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テクノロジーが死を超えるとき、倫理感はどうなる?


※このnoteは、Podcast番組「漫画とうごめき」で語っている言論部分を文章化したものです。漫画とうごめき本編は、最下段のリンクからどうぞ。

私たちの日常生活における「死」という概念は、物理的な終焉、逃れられないものとして理解されている。それは私たちの倫理観を形成する大きな前提で、それを否応なく認識することが、人間社会における「生」と「死」の認識を築いている。

そこで、もしもこの「死」を超越することが可能だとしたら、我々の倫理観はどのように変化するのだろうか?
死を乗り越えることができるという新たな前提が加わった場合、私たちの価値観や行動はどのように変わるのだろうか?

ある人物の例を挙げよう。その人物は実業家であり、死をテクノロジーの力で超越しようとするさまざまなプロジェクトに携わっている。その人物の思想はテクノユートピア主義で、テクノロジーの発展によってユートピアが訪れると信じている。

その実業家が提唱するプロジェクトの1つに、「マインドファイル」というのがある。
SNS上の行動データや購入履歴、投稿内容、記憶や心理分析データをファイル化し、データ上のクローンを作ることで死を超越しようというものだ。
そのデータを使ってAIが覚え、ロボットを作るという具体的なプロジェクトも行われている。

また、その人物は肉体の死を遠ざける技術も追求している。例えば、遺伝子組み換えによって人間に移植可能な豚の臓器を作る研究や、臓器の輸送時間を短縮するための電動ヘリコプターの開発、さらには臓器を生成する3Dプリンターの開発などを行っている。

その人物の行動を見ていると、テクノロジーの力で「死」というものを超越しようとする姿勢が鮮明に見える。
しかし、その取り組みに対する感想は人により大きく分かれるであろう。賛同する人もいれば、反感を抱く人もいる。倫理観が狂っていると感じる人もいるだろう。

ボク自身も、この話を聞く中で、何となく不快に感じる部分があることを否応なく感じる。それは恐らく、我々が今まで生きてきた社会の前提、すなわち「生」から「死」へと必然的に至るこの流れが、彼女のプロジェクトによって根底から揺さぶられるからかもしない。

しかし、その一方で思うのは、人間の倫理観というものは時代や社会、そしてそこに存在するテクノロジーによって形作られているということだ。
倫理観とは時代とともに変化するものである。

そして今、我々が抱く倫理観は、物理的な世界における「死」を前提としたものだ。それが一変するような世界が到来した場合、その世界の倫理観はどう変わるのだろうか?


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