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漫画とうごめき#4 ストーリー解釈【Podcast台本】

漫画ストーリーの解釈を語るPodcast 「漫画とうごめき」のストーリー解釈部分を掲載します。
※そのまま掲載しているので、読みづらいかもしれません。

◎Podcastの内容紹介

#4 -『パシリメシ』から読み解くカテゴライズ化された役割からの脱却。意味の無意味化

漫画家・五月十三日(サツキトミカ)さんの作品『パシリメシ』を独自の視点で読み解きながらご紹介。今回は〈意味の無意味化〉という概念を用いて語っていきます。この漫画は前回ご紹介した『スターチス』と同じく、『少年ジャンプ+』に掲載されている読切作品です。※この番組は全力でネタバレをします。漫画『パシリメシ』をまだ読まれていない方は、まず先に『パシリメシ』を読まれてから、本エピソードをお楽しみください。
パシリメシ - 五月十三日 | 少年ジャンプ+ https://shonenjumpplus.com/episode/3270296674396303317


五月十三日 (@Tomika_Satuki) / Twitter


ストーリー/解釈

詳しいストーリーを追いながら、この物語を読み解いていこうと思います。
で、読み解くうえで、今回も一つの概念を用いて語っていこうと思います。

その概念は「意味の無意味化」です。

この概念の意味は、これから話す内容を聞きながら考えてみていただければと思います。

漫画の主人公の悠平は元々、姉二人の三人姉弟だったせいか、男友達と気が合わなかったんですよね。
男の子同士のノリみたいなのが得意ではなかったということでしょう。
そんな悠平がヤンキー漫画を読んで、ヤンキーに憧れるのです。
ヤンキーの友情を大事にするところや、強さやそのかっこいい世界観に影響を受けて、「お前には分かるまい!真の友情が」とか言いながら自分の部屋でシャドーボクシングしたりするわけです。

で、夏休み明けにクラスのヤンキーっぽい男の子三人組に近づいて仲良くなろうとします。この謎の行動力は憧れのエネルギーなんですかね。
で、結局ヤンキー達からは変な奴が近づいてきた、とナメられてパシリにされちゃいます。

この時、彼らはお互いにカテゴライズ化された相手としてみているのが分かります。
悠平は、このヤンキーっぽい男の子三人組を不良漫画で読んだヤンキー、というカテゴライズで見ているわけです。
なので、そのカテゴライズに当てはまる人に近づいて仲良くなろうとしたわけです。
で、ヤンキーっぽい男の子三人組も悠平のことを、いわゆる陰キャの変なやつというカテゴライズで見ているように感じます。
なので、舐めてパシリにしたりいいように使うが、一緒には行動しないわけですね。

人は自分達が生きている世界の中での役割と振る舞いによって自分を認識し証明していると僕は考えます。
また、同時に相手のこともその役割と振る舞いによって認識して判断しているわけです。
ただ、閉ざされた世界では特にその傾向が強いと思うのですが、人を一人ひとりの個人で見らずに、分かりやすく分類されたカテゴライズに当てはめて見てしまったりします。
その場合、その分類された属性にイメージされる役割に当てはめ、その属性のイメージに沿った振る舞いをお互いにするのです。
そうやって、そのカテゴライズ化されたお互いのイメージはより強固になっていくわけです。

このパシリメシの場合でも、お互いにカテゴライズ化された相手の属性に意味を見出して、そのような振る舞いをするわけです。
なので、ちょっと表現はめちゃくちゃ悪いですが、悠平は陰キャの役割と振る舞いとして、パシリになり、ヤンキーぽい男の子達はいいように使うヤンキーになるわけですね。

で、当然ですが、悠平はその状況に葛藤します。

が、家に帰って不良漫画を読んで、その幻想をより強固にするわけです。
その後、ヤンキー達からいつものようにパシリであんぱんを買ってくるように言われます。
で、学校の近くのコンビニに行くとあんぱんが売り切れているわけです。
その不運な状況にため息をついていると、後ろから幼馴染の女の子のカナエが声をかけてくるわけですね。

カナエは最近ヤンキー達からいいように使われている悠平を見ていて心配しているわけですが、あんぱんが売り切れて困っている悠平を見て「なるほど、まかせて」と言いだします。
「どうするの?」と聞く悠平に対して、パンと小豆缶を手に取って「作るんだよ」と答えます。
で、そこから家庭科室に移動して、なぜかエプロンとバンダナを巻いたカナエと悠平が一緒に料理を始めるわけです。

ちなみにカナエは料理クラブに入っていて、悠平も昔からそこそこ家で料理をしたりしているようなので、二人ともそこそこ料理ができるようです。
で、カナエの指示のもと、手作りアンパンを作っていきます。
で、作りながら昔の思い出を話したり、カナエが「悠平も料理クラブに入ればいいのに」と言ったりしながら楽しそうに進めるわけです。
で、笑顔でいる悠平を見ながらカナエが「逃げる場所はいくらでもあるからね?」と言います。

カナエは悠平の状況を救おうとしているのかもしれません。
それに対して悠平は「ありがとう、カナエってほわんとしてそうで色々考えてて、いつもやさしいよね」と言います。
で、カナエは「友達が困ってたら助けたくなるでしょ?」と当然のように言います。
で、その後、そもそも悠平はなんでパシリになるようになったのかを聞いていくカナエ。
そして悠平が不良漫画に憧れて、それっぽい人たちに近づいていったことを知ります。
で、カナエは「それだからうまくいってないんだ」と言います。
で、「マンガの幻想と仲良くしたいんでしょ?相手を見てない気がする」と言います。
とても鋭い指摘ですね。

まさに一個人としての相手を見るのではなく、カテゴライズされたその存在に意味を見出している悠平のことを見抜いたわけですね。
ちなみに、ヤンキーっぽい男の子三人組はそれぞれ、リーダーっぽい子が日野くん、残りの二人が加藤くん、堀くんと言います。
で、カナエはそれぞれ個人として向き合えばいいんじゃない?例えば相手の名前を呼ぶとか、とアドバイスします。
で、悠平は「確かに、地道な積み重ねは足りてなかったかも」と素直にカナエの指摘を聞き入れます。
カナエはこの悠平の素直さを知っていたのかもしれないですね。

この場面で、この二人はお互いにカテゴライズされた相手ではなく、一個人として向き合っている関係性であることが伺えます。
で、ついに手作りのあんぱんが完成します。

その後日野くんたちの元に、悠平はその手作りアンパン、フレンチあんこトーストを持っていきます。
で、三人は「うまそー」となりながらも、「口に合わなかったら金返せよ」と言いながらまずは日野くんが一口食べます。
すると「うまっ」と思わず声に出してしまいます。
それだけ美味かったということでしょう。
で、加藤くんと堀くんもうまいうまいと言って食べるわけですね。
で、日野くんは「悠平やるじゃん、他にも作ってよ」と言います。
そうしたら加藤くんは「じゃあ俺はカツ丼が食いてえ」と言い出します。
すると堀くんも「いいね、ロースカツ丼が食べたい」と言います。
ただ、加藤くんはカツ丼といえばヒレだろ、と反論します。
で、そこから二人があーだこーだヒレかロースか話出すわけなんですが、その時に悠平は勇気を振り絞って
「日野くん、今度作るから食べ比べしてみない?」と言います。
それに何かを感じたような表情をする日野くん、さっきまで言い争っていた二人もいいね!となります。

で、その後放課後になると、日野くん達が一緒にラーメン食いに行こうと悠平を誘います。
「え?僕も行っていいの?」と聞く悠平に日野くんは「こいよ。トンカツ食べ比べの作戦会議したいしな」と答えます。
悠平はこの変化に喜びを噛み締めます。

この一連の流れで何が起きたのかを考察してみようと思うのですが、それが「意味の無意味化」が起きたんじゃないかと思います。
さっき人は自分や相手の存在を同じ世界の中での役割や振る舞いで認識すると言いましたが、それはお互いの存在に意味を見出しているともいえます。
で、人はその意味によって様々なものを認知している。
その意味がカテゴライズ化されて定型化した状態で認知することで、相手を一個人として見れなくなっているのが、このパシリになってしまっていた原因だと捉えられるのですが、それを脱却するには、この今カテゴライズ化されてしまった意味を一旦引き剥がす必要があります。
で、その引き剥がしてフラットにすることを意味の無意味化と呼んでいます。
で、この意味の無意味化はどうやったら起こせるのかというと、それは今ある意味とは異なる意味をぶつけることで起きると思うんですね。
人でいうなら意味というよりも役割ですね。
で、この話では元々アンパンを代わりに買ってくるという役割を悠平を持っていたわけですが、実際はアンパンを作ってくる、という異なる役割をぶつけてきたわけです。
この受け入れられる程度の異なる役割をぶつけることで、意味の無意味化が少し起きたんだと思います。
で、それにより少し日野くん達が感じてた意味が少しフラットになるわけです。

で、さらに、カナエのアドバイス通り日野くんと名前で呼んで、さらにトンカツの食べ比べという新しい遊びを提供する役割をぶつけたわけです。
これによって、元々はパシリというカテゴライズ化された意味が、美味しい料理を作って遊ぶという全然異なる意味をぶつけることで意味の無意味化が段階的に起きた。
で、日野くん達は悠平という個人そのものの存在を少し見れるように変化していったわけです。
ただ、この段階ではまだ一緒に遊ぶ仲間に入れてやろう、みたいな感じも見えるわけですね。

で、その後一緒に学校の中を歩いていると、困った様子で何かを探すカナエを見かけます。
それを気にする悠平に日野くんは「ほっとけって、俺らと遊びたかったんだろ?」といってきます。
それに対して悠平は「そうだけど、、友達が困ってたら見過ごせないよ」と言ってカナエの方に歩いていきます。

その様子を見て日野くんは「カッケーな」と言います。
この時、さらに異なる意味をぶつけたわけですね。
それは、ヤンキー漫画に憧れてるやつでも、ヤンキーに気に入られるために料理を作るやつでもなく、純粋に困った友達がいたら何があっても助けるというかっこよさを持った悠平の振る舞いなんですよね。
で、そこでさらに意味の無意味化が起きたんじゃないかと思います。
そこから実はカナエがさっき料理する時に使った家庭科室の鍵を無くして探していたことを知り、悠平と日野くん達も一緒に鍵を探し出します。

で、探しながら日野くんはカナエに悠平は昔からあんなやつだったのか?と質問します。
で、カナエは「気難しいとこはあるけどいい奴だよ」と答えます。
すると日野くんは「なるほど…悠平は舐めていいヤツじゃなかったのか」とポロッと言います。
カナエはそれに対して「舐めていい奴なんていないよ」と言います。
その後、日野くんは悠平にすまんかった!と謝りに行きます。
その日野くんの素直な行動を見ながら、カナエは「仲良くなれるといいね」と優しく見守ります。
まあ、その後日野くんはさらに「変なヤツだと思ったけど、案外カッコよくて見直したぜ」と、平然と失礼なことを言います。
で、悠平も苦笑いするのですが、これがお互いの一個人としての振る舞いなんだな、と感じます。

で、その後無事に鍵が見つかって、カナエはお礼にカップケーキを焼くと言います。
で、みんなで家庭科室行くと、カップケーキに必要なミックス粉がないことに気づきます。
そうしたら悠平が「じゃあ、僕買いに行くよ。あ、他にいるものある?」と聞きます。
すると日野くんが「何言ってんだ、みんなで行こうぜ」と言います。

で、その後みんなで買い出しに行くわけですが、道中で日野くんと加藤くんがかけっこして、いかにも男の子的な感じで遊び出します。で、勢い余って日野くんが電柱に激しくぶつかります。
で、それぞれ爆笑したり心配したりしながら日野くんに駆け寄ります。
で、ケロッとしながら「電柱がガンつけてきたから頭突きしてやったんよ」と変な冗談を言う日野くん。

その様子を見ながら、悠平は「バカだなー」と笑い出します。
で、笑いながら「昔から男友達と気が合わなかった。しかし中二の夏休み明け、これはこれで楽しいと思えた」と悠平の語りが流れて話は終わります。

この流れの中で、悠平の中でも昔から交われなかった男友達グループや、それの延長線上にある不良漫画の不良など、勝手に幻想を抱いていたカテゴライズ化された意味が無意味化されていったんだな、と感じました。
今までの苦手意識や憧れはあくまでもイメージであって、そこに感じていた意味が、主に日野くんと個々人として交わるようになる中で、異なる意味を感じていったんじゃないかと思います。
それは純粋にお互いの個性や変なところをフラットに笑い合える友達みたいな意味かと思います。
我々も普段生きている中で、カテゴライズされた意味に捉われている場合が多く、それによる抑圧やヒエラルキー、排除や差別などの問題があるわけですが、カテゴライズ化された意味を脱却し、その人そのものとして認知し合えるようになるヒントがここにあるように感じます。
その概念が意味の無意味化なんだと思います。
はい。ということで、ここで以上です。


Podcast本編はこちら

https://open.spotify.com/episode/1VgVLI8Rbzd4qEuuFIPL1p?si=FxOmgpk3SGGRM8h1pO493g


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