見出し画像

【Podcast台本公開】漫画とうごめき#1

Podcast収録の際に作成した台本を公開します。
※そのまま掲載しているので、誤字脱字、変な表現もあり読みづらいかもしれません。

今回掲載するのは、毎週1つの漫画をテーマに語る「漫画とうごめき」というPodcast番組の#1の台本です。
実際の音声聴きながら読んでみてください。

◎Podcastの内容紹介

#1 -『キスしたい男』から読み解く彼と彼女の物語。憧れなのか?恐怖なのか?

漫画家タイザン5さんの作品『キスしたい男』を独自の視点で読み解きながらご紹介。今回は〈期待と恐怖〉そして〈共に回るエネルギー〉という、二つの概念を用いて語っていきます。


※この番組は全力でネタバレをします。漫画『キスしたい男』をまだ読まれていない方は、まず先に『キスしたい男』を読まれてから、本エピソードをお楽しみください。


台本


この番組は、”フィクションは時代を映し出す鏡である。”という考えをもとに、読切漫画などの短編ストーリーを抽象化して、そこから読み取った現代の価値観や概念を語っていく番組です。 思考と物語がうごめき合うPodcastということで番組名は「漫画とうごめき」という名前でやっております。
はい。では、記念すべき第一回のタイトルです。
「漫画「キスしたい男」から読み解く彼と彼女の物語。憧れなのか?恐怖なのか?」
です。
ということで、今回は「キスしたい男」という漫画について語っていきたいと思います。
この「キスしたい男」という漫画は、ジャンプ+というWEB漫画メディアに掲載されている読み切り漫画なのですが、無料で読むことができます。
作者はタイザン5という、最近「タコぴーの原罪」という連載漫画で注目された漫画家さんです。
この「キスしたい男」は「タコぴーの原罪」を連載する半年前に配信された読み切り漫画ですね。 この漫画を簡単に紹介すると、特徴的な可愛い絵柄でありながらも、シリアスでファンタジックなストーリー展開が楽しめる作品です。
では、この「キスしたい男」をテーマに話していこうと思いますが、その前に注意事項です。
まず、このPodcastでは、ストーリーから感じ取った解釈や抽象的概念を話す性質上、完全にネタバレします。
なので、この漫画をまだ読んだことがない方は、一旦このPodcastは止めて、まず先にジャンプ+で漫画を読んでから続きをお聞きください。今回の収録時点では無料で読めますので。
また、これから紹介する漫画のあらすじなどの内容は、あくまでも僕の視点と解釈です。
作者がどういうメッセージを伝えようとしていたかということを語るのではなく、あくまでも一人の読者のイチ解釈として聞いていただけるとありがたいです。
物語の解釈は読んだ人の分、無限にあり得ると思うので。
はい。では、よろしいでしょうか。

あらすじ


では、まずは簡単に「キスしたい男」のあらすじを話します。
この作品の主人公はレオという名前の16歳の男の子で、高校には通わずに朝から深夜までバイトをしまくってます。
なんでそうしているかというと、彼にはある目標があってその資金を貯めるために、他の全てを投げ打ってバイトをしています。
その目標が何かというと、彼はアンジェリーナジョリーのことが大好きで、アンジェリーナジョリーとキスをするという目標を持っているんですね。
そのためには、アメリカに行く必要があるから、アメリカに行くための資金を貯めるためにバイトをしまくってるんですね。
まあ、なかなかぶっ飛んでますけど、彼が中学3年生の時に、家でテレビを見ていたらアンジェリーナジョリーが出ていて、画面越しに目が合った気がしたんですって。
で、その時にその瞳に心を奪われて、アンジェリーナジョリーとキスしたいと、どきゅーんて思うわけなんですよね。なので、お金を100万円貯めて、アメリカにいって、ハリウッドに行って、アンジェリーナジョリーの行きつけの店を見つけてそこでバイトして、知り合ってキスをするんだ、という計画を立てるわけなんですよね。
で、その次の日にはバイトを始めまくって、高校にも行かないわけです。
ただ、レオには途中から話し相手の女の子が現れうんですよね。
その子の名前が「羽田にこ」と言います。
にこは、レオの中学の時の同級生で、高校生になってからバイトしまくるレオと再会するわけなんですよね。
で、今の状況のレオを心配しながらも話を聞いたり一緒にご飯食べに行ったりして、レオのよき話し相手、みたいな感じになるんですよね。
で、レオがついに100万円貯めきってアメリカに旅立つことになるんですよね。
で、アメリカに旅立つ前日になって、にこがレオに急に疑問を投げつけるんです。
「本当にアンジェリーナジョリーのこと好きなの?本当にやらなくちゃいけないこと逃げてるんじゃないか?」と言った感じで。
というのも、レオは実は小さい頃から、非常に辛い家庭環境で育ってるんですね。
レオの母親は4回離婚していて、家ではその時の旦那とめっちゃ喧嘩したり、奇声をあげたり、レオに暴力を振るったり、給食費を払わなかったりしてたそうなんですね。
で、しかもレオが中学3年生の時に風呂で酒を大量に飲んで溺れ死んじゃうんですね。
で、それまでレオはどうにか辛い現実をうまいこと言い換えてどうにか現実を置き換えてたんですね。
激しい夫婦喧嘩は、賑やかな家庭なんだとか、激しい母親の叫び声は黄色い声で、暴力は強すぎる肩たたきて言ったり。
ただ、ついに母親がそんな死に方をしたことで、どう言い換えても最悪な現実は変えられなくて、絶望するわけです。で、その時にテレビで見たのがアンジェリーナジョリーだったんですよね。
なので、アンジェリーナジョリーとキスしたいという目標は、この辛すぎる現実から目を背けるためのものだったんですね。
で、それをにこに指摘されながらも、今の自分の状態を肯定するんですね、そうしたら、そうじゃなくて私が支えるから、この辛い現実と向き合って、とにこは言うんですね。
にこはレオのことが好きで、どうにかして今の状態から救いたいと思ってたんですね。
で、なんやかんやあって、レオはアンジェリーナジョリーとキスするという目標はやめて、にこと共にありのままの現実に向き合おうと踏み出す。といった感じで終わります。
ざっとあらすじはこう言った感じです。

ストーリー/解釈


では、より詳しく主人公・レオのストーリーを追っていきたいと思います。
で、この話を読み解くうえでは、2つの概念を用いて語っていこうと思います。
その概念というのは「期待と恐怖」、それと、「共に回るエネルギー」という概念です。
これらの概念の意味はこれから話す内容を聞きながら考えてみてください。
はい、で、レオは小さい頃からまあ、虐待受けたり、通常では受け入れ難い人生を歩んでるわけではないですか。
ただ、それでもやっていけたのは、現実を言い換えることで自分の認識を変えることでやっていけたわけです。
現実というのは、実際目の前に見えていることや体感したことがそのまま現実ではなくて、その人の意識を通して認知したものが現実だと僕は思うんですよね。
実際に脳科学でも感覚器官から送られてくる信号から脳が予測をして、現実として見せている、という考え方が最近主流のようですし。
そう考えると、レオの現実も状況だけを並べれば辛い環境ですけど、言葉を介して自分が見える認識を別物に置き換えておけば現実は変えられる、というのを防衛本能的にやっていたんだな、と思います。
ただ、身体的にはやはり無理があって、小学生の頃は給食を食べると気持ち悪くなって吐いていたと描かれてるんですね。
これがわざと吐いてるのか、本当に身体的に受け入れられなかったのか分からないんですけど、これもレオは自分の給食だけなぜか腐っていて気持ち悪くなっていた、そんな給食を出されるからママは給食費を払ってなかったんだ。と言ってるんですね。
本当に認識はどうにでも置き換えられる。
また、この漫画の印象的なところでは、幼少期にその母親から掛けられた言葉を、その現実置き換えビジョンと、実際にどう言われていたのかの対比が描かれているんですね。
実際に掛けられた言葉は「せいぜい恋でもしなさいよ。どうせ碌な人生にならないんだからー」で、
現実置き換えビジョンでは、「恋をしなさい。そうすればきっと 辛いことだって全部忘れられる」なんですよね。
まあ、なぜこんなに母親が実際よりも善きものとして認識していくのか?というと、それは、レオにとってはたった一人の母親であり、レオと母親の関係性、うごめきがレオにとっての現実なんですよね。
二人のうごめきで構成された現実にレオは生きているわけなんです。
だから、現実のパートナーは自分にとって善きものであると認識したほうがレオとしては心地よいんですよね。
この対比は今後のレオの人生でも形を変えて出てきます。
で、中学生に上がって、にこが出てくるわけなんですけど、にことは同じクラスで仲良くしてたみたいなんですよね。
というか、レオはにこのことが好きだったんですね。
だけど、中学3年生になると、にこは受験が忙しくなって一緒にいられなくなってくる。
この時は付き合ってるかどうかは分からないんですけど、お互いに好きな状態で、レオ的には心の拠り所だったみたいなんですね。
ただ、なかなか一緒にいられなくなって、さらに次に新しいお父さんになる予定だった人も同時期に家から出ていっちゃうみたいなんですよね。
で、今までうまく言い換えながら現実を認識していたレオも流石に最悪かも、と思い出すわけなんですよね。
というか、そう思うということは、この頃には自分の置かれている環境は辛い環境だとは認識しているということですよね。
だから、少しずつ現実の置き換えが効かなくなっている。
で、お母さんが亡くなるわけです。
その時も、自分にとっての現実は母親とのうごめきで構成されているというのが根底にあるので、母親を善きものとして言い換えようとするわけなんですよね。
ただそのルールなら、それは自分を悪者にするしかなくて、自分が早く異変に気づかなかったから母親が死んだとか、自分が風呂では酒飲まないように注意しなかったから母親は死んだとか、親を見殺しにした、とか親殺し、とかにレオの現実は変異していくわけですよね。
側から見てる僕とかは明らかに母親のせいだろ、とか思っちゃうわけですけど。
ただ、現実というのは、その現実を構成するルール見たいなアルゴリズムみたいなものがあって、それを信じる、それが本当であるように振る舞うことで現実はより強固なものになると言えるんですよね。
今回の場合は、母親は良き存在である、というルールがレオの現実にはある。
たとえそれが虚構であっても、そう信じ、そう振る舞うことで現実になるんですよね。
というか、今我々が生きていて認識している現実もそうだと言えるんですけどね。
我々は、と言っても人によって現実は異なるんですが、多くの人がこれは現実だ、当たり前だと認識している、そのルールや世界観は虚構だったりする。
それを我々が信じていて、それが本質であるかのように振る舞うことで現実たらしめられている、というね。
で、まあとにかくレオからしたら、もう自分が親を殺したという現実にいるわけなんですよね。
これはもう、最悪。
今まで生きるために認識していた母親とのうごめきがまさか自分にこんな絶望を見せるとは。
で、レオはもうどうしていいか分からない、恐怖から焦りを感じるわけですよね。
で、その時にテレビでアンジェリーナジョリーと目が合う。
その時に、母親とのうごめきは最悪な部分は他所において、アンジェリーナジョリーとのうごめきに置き換えることに成功するわけですよね。
ここからレオの現実はアンジェリーナジョリーとのうごめきの現実になるわけです。
というか、結果的に一人の現実にこもったとも言えるかもしれませんが、新たな二人、彼と彼女の現実の構図が浮かび上がってきます。
この時、アンジェリーナジョリーとの関係性は強烈なあこがれとして出てきます。
キスをしたいという。
これは、共に現実を構成する未知な存在への捉え方だな、と思うんです。
人は原則自分以外の存在や未来は未知ですけど、この未知に対する感覚が、現実をうごめく原動力、エネルギーになると思うんですね。
で、この未知に対する感覚というのは、大きく分けると期待と恐怖に分けられる。
現実を定義する虚構の周りを、共に回ることで人々は現実を構成していると捉えられるんですけど、この共に回るエネルギーが未知に対する感覚。
で、期待がエクストリーム化するとあこがれとなり、恐怖がエクストリーム化すると焦りとなると思います。
なので、レオは焦りという恐怖のエネルギーが駆動していた現実があって、そこからアンジェリーナジョリーに対する強烈な憧れ、期待のエネルギーで駆動する現実に移ったわけなんですよね。
ただ、そう見ると、このレオの憧れは、純粋な憧れというよりも、恐怖からの解放が憧れとして出てきているんじゃないかと思うんですよね。
憧れの裏には、恐怖からの解放が潜んでいる。
もしかしたら、この構図は日常を生きる我々でも言えることなのかもしれないです。
こういう仕事、こういう生き方に憧れる、あの人に憧れる、というのは、もしかしたら裏には自分が感じている恐怖が存在しているみたいな。
まあ、そうではない純粋な憧れというのもあるのかもしれないですけど、どうなのでしょう。
少なくともレオは恐怖の裏返しとしての憧れを持ち、その現実でいきます。
で、そこにかつて好きだった女の子、にこが現れるわけです。
にことはバス停で再会します。
にこ的には中学卒業してからずっと会ってなくて、嬉しい再会だったとは思うんですけど、レオはにこのことを忘れているんですね。
正確にいうと、にことの関係を思い出すと、置き換えた現実が復活するから思い出さないようにしていたのかもしれないです。
で、にこはその状況に引きつつも、レオの話し相手として、行動を共にするようになるわけです。
にこはレオのことが好きで、今のレオの置かれている状況も知っているので、それをどうにか救おうと思ったのでしょうね。
話の中でも、アンジェリーナジョリーのことが本当に好きなのか?とレオに聞いた時も、今のバイトばっかりしまくるレオの生き方はおかしい。
16歳の子はもっとYouTube見たりイオンに遊びにったりするのが普通で、そうあるべきだ。
というわけなんですよね。
このにこのべき論的な、常識を押し付けるような発言というのは違和感を僕は感じちゃうわけなんですけど、そのぐらいのことを言わないとにこはレオの現実に影響を与えられないと思ったのかもしれないです。
で、にこはレオを抱きしめながら、これからは私がずっとそばにいて支えるから、アメリカに行かないでというわけです。
この状況は中学生の男の子からしたらもうそれだけで他のことどうでも良くなりそうな状況ですけど、結果的にレオの現実はこれで変わるんですよね。
結果的にアメリカ行きをやめるわけです。
で、物語のラストの方では、アメリカ行きをやめたレオににこが質問するわけです。
「レオくん、ハリウッドはいいの?」と。
それに対してレオは「うん、イオンでいい」と答えるんですよね。
これは、にこが普通の子はイオンで遊びにいったりするもんでしょ、と言ったことの影響ですよね。
つまり、ここでアンジェリーナジョリーとのうごめき、現実は、にことのうごめき、現実に置き換わったとも言えますね。
彼と彼女の現実は、移って移って、最終的にはにことの現実になると。
で、それまではうごめいていなかったというと、ずっとお互いに影響を与えているわけですよね。
にこからしても、異常な現実に生きるレオには影響を受けて、強い行動に出ることになったわけですし、レオも影響を受けてはいたが変化するほどでなかった。
そしてにこの強い行動で、影響を受けてうごめき出した。 で、現実のルールが変わった。
母親を善きものとして言い換えるのでもなく、アンジェリーナジョリーとキスをするという強烈な憧れに従って生きるのではなく、にことのうごめきをありのまま受け入れるというルールの現実に変化し、そのように振る舞っていくわけです。
なんかそういうと、にことの現実も虚構みたいに言ってるように聞こえるかもしれないですけど、これはレオとにこに限らずすべからく現実はそうやって構成されているんだという僕の解釈ですね。
ただ、二人が共に回るエネルギーというのは、これから過去と向き合いながらも、二人の物語を紡いでいく期待のエネルギーなんだろうな、と思います。
そういう意味では気持ちの良いラストだったんじゃないかと思います。
ということで、今回は以上です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?