っていけば題材は結構あるのですが、私は飽き性なもんで死について考えるのもちょっと飽きたというか疲れたので話題を変えたいなぁー
なんて思っています。
日常の話題と絡めても面白そうだなーなんてことも考えています。
とにかく次回あたりで『死』については一段落しようかと思います。
が情報発信はやめたくないので今後も続けていくつもりです。
次回の話は未定ってことで楽しみにしていただければと思います!
ではでは
おあとがよろしいようで。
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