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20歳の青年、まちの老舗そば店をつぐ。こども達の地元愛をはぐくみ、ひとが集う『うらほろ』の魅力って?(廣岡俊光)

■ うらほろに行ってみた

 帯広からも釧路からも、クルマで約1時間。太平洋に面した人口4,473人(2021年住民基本台帳より)のまち、浦幌町。

  まちで94年続いた老舗のそば店が店を閉じたというニュースを、今年まだ寒い時期に読んだ記憶があったのですが、6月にはいって後継者が修行を始め、期間限定で店が営業を再開したという記事を目にしました。

「見つかってよかった」
「後継者問題はどの地域でも課題だろうなぁ」

 そんなごく一般的な感想をもちながら、記事を読み進めたわたしは驚きました。そば店の後継者として名乗りをあげたのは、なんと地元出身の20歳の若者だというのです。

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 実は「浦幌がいまおもしろい」という話は、さまざまな人をとおして耳にしていました。

 まちの未来をえがくさまざまな施策に、まちの外からやってきた人たちがめちゃくちゃ関わっているらしい・・・独自の教育システム『うらほろスタイル』がすごいらしい・・・などなど。

 家業ではない飲食店を継ぐ。ハタチの決断の理由は一体なんなのか。ぜひ話を聞いてみたい。そしてなにより・・・うまいそばが食べたい!!

 一週間の生放送を終えたわたしは、その足で札幌を出発し、夜の高速道路を東へと走りはじめたのでした。(文・取材:廣岡俊光)

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■ うらほろスタイルとは

 浦幌町のさまざまな取り組み・・・特に独自の教育システム『うらほろスタイル』に関しては、地域おこし協力隊としてまちに関わる古賀詠風さんが、noteでアンオフィシャルに網羅してくれています。こちらを読んでから読み進めると、話が分かりやすいと思います。

 わたしなりのざっくりとした認識としては、

『地域でこどもを育てよう』という、どのまちだって達成したい目標に対して、浦幌のまちのおとな達は、まちの外のおとな達も巻き込みながら、こども達と本気で向き合い関わるということに、14年も前から取り組んでいて、こどももおとなも、まちの未来をあかるく語れる人が確実に増えている。進学や就職でまちを離れた、離れざるをえなかった若者も、再びまちに戻って起業したり、まちのこれからに積極的に関わろうとする動きがみられる。

 こんな感じでしょうか。

 ちなみにえいふうくんは、今回念願かなって浦幌を訪れたわたしを、まちの人に会わせてくれたり、色々な場所に連れていってくれました。えいふうくん、本当にありがとう~!!

  というわけで、前述のそば店『かし和家』さんにお邪魔し、とっても美味しいお蕎麦をいただいたうえで、現在絶賛そば打ち修行中の、近江幹太さん(20)に話を伺いました。ところどころで、えいふうくんも話を補足してくれました。

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■ かっこいいおとながいるまち

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―― 地元でこういうことをやりたいって思えるまち、すごいですね。

 はい・・・すごいと思います(笑)。

―― まず単刀直入に。浦幌でやっていくことに迷いはありませんでしたか?

 うーん、けっこう迷いはありました。ずっと浦幌に住むという覚悟が、最初はできていませんでした。そこに関しては、自分のなかで考えて、決めたという感じです。

―― なるほど・・・他の選択肢はあった?

 いつかは浦幌に戻ってきたいとは思っていたので。でもそれが『今』というのはあんまり考えていなくて・・・でも、お蕎麦屋さんの話をいただいて「あ、今なのかな」って考えました。

―― 『うらほろスタイル』で小学生・中学生と学び通した最初の世代と聞きました。今回の決断に、そこで学んだことはなにか影響はありましたか?

『うらほろスタイル』は、幹太さんが小学1年生の時にスタートしました。つまり、義務教育の全てを『うらほろスタイル』で受けてきた一期生です。

 まちにかっこいいおとながたくさんいるというのは、うらほろスタイルの教育を受けていく中で感じていたので、次は自分がそういうおとなになりたいっていう気持ちになってきたのかなっていうのはあります。

  ぼくらが中3の時にやった『地域活性化案をまちに提案する』という取り組みも、いまは提案するだけではなく、自分たちで実現するところまでやっているらしくて、それってすげー!って。下の世代、すごいなって思いますね。

<えいふうくんによる補足>
 これまでにこども達の提案がもとになって、浦幌の町花ハマナスを使った化粧品『rosa rugosa』や、まちのキャラクターができあがりました。

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「道の駅うらほろ」でわたしもお土産として購入した rosa rugosaの化粧水。他にハンドクリームなども大人気で、道外のイベントからも声がかかっています。ハマナスの栽培から商品開発・販売まですべて手掛ける森健太さんは、浦幌町の地域おこし協力隊から、そのまままちに定住・起業という、とっても「うらほろ的」な経歴の持ち主です。もりけんくん、忙しい中ありがとう~!!

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  まちのキャラクター「うらは・ほろま」。町の鳥アオサギがモチーフとなっています。2008年うらほろスタイルで学んでいた当時の中学生達が生み出したそうです。まちのマンホールのデザインにもなっていました。

 さらにことしからは、実際にやってみるところまでということで、カフェを計画する班があったりと、様々なことが予定されています。

―― 幹太くんのさらに下の世代も楽しみですね。「うらほろスタイル」の教育を受けた世代が、まちで実際になにかを始めるフェーズに入っているように感じます。同じ世代でやっていくぞ、みたいな雰囲気はあったりするんですか?

 同級生と一緒になにかやりたいというのはずっと思っていました。浦幌を離れた友人が戻ってきたりして、ちょっとずつ「浦幌でもなんかできるんじゃない?」っていう人たちが増えてきているのかなと感じています。そういう人たちと一緒に、浦幌のためになにかやって、それを見てまた次の人たちが・・・と、どんどん浦幌に仲間たちが集まってきたらいいなって思います。

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■ 信用できるおとながいるまち

―― いきなり話はかわりますが、そば打ちの修行って大変そうですよね?

 いやー、めちゃくちゃ大変ですね。これまでやってきた人たちはすごいなと思いますね。頭パンクしながらやってます(笑)。

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かし和家のそばは、いわゆるやぶそば。釧路の東屋竹老園などが有名な、クロレラが練り込まれた鮮やかな緑色のそばです。これが浦幌でもいただけるとは!とても美味しかったです。

―― 飲食店をやることについてはどうだったんですか?

 浦幌で将来なにかできたらいいよねっていう話し合いを、去年5月くらいから同級生達としていて、そのなかでも「やっぱり飲食店やりたいよね」っていう話は出てきていました。でも「オレら料理できる人いなくない?」って(笑)。だから飲食店に抵抗感はなかったです。自分がやりたいことに、飲食店から繋がりそうだなっていうのは感じたので、やろうかなと。

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―― 若い人たちが、まちでなにか始めようと考えやすい土壌がこのまちにはあるんでしょうか?

 たぶん浦幌じゃなかったらできていないと思います。そこが浦幌のすごいところかなぁ。

―― 浦幌ならできる、と思うのはいったいなぜ?

 「やべ!」ってなったときに、助けてくれそうなおとながいっぱいいるというのがあると思います。「挑戦してもいいよ」という人たちがいっぱいいる環境が、浦幌にはあるのかなと思います。

―― おとな達がちゃんと見守っていてくれる安心感・・・みたいなものかな?

 そういう人たちを小さな頃から見ていたというのが大きいかなと。おとなになってから出会った人ではなく、小さい頃からずっと関わってきたおとな達といまも関わらせてもらっていて。小さい頃から地域の人たちのことを知っているので、まちのひとを信用できるからかな、と。

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―― まちの人を信用できる・・・それは本当にすごいと思います。『うらほろスタイル』で、おとながこどもたちに積極的に関わるという姿勢は、いまも変わらないんですよね?

<えいふうくんによる補足>
 変わっていないどころか、さらに増している気がします。たとえば来週、学校のある授業に、30人弱の生徒に対して17人の地域のおとな、先生4人、ぼくみたいな関わり方の人が4人・・・ほぼマンツーマン状態です(笑)。

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―― えいふうくんや森健太さんのような、自分より少し上の世代の動きは、幹太くんの目にはどう映っていますか?

 浦幌出身ではない多くの人がまちに関わってくれているんですが、正直高校生のときとかは、この人たちはなんで浦幌に関わってるんだろうって思っていました(笑)。なんでそんなに浦幌に関われるんだろうって。

 去年の4月に就職でまちに帰ってきて、十勝うらほろ樂舎という会社に入って、まちの人達と関わる機会がたくさんありました。

 そこでは、みんなが「浦幌のために」と言って仕事をしているんです。やっぱり地元で仕事をするようになってから感じることが多かったですね、「浦幌ってやっぱりすごいんだな」って。だから地元じゃない人でも関わりたくなるんだろうなと。

―― おとなになって気づいた、まちの『引き寄せ力』みたいな?

 そういう人たちが関わってくれていることも、浦幌で育つ子どもたちにとっては自慢になりますよね。浦幌出身ではない人が関わってくれているのは、すごくありがたいし、自慢できることだし、だから浦幌すごいなって感じるのかなと思います。

―― いい話をたくさん聞かせていただいて、本当にありがとうございました。そばの修行もがんばってください!!

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■ うらほろ、すごくいい

「地元でもなにかできると思える」
「まちのおとな達を信用できる」

 今回、そば店の後継者に名乗りをあげた近江幹太さんは、『うらほろスタイル』が立ち上げから目指してきた、ひとつの姿なんだということが、よく分かりました。

 ただ教育は、かたちを真似しても結果が目に見えるようになるまで、とても時間がかかるものです。高校の廃校というネガティブな出来事を契機に、まちの未来をになうこども達と向き合うことに14年も前から取り組み、いまなお前進し続けているすごさを感じました。

 浦幌の人たちに実際に会いに行ってみると、理屈抜きで純粋に「それ面白いなぁ…」「めちゃくちゃ楽しい!」と感じることばかりでした。その魅力を誰かに伝えたくなるまち。関わりたくなるまち。またぷらっと訪れたくなるまち。

  この旅の道中、いったい何度口にしたか分かりません。

「うらほろ、すごくいい・・・」

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■ 出会えた皆さんに感謝

※ここからは、旅のスペシャルサンクス的にお届けします。

★『ハハハホステル』 

 今回泊まった宿です。フルリノベーションして、7月オープンしたばかり。この宿のカウンターで、リビングで旅人たちと地元の人たちが交わって、これからどんどん面白いことが起こるんだろうなぁ~と、とっても楽しみな場所です。

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  右が宿のオーナー、小松輝さん。徳島生まれで浦幌町地域おこし協力隊から、仲間と文字通り手作りで宿を開業させたすごいおとこです。左はありささん。釧路出身で、ことし東京の会社をやめて浦幌に移住。こういう若者の存在がごく普通なまちです。状況が落ち着いたらまた泊まりに行きます。こまつくん、ありささん、ありがとう~!!

↑ 動画のイケメンは、今回2日間一緒に旅してくれたメンバーのひとり、宍倉憂哉さん。現役大学生です。

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 そして、ハハハホステルで偶然一緒になって、いろいろ話を聞かせてもらった、浦幌出身の吉田蒼汰さん。顔写ってなくてごめん(笑)。

 しっしー、そーたくん、ありがとう~!!

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★昆布刈石展望台

  こぶかりいし、と読みます。地球は丸い。絶景。北海道の大好きな風景のひとつになりました。

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  奥が野澤一盛くん。ドット道東のメンバーで、今回の旅のコーディネートを全面的にお願いしました。2日間クルマを走らせ、十勝エリアの素敵なひと達にめいっぱい会わせてくれました。

  真ん中は前述のイケメン大学生しっしー。手前はインタビューにも登場してくれた、古賀詠風くん。五輪マラソンコース移転にともなう #札幌discover のムーブメントを生んだ張本人です。「みんテレ」の電話インタビューから1年半。ようやく浦幌へ足を運べて本当にうれしかったです。

 10代、20代、30代、そしてワタクシ40代。きれいに揃った(笑)。しげのざくん、しっしー、えいふうくん、ありがとう~!!

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★浦幌町立博物館

 去年、コロナ禍の日常をアーカイブするという試みが、全国的にも話題になった浦幌町立博物館。今回自分が行きたかった場所のひとつです。

 かし和家の代替わりに際して、こんな資料収集も行われたようです。面白い。

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  館長の持田誠さん。本当にていねいに説明していただきました。何を聞いてもお答えいただける博識ぶりに、歴史好きのわたしの心はずっと、うずきっぱなしでした。持田さん、ありがとうございました~!!

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★留真温泉

  るしんおんせん、と読みます。温泉だって、サウナだってある浦幌町。とても気持ちよかったです~!!

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『.doto』 

    ドット道東・・・『理想を実現できる道東にする』という目標を掲げ、道東の各地を拠点に活動するクリエイター集団です。

↑ 現在、1000人の理想を集める道東のアンオフィシャルビジョンブック制作に向けたクラウドファンディングも佳境を迎えています。

   そんな.dotoの新企画のスタートにも浦幌が選ばれていました。今回わたしが行けなかった場所にも、たくさん足を運んでいて、いいな~の一言。浦幌はまだまだ奥が深くて楽しそう!!

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 そしてたまたまこれを書いている時点での雑誌の最新号に、浦幌が取り上げられているのを発見しました。興味がある方は、手にとって読んでみてはいかがでしょうか?

・「HO」2021年9月号
・「スロウ」vol.68 Summer 2021