見出し画像

14日目:最終日には魔が潜む

雨のバクー

キャッチ写真は12月14日に撮ったものではないですが、いよいよ今日は出国の日です。最終日はあいにくの雨でした。しかし12月中旬、冬のこの時期でも雨なのですね。雪ではなく。例年になく暖冬ということなのか、あるいはこれが例年の気候なのか。今回は寒いかもしれないと思って防寒の下着も多めに持ってきていたのですが、空振りに終わったなという感想です。

よく眠れたものの、昨晩受けたPCR検査の結果が気になるところ。昼すぎに結果がわかるとのことで、今更どうしようもないので待つしかない。

心配性なもので、入国の時もそうでしたが本当に結果は無事なのだろうかと気になってしまいます。熱があるわけではないし、嗅覚も味覚も問題なし。それでも…という心境。

あとは書類の到着を待ちつつ、アパートメントホテルを片付けていきます。立つ鳥跡を濁さず、と思って…。

自宅での食事はここでとっていました。
リビングはここ。広い分、夜は寒かったりもして。あまり広すぎるのも考えものですね。
やはり泊まる人数によって部屋のサイズを選ぶべきでしたか。
帰国の荷造りの途中。
12月8日、Zoomでのオープンアカデミー(トルコ語初中級I)秋学期第1回目の授業はここでやりました。あとは12月12日のチュルク諸語系研究会もこの部屋のこのテーブルから参加。
今この記事を書いている、東京の自主隔離施設を思うとなんと広い宿だったことか

昼過ぎまでは順調でした。そう、市内での最後の昼食として、イスケンデルケバブ(ヨーグルトが添えられているドネルケバブ)を堪能して宿に戻ってきたあたりまでは…。

われながらのんきなツイートをしているものです。この後パニックに陥ることも知らんと…

PCRの結果、そして出発直前に青ざめるワイ

13時過ぎ、結果報告を受けました。陰性。ああよかった。

2時間後くらいに宿のオーナーがチェックアウト作業も兼ねて紙を持ってきてくれるというので、あとはそれを待つのみです。

…と思っていたのですが、改めてwhats app経由でもらっていた結果の紙を見返すと、一か所気になる箇所があるではありませんか。

それは、厚労省所定の書式にある右上の"Date of Issue"(書類の日本語では「交付作成日」と訳されています)の部分

この部分が、すぐ下の私の個人情報、パスポート番号のすぐ近くにあったものですから、医師がそこに陰性結果証明の書類ではなく、私のパスポートのDate of Issueを書いているではありませんか!!

これは危ないのではないか、と私は一瞬凍りつきました。あわててググると、その陰性結果証明書に不備があった場合、日本に入国させず出発国に送り返されているケースがあると。

は???そんなことされるん??
万一そんなことになったら大問題だ。Twitterのフォロワーに笑われる!!(そこ?)

これは念の為、病院が今いるところから近いんだったら修正してもらおうと思って、3時過ぎにオーナー氏が到着次第ことの次第を説明。考えすぎじゃないのかと氏は言うのですが、私からしたら万一またアゼルバイジャンに送り返されたらたまったものではありません。

幸い、結果として下に書きましたように書類は修正してもらえましたし、日本にもこうやって無事帰国できたのでよかったのですが。
しかし、かつてこの件で「送り返されてしまった」日本国籍の人たちにもそんな仕打ちしてよかったのか?という疑念はいまだに消えていないのですが。純粋な疑問として、国の処遇としてこの仕打ちはどうなんでしょうね?
現地で書かれた書類の記入ミスは、書いた医師の責任なのであって、それを発行してもらった人間の責任ではないと思うのですが。

まあ、あまりこれ以上深くは立ち入らないでおきましょうかね…

病院へ急げ(副題:出発直前に私はいったい何をしているのか?)

というわけで病院に直接行って修正してもらおうとなったのですが、オーナー氏はあわてて病院に行っても徒労に終わる可能性もあるから、先にことの次第を連絡して、書き換えの承諾を得てから病院に行こうと言うのです。

こちらだけ慌てていてもことはうまくいかない、というのです。ぐぬぬ。トルコでの経験上もそうです。異国の地では、だいたい焦ってもうまくいかないことが多い。経験あるなこれはと。

フライトまではまだ時間があったとはいえ、一刻も早く事態を解決したい私としてはもう、動悸が止まらない。はよして、ていうかとにかくはよいこうぜという態度がもろに顔に出ていたと思います。

ようやく病院にきてくれということになり、タクシーを拾って病院へ。宿から遠いの?と聞くと、歩いて行くのはたしかに無理な、市街中心地からかなり北に離れた街区にその病院はありました。なるほどこれじゃ、自力ではたどりつけない場所だわ。

せっかく医師に宿まで来てもらってのPCR検査でしたが、結果的には自分からその病院に足を運ぶはめになってしまったのでありました。ようやくそのDate of Issueだけ修正してもらって再び裏書条項のスタンプを押してもらい、渋滞になりつつあるバクー市街へまたタクシーで戻って行きました。

ようやく空港へ

午後17:00前後。ようやく全て片付いて、宿の鍵も返却。空港までの送迎の車もお願いしてもらって、これでいよいよ空港への移動となりました。

しかし、このドライバーの車の運転が例に漏れず荒い。とんでもないスピードで、空港への高速道路をすっとばしていきます。それだけでも怖いのに、この若い運転手、途中で携帯電話を取り出してしゃべりはじめるんですからたまったものではありません。せめて運転に集中してくれよ!!

ジェットコースターが怖くて、日本でもどこでも遊園地のその系統のアトラクションには絶対に乗らない私ですが、ジェットコースターのほうがなんなら怖くない可能性、ワンチャンあるなと思いました。

心理的に激しく消耗しつつ、17:50ごろヘイダル・アリエフ国際空港へ。なんだかんだありましたが、ようやくバクー滞在もこれでおしまい。帰国の第一歩を踏み出しました。

空港ではワクチン接種証明書を見せることになるだろうと思って構えていたのですが、どういうわけかそこは不問。「どこの航空会社(に乗るんだ)?」とだけ入り口の警官に聞かれ、ターキッシュ・エアラインズ搭乗のEチケットを見せて無事に中に入ります。

最初のセキュリティを抜けて、例のスーツケースパッキングをやってもらって、両替所に。余っていたマナト(現地通貨ですね)をドルに換えてくれとお願いしたのですが、それはここではやっていない、出国した後の銀行でしかできないと言われました。

これ、最近そういうルールになったな?昔は問題なかったのに。まあいいか、と思いつつ、とりあえず午後のなんやかんやのせいでのどがカラカラになっていたことに気づき、これは景気づけの1本が必要だろうということで。

「うるせえコロナめ」は、心からの叫びでもありました。もちろんコロナビールはおいしかったですが。

19:00すぎにアナウンスがあり、ターキッシュエアラインズもカウンターオープンとなりました。搭乗前に、PCR陰性結果証明書(さっきまでがんばって書き換えてもらったあの書類ですね。これがないとおそらく搭乗拒否されます)と、その証明書がアゼルバイジャンで発行されたことを証明する書類があるはずだからそれを見せろ、とも言われました。それがいるんだ?と一瞬思いましたが、もちろんその書類も発行した病院に出してもらっていましたから、それを見せて問題なし。2つのスーツケースを無事に預けて、出発フロアに向かいます。

空港の3Fは、まずセキュリティチェック。それを抜けてから最後の出国パスポートコントロールがあります。そこで問題なければ、無事出国。

こんなことも起こるのが、現地で言葉が通じる楽しいことの一つと言えないこともありません。ネタとしてはおいしいですから…(マスクは一つ手元からなくなっちゃいましたけどね!余っていたし問題なし)

帰国前最後のテュル活

無事出国となり、あとは両替。ドルに戻そうと一瞬思ったのですが、最後になにか自分へのご褒美を買っておくべきではないか?と一瞬おもったのでした。それで、市内では購入を見送った、チャイ(紅茶)のグラスとソーサーでいいものがあれば、それをマナトを使い切る範囲で買ってしまうのも手だな、と思ったのです。

果たして出国後の売店で、まさに欲しかったイメージのグラスを発見。

購入直後はもったいつけたツイートをしましたが、日本に帰国してからそれはもう、すぐに中身をツイートしてしまいましたよね…

これで、今回の予算はすべて使い切り。科研費でもないのに、最後まで使い切ってしまいました。

まあいいんです。後日あれ買っといたらよかった!と後悔するよりも、その瞬間に買ってよさそうなものなら買っておく。これはもう、テュル活の鉄則ともいえます(しらんけど)!

以上、これにてアゼルバイジャン訪問無事の終了となりました。

14日間の記録を読んでくださり、ありがとうございました。特に支援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。
今回の渡航の記録はマガジンにもまとめてありますので、ご関心のある方で過去記事を見逃していらっしゃる方がもしいらしたら、ぜひご購入を!

ここから先は

725字 / 9画像
この記事のみ ¥ 200

記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。Çox təşəkkür edirəm! よろしければ、ぜひサポートお願いいたします!いただいたぶんは、記事更新、また取材・調査のための活動資金に充てさせていただきます。