卒業ないしは卒業後のこと

三月下旬、わたしは大学を卒業した。コロナ・ウイルスの流行がキャンパス・ライフのほとんどを覆っていた大学生活であった。
授業のほとんどはリモートで行われた。わたしは家庭内のあまりの息苦しさに、外出する理由を求めて、ウーバーイーツの配達員として仕事をはじめた。授業や就職活動の時期を除いて、ほとんどの時間をこの配達の仕事に捧げた。そのせいで卒業するころには容姿に似つかわしくないほど太ももの筋肉が肥大化し、就職活動に使っていたスラックスは入らなくなっていた。他のパンツ類もすべて買い替えが必要になったが、いまだに捨てきれていない。
四月上旬にはわたしも一介の社会人になる。それまでにやり残したことをやらねばならないと思うが、いまのところなにひとつとして終わっていない。
・部屋の掃除
・会社の資格取得のための勉強
・五大新人賞にむけた(100枚以上の)小説のプロット作成
・ウーバー・バッグの処分
以上がやり残したことなのだが、一番簡単そうなのはウーバー・バッグの処分である。そもそもウーバー・バッグ(ウバッグと略称されることがあるのでここでも以下ウバッグとする)は支給品ではなく、ウーバーの正規サイトで自費で数千円で購入しなければならない。Amazonをみているとウバッグに似たもっと安いバッグが売られてはいるものの、ウーバーとしてはウバッグの利用を推奨していたものと記憶している。わたしは配達員を始めた当初、それでなにか面倒があってもいやなので自腹を切って正規ウバッグを購入したのだった。
それが今では(これから一週間後には会社員になるわたしには)無用の長物と化してしまった。自室はせまく、仕事がリモートでカメラを映すとなったときに、このウバッグが独特の迫力をもってわたしの背後を占拠することになる。だから一刻もはやく、わたしはウバッグを処分しなければならない。
処分、という言い方をしたのは、「捨てる」以外にウバッグを処理する手段を考えついていたからだ。「譲渡」または「売却」である。「譲渡」。これは大学にウーバーイ—ツの配達員をしたい後輩がいれば、なんなく行えたのだが、仲の良い後輩はすくなく、もちろん配達員志望の後輩はそのなかにはいなかった。次に「売却」だが、ウバッグをメルカリで検索してみると5000円で売却されている事例がみつかった。とはいえ配送料は出品者負担。発送だけで数千円することだろう。わざわざ配送のために梱包したり集荷を頼んだりする手間を考えたら、たかだか千円か二千円の利益のためにメルカリに出品するのも億劫になってきた。(こんなことを書いている間に出品できたというのに!)
やはり「捨てる」しかないようであると結論づけて、ごみ収集日のカレンダーをみた。おそらく不燃ごみだろうウバッグの命日が決まった。
このように一つの意思決定が終わると、分銅が一個秤からおろされたように心が少し軽くなった。こうして一つずつ意思決定をしていって、一個ずつ分銅を秤からおろしていこう。
ふと秤のもう片方には何が載っているのだろうかと思った。わたしは不安になった。なにか得体の知れないものを抱え込んでいて、それが解放にちかづくたびにわたしは心が軽くなったように感じている。そのなにかがなんであるかわからないうちは危険だ。そう思った。あるいはなにも載っかってなどいないのではないか? それはそれで問題である。不安要素を取り除いていったさきに、なにもない。わたしにはやるべきことがなにもない。それが一番恐れるべきことなのかもしれないと思った。
ひとはやるべきことがなにもなく、また、世界からのまなざしがないとき凶行に走りがちである。孤独で冷静でエネルギーだけがある。そんな状態はかなり危険で、(社会的視点からすると)悪い暴走を起こす可能性がグンと高まる。
わたしは大学を離れて、そういった条件にあてはまる人間にならないために、孤独にならないために、Twitterやnoteをはじめたのだった。ふだんの呟きやこの文章を読んでくれる方々のおかげでいまのわたしは保たれているといっても過言ではない。大学卒業後も、社会人になってからも、変わらず文章を書き続けるので、ひとりでも読んでくれるひとがいれば幸いです。

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