見出し画像

経済学者の回り道キャリアパス

関 麻衣 (2012年経済学Ph.D修了)個人HP
立命館大学 経済学部・研究科 准教授

1.いつ頃今のご職業につきたいと思いましたか?

経済学Ph.Dコース進学当初は、推薦してくださった先生方に勧められていたこともあり、国際機関でのエコノミスト就職を第一志望としていました。また、1年目終了後の進級試験を突破できない場合は民間就職をする心づもりでいました。大学に所属するという選択肢を具体的に想定するようになったのは進学後です。2年目を超えたあたりから研究の面白さに触れる機会が増え、先輩方がアカデミア就職に向けて多大な努力を積み重ねる様子にも触発され、大学での就職が徐々に視野に入ってきました。

大学院に進学する際にはアカデミア就職を第一希望とするのが一般的だと思いますが、私の場合は学部時代から経済学のPh.Dホルダーが様々な職場で活躍していることを見聞きしていたので、ひとまず北米大学院を目指しました。研究者になるという目標設定が遅かったことは、アカデミアでのキャリア形成を非効率にしたと思います。その一方で、回り道したことによって、スキルと経験の組み合わせが独特なものになったという面白さもあります。

2.現職に至るまでの今までの経緯をお聞かせください

学部はICUという3000人規模のリベラルアーツ・カレッジで、様々な分野の講義を受講する中で2回生あたりから経済学を専攻することを決めました。文系とも理系とも決めきれなかった私の好みと強みがぴったりはまった分野が経済学だからです。まず、自然科学と社会科学で比較すると、人の行動や社会・経済活動にまつわる分析により強い興味があると自覚しました。さらに、定性的なアプローチよりも、数学的モデル解析や統計的データ分析で課題を掘り下げていくほうが自分の比較優位なのではないかと認識しました。格差問題や教育政策などに興味がありましたが、学部教育だけでは分析スキルの獲得に限度があることを理解し、ぼんやりとですが大学院進学を意識し始めました。

学部の3回生後期から4回生前期にかけて、フィラデルフィア郊外にある1000人規模のHaverford Collegeというさらに小さなリベラルアーツ・カレッジに交換留学する中で自信をつけ、大学院留学を決意しました。その後はアドバイザーの勧めに従って、日本の大学院に在籍しながらアメリカのPh.Dコースへの出願準備を進めました。第一期生として入学した東大の公共政策大学院では、実際の政策担当者を前に事例研究結果を発表する機会にも恵まれ、2年間の課程を大満喫してから渡米しました。ちなみに、渡米時点ではデータ分析を用いて政策に関する仕事をしたいという気持ちは強くなっていましたが、具体的な研究テーマは特に絞っていませんでした。

ウィスコンシン大学マディソン校の経済学研究科Ph.Dコースに進学後は、コアコースという基礎の理論科目を1年間学び、進級試験に臨みました。東大時代に経済学研究科のコアコースを参考に予習はしていたものの、約半数が脱落する中で選考に残れるか最後まで分かりませんでした。進級後は、先生方はもちろん先輩や同級生、後輩に恵まれながら研究者としての基礎を固め、最終的には労働経済学・教育の経済学・および実証ミクロ経済学を専門とし、就職活動に挑みました。Ph.Dコースは博士前期から後期課程まで一貫教育を旨としているので合計で6年かかりましたが、貴重かつ贅沢な訓練期間でした。

********経済学者の労働市場********
経済学では主にアメリカ経済学会(AEA)が運営しているJob Openings for Economists (JOE)というマッチング機能を通じて仕事を見つけます。AEAの開催時期を挟む形でカナダや欧州のローカルマーケットも開催されますが、トップスクールはJOEにも募集をかけて次世代を担う才能の獲得に努めます。日本からの参加はあまり無く、アジアではシンガポールや中国が最近の常連です。6月ごろまでにアドバイザーと相談して就活することを決め、9月ごろに研究科内でのjob market paper(博論の第一章)の発表を経て学内順位が決まり、そこから11月ごろまでJOEに掲載される応募先にただひたすら出願し、書類選考の結果を待ちます。1月に開催されるAEAの年次総会と併せて開かれる一次面接での選考に残るとFlyoutという現地での最終面接に招待され、2-3月中は人によっては全世界を駆け巡りながら、論文発表を挟んで朝食からディナーまで続く面接に臨みます。この時、応募者側はいくつかのオファーを比較しながら給与含む労働条件の交渉をすることができます。そして、雇用者側はその行動を理解した上で自分たちが採用できる最も優秀でマッチの良い求職者の獲得を目指します。そうして多くの場合は4月くらいまでには就職先が決定します。その後は大急ぎで博論を完成させ、9月から新天地に旅立ちます。

私の最初の就活は主にJOEを通じて行いました。3年前の労働市場では、リーマンショックの影響で3割の公募が消失したことを目撃し、次の年もあまり回復しなかったため、幅広く応募するという戦略をとりました。結果として、民間企業(税務系コンサル)、NPO(教育系シンクタンク)、公的機関(中央銀行など)、大学(アメリカ・日本・台湾など)からいただいたオファーの中からカナダ中央銀行のシニアアナリストとしての就職を決めました。研究の中心であるアメリカに近く、研究サポートがあり、自身と分野が近いミクロデータ分析が専門のPh.Dエコノミストも働いている点などが決め手になりました。よく驚かれるのですが、Ph.D採用枠は国籍を問われませんでした。専門分野のマッチと労働者の質を考えると、国籍を絞っていては必要な要員が確保できないからです。移民国家カナダとしての政策方針も影響しています。

働き始めますと、前提知識の異なる人々と連携しながら政策決定に有用な分析をタイムリーに行う、というのは、近い分野の共著者とじっくり時間をかけて精度の高い分析に尽力する学術研究とは異なる能力が必要になります。時期的にも幅広い政策課題に迅速な対応が求められる中で、当初約束されていた研究機会が徐々に失われた事なども重なって3年後に転職を決意しました。期待された役割を果たせず申し訳無く思うと同時に、金融政策の最前線で働いた経験とその後につながる知己を得たことに感謝しています。なお、他のPh.DエコノミストもアカデミアやIMF、他の中央銀行などに移っており、理由は様々ですが転職自体は珍しくありませんでした。この辺りは日本と少し違うかもしれません。

2回目の就活は北米に残るか日本に戻るか迷っていたので、JOEとJREC-INを併用して行いました。シアトルのアマゾン本社などにも応募してみましたが、最終的には日本のアカデミアへの就職に狙いを定め、第一ステップとして雇用期間が長めの有期ポジションを探しました。開発政策に憧れがあったこともあり、日本の国際協力を担う公的機関であるJICAの研究所の研究員ポジションに応募しました。JICA職員や現地専門員、開発コンサルタントの方々から開発政策について学びながら、ミクロデータを用いた政策効果の分析に取り組みました。ここで途上国に行く機会に恵まれたことは、研究は元より現在の学務に大いに役立っています

3年ほど在籍した頃、査読付きジャーナルへの論文掲載や一ツ橋大学の公共政策大学院での非常勤での教歴が認められ、立命館大学経済学部に専任教員として採用されました。ちなみに関西方面で就職を希望したのは、先に関西の大学で職を得ていたパートナーと同居するためです。現在は、大学院生向けの計量経済学の授業を日本語と英語で担当しているほか、主に途上国の政府機関などから留学している院生に対して修論指導を行っています。そして、この秋からいよいよ学部ゼミを担当します。国内の学部生の指導は私にとっては新たな挑戦となるため、同僚や他大学の先生方に様々な指導のコツを伺っているところです。この秋で3年が過ぎますが、今のところ転職するつもりはありません。いずれは学部を引っ張っていけるくらいリーダーシップを身につけて、大学教育の根幹を支えられるよう成長したいです。

3.就職に成功した秘訣はなんでしょうか?

世界のトップスクールでテニュアを取ったわけではないので、何をもって就職に成功した、と定義づけるかは議論の分かれるところですが、私の能力を十分に活用しさらに伸ばせそうな就職先に勤めているという点においては成功だと思います。せっかく母国に戻ったのに政策から距離があるのは少し残念ですが、研究と教育に従事できているのは私の興味と良くマッチしています。

そもそも、大学院進学を決めた時点で私の能力に傑出したものはありませんでした。環境・情報・金銭支援の3つが揃ったために難関学位を取得し、それがなくては就けない職歴を築くことができたのです。その中でも、一貫して筋の良い教育プログラムに在籍し、的確なアドバイスと励ましを与えてくれる人々に出会い続けたことが一番の成功の秘訣だと思います。特に、進学や就職などの節目において、私の潜在能力を高く評価し、挑戦する機会をくれる推薦者に恵まれたことは何ものにも代え難いです。

就活自体に関しては、広く網を張り、多くの公募にトライする、という泥臭い手法しかとったことが無いので、頑張ってくださいとしか言えません。ただし、心積もりとしては、最終的には1か所、自分が満足できるところにオファーをもらえばよいので、それまでの過程に一喜一憂する必要がない事を思い出してほしいと思います。特に、若手の労働市場は情報の非対称性が強いものです。採用担当者にはあなたの実力やマッチの良さが完全には見えていませんから、しっかりとアピールし、相手を説得するための入念な準備が必要です。Assertiveなコミュニケーションを心がけて、希望するジョブオファーを勝ち取ってください。

4.他の進路と比べて迷ったりしましたか?

大学院進学はそれほど迷いませんでした。教育投資というのはコストとベネフィット、およびリスクを考慮して個別判断する必要がありますが、アメリカの経済学Ph.Dに関してはそれほど慎重に考える必要はありませんでした。Ph.D取得の途中で中退しても十分な収入とやりがいのある仕事に就くことができ、奨学金制度があり、無事修了すればその学位でないと就けない仕事も多く年収は高い。つまり、ダウンサイドリスクが小さく、コストが問題にならず、リターンは大きいのです。潜在能力を推薦してくれる人がいて強い興味があるので挑戦する、というシンプルな結論に従って進学しました。

一方で、最初の就活ではあれこれ比較して大いに悩みました。どの仕事も魅力がそれぞれにあり、すぐ回答する必要がありました。その後、3か所の職場を経験して考えるのは、結局のところ、どの職場でも自分が何を貢献できるのか悩むところからスタートして、失敗したり、小さな成功を重ねたり試行錯誤しながらペースをつかんでいくしかないという事です。政策なのか、研究なのか、教育なのか、その都度ゴールの組み合わせは異なりますが、自分のコアバリューは良くも悪くもあまり変わりませんでした。目標に向けて同僚や仲間に支えられながら地道な努力を積み重ねる、という点では本質的な差を感じることはありません。そういった意味では現時点では進路にあまり迷いはありません。

5.今の生活に満足しておられますか?

難しい質問ですが、満足している時と、悩む時が両方あります。安定した雇用と快適な母国での生活、国内外の若者を育てる社会的意義の高い役割、尊敬する研究者仲間との知的な交流。満足しない方が不自然だと思います。さらに、自主性の高い職種であることやフラットでフェアな職場の人間関係にストレスが最小化されています。そして何より、研究の自由度を確保できることが大学に所属することの最大の魅力です。

一方で、目標を高く掲げれば掲げるほど、自分の不甲斐なさに悔しくなることがしばしばです。インパクトのある研究業績を出したい、効果的な教育者になりたい、プライベートライフを充実させたい、と求めればきりがありません。知足、という言葉が頭をよぎりますが、ああしたい、こうなりたい、と悩むくらいが今後も成長するために必要な負荷なのかもしれない、と渋々自分を納得させることがあります。

6.生きがいや夢をお聞かせください

今後の目標ということであれば、政策と研究をつなぐこと、です。経済学の中でも特にデータ分析を用いた政策決定について、人材育成、研究貢献、そして政策実務者と研究者のマッチング、の3点に注力していければと願っています。今はまだ大学教員として学部教育と大学院教育の両立に取り組み始めたばかりですが、いずれは次の目標に向かって縁の下の力持ちになれればと思っています。

人材育成に関しては、途上国の政府機関からの留学生を指導することですでに一部の夢が叶っているわけですが、日本の政府機関や民間シンクタンクの博士課程人材の育成も後押しできればと考えています。これは直接の指導ということだけでなく、情報の提供を通じて多様なキャリアパスがあることをお伝えし、より高度な学位の取得を応援したいということです。

研究貢献については、日本や世界各国の行政データの分析に関わっていければと思っています。中央省庁だけでなく、地方自治体とも連携してデータ分析を政策に活かすという方向で活躍できればと思います。これはPh.D留学時代の研究経験を最大限に活かしたいということでもあります。

最後の政策実務者と研究者のマッチング、というのは、JICA研究所時代に少し実践してみて上手くいったので、他の政策分野にも貢献していければと考えています。政策実務者が持ち込む現場の問いや、政策課題について、適切な能力と知識をもった研究者とマッチングすることで解決の道筋を探り、政策分析と立案の高度化を図る。両方の世界の強みと弱みを理解しているからこそ担える役割というものがあると確信しています。

7.最後に、若者にメッセージなどお願いします

早い段階で研究者の道を進む能力と気力があることに気づいた人は、世界の頂点目指して一直線に駆け上がるのが得策だと思います。迷うことなく突き進みましょう。ダウンサイドリスクは高くないのですから挑戦するのみです。一方で、悩んだり回り道したとしても、挑戦する者には必ず面白い展開が待っています。私自身、人生の先行きが不透明になることを幾度か経験していますが、最終的にはそれなりに連続性のあるキャリアを形成することができました。

進路に悩んでいる最中は視野が狭くなってしまうことが多々ありますが、どうか思いつめないであなた自身の強みや興味をしっかり思い出してください。今いる場所にたどり着くまでの努力やワクワクする心に嘘はありませんから、大いに自信を持ってください。周りには応援したり、成功を信じてくれている人がいるものですから、そういった人にあなたの良さを改めて教えてもらうのも大切です。冷静な頭と熱い心で、誰のものでもないあなた自身の人生を一歩一歩踏みしめて、いつか大いに社会に還元してください!

関麻衣先生がJICA研究所にて受けたインタビュー記事はこちら。経済学分野のより詳しいご研究の話にも注目です!所属されている立命館大学経済研究科の大学院案内はこちら

他のキャリアパスにも興味がある方はUJAのwebサイト、キャリアセミナーのページへ。

ご自身のキャリア選択体験談をシェアしていただけるかた、キャリアに不安があり相談したいかたも、どうぞこちらまでお気軽にご連絡をお願いいたします。UJAの質問箱でもご質問を受付しております。

一般社団法人海外日本人研究者ネットワーク(UJA)の活動はこちらの協賛企業の皆様に支えられています。

国立研究開発法人科学技術振興機構 ロゴ

日本ジェネティクス ロゴ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?