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命のバトン


こんにちは。


今日はnoteを始めたきっかけでもある
「死」について考えさせられる
テーマを見つけましたので書いていきます。


女優の竹内結子さんが亡くなったばかりで
不謹慎だと思われる方は
ブラウザバックをしていただければと思います。


今、書いた通り人の死というものは
「悲しい」、「つらい」、「恐怖」、「怒り」


などネガティブな感情を引き起こすので
テーマに取り上げることが
不謹慎だと感じる方がほとんどだと思います。


客観的な死とか生の哲学的な側面は
考えて然るべきだと思うのですが


特定の個人が関わっているか
それを連想させてしまう場合は


僕もやっぱり不謹慎かな?と
考えざるをえないです。


ですが、今回知ったことを考えると
そういうことでさえ客観視できるのかもなと。


そんな考えで書かせて頂きます。


生死観の違い


本題に入りますが、結論から言いますと
死=必ずしも悪いことじゃないということです。


これだけだと誤解を生みそうなので
説明に入ります。


先ほども述べましたが、日本では死を往々にして
ネガティブのみに捉えてしまいがちな気がします。


悲しむべきこと、恐怖すべきこと
人の死に対して慎むべきこと
場合によっては憤るべきこと


そんな印象はないでしょうか?
少なくとも僕はそれが当たり前だと思ってました。


ですが、それが全てではない地域があるのです。


【死者の日】ってご存知でしょうか?
11月2日はメキシコとかのラテンアメリカ系の
文化でなじみのある祝日らしいです。


これがどういう日なのかと言いますと
簡単に言うと日本のお盆です。


ただ、日本のお墓参りって基本親族だけで
静かに行うのが普通ですよね?


メキシコではどんちゃん騒ぎして
仮装なんかもしてお祭り騒ぎするんです。


画像1


ネットで拾った画像ですが
結構派手に催してるみたいですね。


なぜこんなことをしているのかと言うと
死者との思い出を忘れないようにするため
と僕は解釈しています。


ネットなんかで調べると
日本のお盆と同じで死者が還ってくる日だから
帰ってきた死者と楽しむために


友人や家族と死者について語り合って
死者のことを思い出すために


そんな意味があるらしいのです。


加えてカトリックでの生死観では
天国へ行けることは神のもとへ行けると
されているので忌むべきことではない


という価値観もあるようです。


日本の仏教でも極楽浄土とか
輪廻転生みたいな言葉があるので


似たような思想が
全くないわけでもないのです。


にも関わらずなんだか日本とは
対極な考えだなぁと僕は思いました。


人の死を過去のものだけにするのではなく
思い出すことで幸せだったことにも
気づけるんじゃないかと。


純粋に素敵な価値観だと感じました。


なんとなく僕の勝手な解釈なのですが
日本では人の死はつらいことだから


早く忘れるのが吉という価値観が
あるような気がしています。


でもそれだと楽しかったことや
一緒にいて自分の糧になったことなんかも


同時に忘れてしまうんじゃないか?
そんな風にも思えてきました。


死者に対しての一番の弔いって
『その人を忘れないであげること』
なのかもしれません。


そして生きてる僕たちがそこから
何を学び、何を繋げていくのか。


死者の願い
生き様やあり方
はたまた技術や知恵


色々考えられることはありますが
何か繋いでいきたいなと考えさせられました。


**************


鬼滅の刃でも錆兎が似たようなこと
言ってましたね。義勇にビンタしてね。


それにインスパイアされたのかもしれませんが
僕が生きてるうちに、生きられてるうちに


何ができるだろうか
何がしただろうか
何を繋ぎたいだろうか


そんなことをボケ〜っと考えてました。
まぁ案の定、何も浮かんではこなかったのですが…。


ただ、死という人間にとって最大の不幸でもあり
当たり前のことでもある不思議な出来事の


視野がまた広がったんじゃないかと。


とても残念ですが、三浦春馬さんや竹内結子さんが
亡くなったことで僕たちができることは


彼らがどれだけ素晴らしい俳優・女優だったのかを
覚えてること


そしてこのバトンをどう受け止め、繋いでいくか。


そう考えることもできるのではないでしょうか?


気分を害してしまった方がいたのでしたら
申し訳ありません。


ただ、僕に他意はなく
価値観のひとつとして提示させていただいたと
ご理解いただければ幸いです。


ではでは今日はこの辺で!!
また次回お会いしましょう!


うじまる

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