歩みの話。

7日間チャレンジの4日目。折り返しに来ました。書き溜めていた原稿が出ていくペースと、新たに書いていくペースが明らかに釣り合わず、これから果たしてどうなることやら・・・。でもこのチャレンジが神様から与えられたものなら、きっとどうにかして成し遂げる力もまた、与えられると期待しています。

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、ことを行わせてくださる方です。(ピリピ人への手紙2章13節)

そもそも今回のチャレンジは、Facebookに聖書の言葉を投稿して、コロナのかわりに福音を広めよう、というバトンを受けたところから始まりました。ただ一言投稿すればいいところを、このように長々と書きながら、公衆の面前で丸裸をさらすようなことを敢えてしている理由は、一つは、僕のタイムラインに毎日聖書の言葉が投稿されるのを見て、古くからの友人をはじめ周りの人たちとの間に、何らかの見えない「溝」を作ってしまうのがいやだったこと。それから、僕の心の中に、このストーリーが届いたらいいな、と願っている人たちがいることです。ついでに、明日以降書いていくつもりの、今後僕が取り組もうとしているいくつかの活動について理解してもらいたいということもありました。こうした色々な思いが頭にあったので、チャレンジの話を聞いたときに、ああ、これはやらなきゃな、と思ったのですが、めちゃくちゃ不安でした。僕みたいな未熟な信仰者のせいで神の言葉を歪めて広めてしまうことは、下手したらコロナよりも害悪ですから・・・・。

でも、このチャレンジは神様から来たものなのでは、と考えたとたん一気に気持ちが楽になりました。そうだとすれば、私が働くのではなく神様が働いてくださるはずだからです。最高のプレゼント(神の言葉)を汚い器(僕)に入れて届けているせいで、随分と受け取る人は困惑するだろうけれど、そのヒビと欠けだらけの器から漏れてくる光に、親しみを感じてくれる人もひょっとしたらいるのではないか、と。

信仰を得てから6年弱になりますが、優柔不断であがり症、ネガティブ思考で逃げ腰な私が、「神が共に働いてくださる」と信じることでこれまで何度力を得てきたことか、数えることができません。簡単な例では、大事なプレゼンの前、いつものように心臓がバクバクしだすと、必ず祈ります。不思議とすぐに緊張から解放され、自分でも信じられないほど、自信をもって人前で話せるようになります。その他、何をするときも、どんな言葉を発するときも、いつも祈り(祈ることは、神様と会話するということです)、神様と一緒にそれを行いたいと思っています。これは僕だけのことではなく、クリスチャンの誰もが、日常生活の中で、神様が自分のそばにいて、自分と共に働いてくださっていることを経験していると思います。

人生の進路の選択も同じだろうと思います。私が教会に通い始めてしばらく経ったとき、ある方に悩みを打ち明けたことがありました。

神様を信じて洗礼を受けたいと思っているけれど両親が反対しているので無理。長年お付き合いをしている彼女と結婚を考えているけれど僕が洗礼を受けるまでは結婚しないと言っている。しかも、彼女はオルガニストで、なんとヨーロッパに数年間留学に行くことにしたらしい。ただでさえ東京‐京都の遠距離恋愛なのに、そんな超長距離に耐えられる気がしない。僕は僕で、今勤めている会社を辞めようと思うけれど本当に自分のやりたいことが別のところでできるか不安。どうしたらいいのか、全然わからない。

相談を受けたその方は、笑顔で一言、確かこういうことを言いました。「神様に任せようよ。バラバラに見えるピースが不思議と一つにあつまってくるかもよ。」

そして、本当にその通りになったのです。

僕は両親とは、中学生の頃に反抗期を迎えてまともに口を利かなくなって以来、殆ど腹を割って話したことがありませんでした。そんな僕が突然、教会に行っている、洗礼を受けたい、などと言ってきたので、さぞびっくりしたことでしょう。でも、実家に帰っていたある日、突然父が夕食に行こうと誘ってきました。父とサシで外食するなど、生まれて初めてでした。色々な話ができました。いつも母の尻に敷かれてばかりで頼りないとしか思えなかった父が、どれだけ深く僕を愛し、自分を犠牲にしてここまで僕を育ててくれていたのか、初めて知りました。結局その日は、洗礼はダメだ、母も親戚も納得しない、と言われましたが、晴れやかな気持ちでした。

その半年後、益々洗礼を受けたいという僕の気持ちは大きくなり、改めて父親に相談しました。信仰を持つようになった背景を手紙にしたためて、今から送るから読んで、と電話したところ、あの頼りない父から、次のような答えがありました。「わかった、手紙は送らなくていい。あとは任せて。」

そして、洗礼を受けた日、母から「おめでとう、よかったね」とメールがありました。両親からの愛を深く気に掛けることもなく受洗に向かおうとしていた私を踏みとどまらせ、神様はこの上ない形で両親との和解の機会を与えてくれたのだと気づきました。

当時スイスへの留学を計画していた彼女は、望むような結果が得られず、結局帰国しました。しかしその後、結婚してから、僕のフランス留学に仕事を辞めてついてきてくれ、そこで思ってもみなかった素晴らしい先生と出会い、結局2年近く、パリでオルガンを学ぶことになりました。バッハが専門でドイツ文化圏への留学を希望していて、ドイツとフランスでは裏千家と表千家ぐらい違うため、当初は全く想像もしていなかった展開でした。

僕は仕事を辞めて大学院に進学しました。その過程で、フランスで国際機関のインターンシップをすることになりました。留学開始前、上司になる人から「来るのはいいけど、ここであなたができることは殆どないと思う」と言われ、何としても結果を残さねば、と緊張していました。しかし、いざ仕事が始まってみると、運よく活躍の場が与えられ、様々なプロジェクトに声をかけられるようになり、きちんと給料を払いたいとオファーをいただき、当初よりも滞在を延長することになり、それで当面の生活費用を賄うことができました。

出来すぎたような話ですが、見事にバラバラだったピースが一つに集まったのでした。もちろん、これらは全て僕たちの思い通りになりました、という自慢話ではありません。願ったことはけっこう叶わないことが多いのですが、それでもあとあと、願ってもいない形で、いつも最善の道が用意されていたことに気づく、という話です。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)

たしかに、ちょっと出来すぎてるなぁと思います。あとあと本当に辛い試練に合わせられるのかもしれないなぁ、とも思います。そのときも、きっとすべては益となる、と信じ抜けますように、とただ祈ることしかできないです。

全ての創造主であり全知全能の神が、こんな私と共に生きて、働いてくださる。そんなウソみたいな話が本当だった、という話でした。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^




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