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家庭から研究の世界へ

さ お り

はじめに

「もし,制限が何もなければ何になりたい?」

この問いかけに対して条件反射的に口をついて出た私の言葉は「大学の先生になりたい」でした。3 番目の子が 1 歳くらいの頃です。当時の私は幼い 3 人の子どもを育てている主婦でした。

私は現在4人の子どもがいる30代の大学院生で,この春から博士後期課程に進学します。恐らく研究者(のたまご)としては一風変わった道を歩んできているかと思いますので,これまでのことを綴ってみようと思います。

大学院進学を諦めた20代

私が大学院進学を意識し始めたのは高校生の頃からです。精神科の看護師だった今は亡き母の影響で「人のこころの不思議」に興味を持ち,大学院に進学して心理学の専門家になりたいと思うようになりました(当時は臨床心理士を意識していました)。一浪して念願の心理学科に入学し,それはそれは楽しい大学生活でした。大学院への進学はずっと頭にありましたが,散々悩んだ結果,将来への不安から進学する決断がどうしてもできず,新卒で就活をして経済的自立を優先しました。

未練いっぱいの会社員時代

就職してからも,卒論の口頭試問での指導教員とのやりとりがずっと忘れられませんでした。「研究の続きはどうするの?進路は?今年の学会で卒論を発表しない?」という指導教員からの質問に対し,「企業に就職が決まっています。研究の続きは後輩に任せます」と私は答えました。正直に言うと,ストレートで大学院に進学した友人たちが羨ましくて仕方がありませんでした。恵まれている人は働かずに進学できていいよねって意地の悪い感情を抱いたこともあります。こんな気持ちを抱きつつも,仕事は仕事でとても面白くて,充実した日々でした。将来的にリーダーになることを期待されており,会社のサイトに私のインタビュー記事が載ったりもしていました。

突然のプロポーズと退職

そんなある日,大学 1 年の時から付き合っていた大学同期の夫から突然のプロポーズがありました。プロポーズは嬉しいけど,このプロポーズには仕事を辞めて転勤先についてきて欲しいという意味もありました。夫の仕事は国内外で突然の転勤が頻繁にある仕事です。当時の私は別居婚を決断できず,寝込むほど悩んだ末に仕事を辞めて家庭に入りました。「私が一家を養うという選択肢もある」と当時夫に提案していますが,妊娠出産の可能性を考えると私が辞めるほうが妥当だろうという判断をしました(今の私達なら別の選択肢も考えるかもしれませんが,今それを言ったところで仕方がありません)。

母になり,起業する

月日が流れ,子どもを授かり私は母親になりました。0 歳児のお世話で疲労困憊している状況で「大学院に進学したい・・・」と言っていたことを今でも覚えています。子育てが落ち着いたら大学院に進学しようというのが日々の子育ての励みでもありました。私は起業にも興味があったので 3 番目の子が 1 歳くらいの時に事業計画を立てるところから学んで乳幼児がいる母親のサポートをする仕事を始めました。この起業には大学院進学の資金を得るという目的もありました。

当時ブログをやっていたので,そのブログに「大学院に進学したい」という夢を書いたら,自称研究者の人から「頭は正気か?」という辛辣な内容のコメントがつきました。あまりにも悔しくていまでも忘れられないエピソードの 1 つです。

主婦,大学院に進学する

4 番目の子が生まれてからもこの仕事を続けていました。転機になったのは,私のもとを訪ねてきてくれた女性たちが立て続けに「私は母親に向いてない」と訴えながら涙をこぼす姿を見たこと。母親になった女性たちの繊細で複雑な気持ちを前にして何もできない自分がとても歯がゆくて。「生物学的に母親なのに,どうして心理学的に母親であることで悩むのだろう?自分に何ができるだろう?」この問題をテーマに大学院に進学して研究しようと決心しました。仕事は一旦休業し,修士課程に進学して研究を始めました。

Twitter「主婦大学院生炎上」

子育てをしながらの研究なので長期履修制度を活用し,3 年間かけて修士課程での研究に取り組みました。修論を一通り書き終え,修士課程で履修した講義が全部終了した頃にある事件が起きました。子育て中の主婦の私が大学,財団,学会からの助成を受けていることがTwitter で広く拡散されすぎてしまい炎上に発展してしまいました(主婦大学院生炎上)。

この炎上はありとあらゆる社会問題を内包していました。「夫がいる主婦がリカレント教育を受けるために助成を受けるべきではない」「主婦が夫の金で大学院に進学して遊んでいる」「給付はこの先未来がない中年の主婦ではなく未来がある若い人に」「主婦が若い人のパイを奪っている」「主婦大学院生は働く気がない」「主婦大学院生は社会の害悪」「主婦大学院生は女性の社会進出を妨げる」などなど,ありとあらゆる非難の声がありました(文面を一部変えています)。

さらに,何故か私の専攻分野に関する根も葉もないデマがあっという間に広がり,特定の属性の人に対して憎しみを抱いていると思われる人たちから一斉にオンラインハラスメントを受けました。なかには,夫や子どもへの誹謗中傷もありました。「主婦」,「主婦大学院生」への偏見や差別,風あたりの強さはここまで酷かったのかと驚きました。

私は「主婦」ですが,現在の家庭の事情で「主婦」なだけです。研究や助成に「主婦」であるかどうかは一切関係がありません。大学院生として研究に取り組む 30 代の 1 人の人間です。事情があって進学の時期がストレートマスターと比べると 10 年数年遅れてしまっただけです(私より若い世代の人たちの修学支援については,私の問題とは別にして議論する必要があると思います)。

主婦とは?

私は主婦を「『家事』または『家事育児』に主に従事するもの」と定義してこの言葉を使っています。私は大学院で研究をしている大学院生ではありますが,日常生活のメインは主婦業(家事育児)です。家庭生活は基本的には 1 人では成り立ちません。なんらかの事情で夫か妻のどちらかが賃金が発生する労働をせずに家庭に入ることもありえます。特に産む性である女性は子どもを授かれば産前産後に仕事を休業し「専業主婦」になる可能性が高い現状もあります。

また,現在の社会のありようでは育児はとても容易なものだとは言えず,家庭を持ってからの再就職や進学は一筋縄ではいかない難しさがあるように私は感じています。自分の力だけではどうにもならない得体のしれない大きな壁が目の前にあるような,越えても越えても無くならないハードルがあるような,そんな感覚すらあります。また,「主婦」というだけで,世間からの偏見やステレオタイプにも私はずっと苦しんできました。私を含め,一言に「主婦」といっても,本当に多様な人がいます。それぞれに「主婦」になった背景や事情があります。

夢への一歩

学部生のときに卒論指導で指導教員の研究室を訪問し,壁一面に専門書がずらりと並んでいるのをみて「いいなぁ!」って心がときめいたことは今でも忘れられません。でも,私なんかが研究者になるのは無理だろうってどこか無意識のうちに諦め,子どもがいる私にはなおさら無理だろうって頑なに思いこんでいたようにも思います。でも,どうしても諦められませんでした。

また,子育てしながらの進学には不安がありましたが,現在の指導教員は子育てをしながら博士号をとった方だし,お世話になった先生方の中にも子育てをしながら博士号をとった方がいらっしゃいます。子育てをしている院生は私の他にも研究科にいます。そんな先生方や院生たちの存在に「私だけじゃないんだ」って私は日々励まされているので,大学教員や大学院生の多様性の大切さを痛感しています。

そして,一歩を踏み出すことは私にとって困難を伴うものでしたが,勇気をだして踏み出してみたら道がほんの少し開けてきました。人生何が起こるかわかりません。一度大学から離れたからこそ,運命のような研究テーマと出会うことができました。一度大学から離れた人が日常生活から研究テーマを見つけ,研究するために大学に戻りやすくなることは大学にとっても社会にとっても好ましいことなのではないでしょうか(社会人の修学費用やその後の進路の問題なども議論が必要なテーマですね)。「主婦大学院生」が炎上しないくらい,一度家庭に入る選択をした女性が進学することがありふれた光景になることを切に願います(もちろん,男性も!)。


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