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海外研究者のキャリアパス|研究者として日本からイギリスへ

執筆者: 井上勝晶
滞在期間: 2008年9月 ~ 現在(2021年3月)
所属: Diamond Light Source (UK)
身分: Senior Beamline Scientist

Diamond Light Sourceでの研究生活

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引用: https://www.diamond.ac.uk/Home/About.html

田舎暮らしが大好きなイギリス人が “ぜひ一度は住みたい” と憧れる、のどかなOxfordshireの片田舎、 Harwell村とChilton村にはさまれた広大な牧草地と麦畑が広がる丘陵地帯の真ん中にあるDiamond Light Sourceは、イギリスで唯一の放射光施設です

銀色のドーナツを地面にぽんと置いたような、あるいは宇宙からの飛来物が着陸してそのままになっているような建物は、周りの緑の風景とはよい対照を成していますがやはりその外観は独特で、もしかしたらここはよいことには使われていないという印象を与えるかもしれません。

実態はイギリス政府が86%、The Wellcome Trust※1 が14%を出資して運営されている共同利用研究施設で、現在約250人のサイエンティスト、150人のエンジニア、そしてテクニシャン(技術補佐員)や事務系の職員を含めると総勢600人近くが働く大きな職場です。
2007年に女王陛下を迎えて華々しく開所した後、施設は“ほぼ”順調に運営されており、 現在30本以上のビームライン※2と大規模な電子顕微鏡施設が稼動し、国内外から数多くのサンプルを受け入れています。

建設が始まった当初から “世界一の研究施設であるためには世界に開かれていなければならない” という理念のもと、職場全体として世界各国から職員が採用されておりエキサイティングな雰囲気を維持しています。

私がDiamond Light Sourceに着任して2021年3月時点で12年半が経ちました。ここでの主なタスクは、X線小角散乱※3ビームライン(HATSAXS Beamline B21)の建設(2013年完成)、ユーザーサポートを含めた施設運営、自分自身の研究を行うことです。研究における専門を簡潔に言うと“X線小角散乱を用いた溶液中におけるタンパク質の構造解析”および“X線小角散乱用実験ステーションの高度化”となります。

海外で働く研究者になることを思い描いた少年期

“研究を仕事にしたい“ と思い始めたのは、今考えると大学教員であった父の影響を受けた小学生時代にさかのぼるかもしれません。

当時はそれほど明確なビジョンがあったわけではありませんが、少し成長して宇宙へのあこがれを持ち始めた中学生のころ、当時、担任の竹上和徳先生に半ば冗談、半ば本気で、“先生、NASAで宇宙の研究をするにはどうしたらええん?(広島弁)” と聞いたところ、“それならマサチューセッツ工科大学にでも行って博士号でもとらんとダメじゃろ。(広島弁) ”とアドバイスをもらったことが、いわゆる一般的な “大学卒業→企業に就職というルートを進まない” 、そして、“いつかは日本以外の国で研究生活を送る” という基礎的方向性を決める初期決定打になったことは忘れられません。

研究のはじまりと放射光施設との出会い

その後、高校を経て、大学に進学する際、興味の対象が“生物的な、しかし、既存の生物学とは違う何か”に移ったところで、シュレーディンガー著 “生命とは何か” に出会ったことがきっかけとなって、当時学問分野としては駆け出しであった“生物物理”学的研究をすることを目標に、以後そこそこ頑張った結果大学4年時にめでたく希望の研究室に配属され研究のスタートを切りました。

与えられた研究テーマは、タンパク質、X線、小角散乱のどれとも全く関係ないものでしたが、同じ研究室で博士課程に在籍していた鶴田博嗣先輩が、つくばの放射光施設“フォトンファクトリー(通称PF)”でX線小角散乱の実験をされていて研究室のメンバーにもビームタイムが割り当てられていたこともあり、PFでの実験の手伝いを通じて共同利用施設の研究員という仕事が意識の中に入り込んだのは間違いありません。

ちなみに鶴田先輩はドクター取得後、スタンフォード大学の放射光施設にポスドクとして着任され、その後ビームラインサイエンティストとして活躍されました。このことも後の進路選択には少なからず影響があったと思います。

予想外の出来事、そして青年海外協力隊

大学卒業時、時代はバブル景気の最終盤でしたがそれでも卒業生一人に対して4社から5社の内定が出るのは当たり前でした。しかしそんな状況に関係なく修士課程、博士課程に進むことを迷わず選択し、ドクター取得以外の先のことは考えず目の前の実験をこなして毎日を過ごしました。

思い通りに行かないことは起こるもので、博士課程2年の後期に学科内および研究室内の事情が大きく変わり、博士課程の最終年は実験ができないこと、それとあわせて3年でドクターが取れないことがほぼ確実になりました。

このときは流石に呆然としました。

そして失意の底で、博士課程を中退し青年海外協力隊を目指すことを決断しました。実際青年海外協力隊の試験には合格し、ガーナに理数科教師として赴任することも決まりました。青年海外協力隊という選択は自分としては決して後ろ向きなものではなく、2年間の赴任期間中に休暇等を利用してできるだけ多くの外国の研究室や大学を訪問し、外国でのドクターの取り直しに向けた準備期間にするという目論見でした。

しかしあと1ヶ月でガーナ赴任のための訓練合宿に入るというタイミングでまた研究室内での事情が大きく変わり、完全ではないまでもその時点までの実験結果をまとめた論文がアクセプトされればドクターを取得できる可能性もあることを教授から諭され、苦渋の決断の末、退学届を提出する代わりに青年海外協力隊に辞退願いを提出しました。

研究を仕事にする足がかり

結局3年次に論文はアクセプトされたもののドクター取得の目処は立たず4年目を同じ状況で過ごさざるを得なくなりました。2年連続2回目ともなると茫然自失ということはありませんでしたが、流石にまた青年海外協力隊というわけにもいかず、さらに4年目が終わるときにはドクター取得の成否に関わらず博士課程は修了するという規定もあり、4年次の4月にはとにかく就職活動をはじめました。

といってもアテもコネもない状態だったので、手始めに日本化学会誌の求人欄で見つけた理化学研究所の基礎科学特別研究員に応募することにして、名前からして当時の自分の専門に最も近いと思われた “生物物理研究室” に狙いを定めて主任研究員の植木龍夫先生にコンタクトを取りました。建設中だった大型放射光施設SPring-8の建設現場での顔合わせが決まり、その場で特にPFでの経験を強調して研究内容を伝えたところ、驚いたことにすぐに採用が決まりました。折よくSPring-8では建設要員の確保が優先事項の一つだったための即決と思われますが、とにかくこうして放射光施設でのキャリアのスタートラインに立つことができました。

エキサイティングな10年間と転機

その後2年間を基礎科学特別研究員として過ごし、1999年に高輝度光科学研究センター(JASRI)の研究員に採用され、放射光ビームラインの建設、ユーザーサポートとビームラインの整備高度化、X線小角散乱によるタンパク質の構造解析という、現在の仕事と同様のキャリアを重ねていくことになります。

年間の3分の2を24時間体制で毎日入れ替わる外部ユーザーの実験サポートに、残りの3分の1を実験施設のメンテナンスと高度化に費やすSPring-8での時間は、忙しく目まぐるしいながらも本当にエキサイティングでしたが、10年目をむかえる頃から仕事に対する大きな行き詰まりと言いようのない焦りを感じるようになり、とにかく自分自身の状況を変えるため転職することを決意しました。

イギリスDiamond Light Sourceへ!

毎週のように国内の大学やよその研究所に応募書類を送りましたが連戦連敗で自暴自棄になりかけたところで現在のポジションの公募を見つけました。当時イギリスでは、それまで30年近く稼働してきたDaresbury研究所の放射光施設を取り壊し、Diamond Light Sourceの建設が進められているところでした。

採用される確率はものすごく低いだろうと思いつつも応募すると、予想に反して最終面接のインビテーションが届き、すぐに現地での面接の日程も決まりました。プレゼンテーションと面接は拙い英語でなんとか乗り切ったものの手応えを感じるには程遠く、帰路で眺めたDiamond周辺に広がるのどかな景色が手の届かない遠くにあるもののように感じたことを思い出します。結果として3週間後に採用通知が届き、生まれて初めて喜びと驚きで手が震えるという経験をすることになります。

いかに自分自身を支えるのか

ここに至るまで挫折とも言えるいくつかの節目を経験しましたが、一貫して研究者でありたいという“思い”を持ち続けたことが自分を支えてきたことに間違いはありません。また、若いころに日本以外の国で長期間過ごした経験もなく、頼るコネもなかった私がイギリスで研究できていることも、同様にいつかは外国でという “思い” を持ち続けた結果です。思っているだけでなんとかなるほど甘いものではありませんが、思い続けることがなければ何も始まりません。

一方で渡英後の12年半を振り返ってみると、Diamondでの仕事は日本で勤務していたSPring-8での仕事との共通点も多く、蓄積した経験が活かせたことは大きな助けとなった一方で、その経験に期待されていることもよくわかっていたので、それをうまく取り入れることができなかったり、取り入れようとしてもうまく伝えることができなかったときには大いに落ち込みました。

そういうときにイギリス人の同僚はいつも “Enjoy!” とか “Have fun!” などと励ましてくれるので、 なんだか落ち込むようなことでも楽しまなければいけないという気分になってかなり救われました。よくないことをきちんと受け止めつつそれを前向きに、ともすると楽しむくらいの気持ちでよくしていくという高度なメンタリティをこの国の人たちに教わりました。

イギリスでの生活

仕事を離れた生活面では、まず食に関してはステレオタイプにいわれるほど悪くはないと思います(決してベストではありませんが)。イギリス人によると特に2000年代後半にイギリスの食事はいい方向に大きく変わったそうで、確かにどのパブに入ってもおいしいものが食べられるし、様々な国の料理店も増えほんとうにおいしい。

日本食の食材は車で20分くらい走ってOxfordまで行けば基本的なものの購入に苦労することはないし、新鮮な魚もある程度手に入れることができます。今住んでいるAbingdon-on-Thamesは古い町並みが残るテムズ川沿いのきれいな町で休日に川辺を散策するのも悪くない。

よくないことといえば、特に公共サービスの点では日本と比較して圧倒的に不便なことが多く、日本がいかに便利に暮らせるようになっているかをいまだに痛感します。イギリスの天候は、ステレオタイプにいわれる感じに近いので、日本の暑い夏が無性に恋しくなるし、そしてなんといってもたまには温泉につかりたくもなります。しかしそのようなよくないことに遭遇しても、晴れた日に家族でのんびり散歩をしているとたいして気にならなくなるので差し引きゼロなのかもしれません。

研究者としてのキャリア継続を考える上で

研究者として生活していく上で、キャリア継続のため限られた時間の中で成果を挙げなければならない状況や、そのプレッシャーを乗り越えてもなお困難な状況に遭遇することは、多かれ少なかれ誰もが持つ経験かもしれません。

特別優秀でもなく順風満帆な研究生活を送ってきたわけでもない私が、人生の節目で訪れた “絶好の” チャンスを活かして生き延びた経緯を読んでいただくと、たとえプレッシャーに潰されそうになったり失敗に嘆くことになったとしても、“思い” を持ち続けていればチャンスを見いだし、それを活かす確率を飛躍的に上げることができるということに気づいてもらえるのではないかと思っています。

その上で日本国外でのキャリアを考える時、実現を必要以上に難しく考えることもあると思います。しかし、本質的にやるべきことは日本で勉強したり働いたりする場合と違いはなく、やはり自分がどこまでの ”思い” を持っているかでうまくいくかどうかが決まるように思います。

勿論文化や習慣の違い、同じ作業でもやり方が違うなど、戸惑うことも多くあると思いますが、受容→咀嚼→対応という過程は国や場所や言葉の違いには関係なく乗り越えられることだと思います。どこにいても楽しいことと苦しいことは半分ずつやってきます。変化や違いを楽しむ気持ちが大切です。

追記

2021年3月8日にイギリスではロックダウンが一部緩和され学校が再開されました。今後ロックダウンは6月末までに段階的に解除される予定です。この想像もしなかった困難な状況下で、Diamond Light Sourceでは2020年4月以降外部ユーザーの受け入れを停止し、サンプルを郵送で受け付けて研究活動を継続しています。

一方で医療機関への器具の無償提供や独自PCR検査の実施など、研究施設としての社会貢献も積極的に進められています。個人としてもこの機会に、研究者として何ができて社会の一員としてどう貢献するのか、あらためて考えることが重要だと感じています。

※1 The Wellcome Trust
イギリスに本拠地をもつ医学研究支援などを目的とする公益信託団

※2 ビームライン
電子を加速するシンクロトロンによりつくられた放射光を取り出し、実験に利用するための設備

※3 X線小角散乱
X線を物質に照射し、散乱したX線を測定することにより、タンパク質などの物質の構造を解析する手法

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