見出し画像

ビザは、油断したころ突然降りてきた

2004年の2月から10月まで、短期の留学の機会があり、アンカラに滞在した話はnoteでもたびたびしてきました。先日もラジオを聴いた日々の話をしたところでしたが、留学中何をしていたかと思い返すに、午前中語学学校にずっと通っていたのでした。その話はあまりしていなかったなと。

2003年の秋に奨学生として採用されたとの連絡はもらっていたものの、当局からなかなかビザが降りないということでかなり待っていたのですが、同年2月に突然大使館から連絡が来て、今すぐ渡航しなさいとおっしゃる。

こちとら半年も待たされていたところ、そんな突然言ってくる?と当時はけっこうピリピリきていたことを思い出します。

ともかく急いでいかないとまずそう(ビザが取り消しになってはいかんと思っていましたからね!)ということで、当時住んでいた大阪のアパートはオーナーさんに連絡したのちそのままにして、アンカラに単身渡航したことでありました。

今でも思い出します。なんせ、短期とはいえ自分の家族で海外渡航の経験がある人はいない(当時)。まして、渡航先はトルコです。しばらく滞在することになるというので、自分よりも実家の家族あたりが心配していたように思います。

長崎駅まで両親が見送ってくれたのだけ覚えているのですが、長崎駅からどこに向かって、どの航空会社でトルコに渡ったか、もう20年近くも前のことなので記憶があいまいです。ただ、家族に見送りされるのが切ないからかなわんなと思ったことだけ覚えています。

2014年12月の渡航(「アンカラ滞在記」としてシリーズで書いている例のやつです)のときも、ビザが正式に降りることになったという連絡が入ったのは「準備をしておいてくれ」と現地に言われてほぼ半年後。ここでも、「下級的速やかにトルコに渡航されたし」という連絡をもらったのでした。

大阪を完全に引き払って長崎に一旦戻りました。戻ってきた時に祖父母が妙にうれしそうにしていたことは、たしか以前も書いたことがあります。このときは長崎に戻ってからフライトまで2週間弱待たないといけなかったので、ほんの少しだけ久しぶりの実家生活を味わったのでありました。

2014年12月16日、今度は両親は福岡の空港まで見送りにきてくれました。そんな大袈裟な…と思ったのですが、まあ今回は1年とかそういう話じゃないからたしかに仕方ないのかな、と思った記憶が。

結局毎年夏ごろには一時帰国はできたので、そこまで祖国を遠いと思うこともなかったのですけどね。渡航した本人はともかく、日本にいる身からするとやはりなにかと心配だったのかもしれないな、と今更に思い返すのでありました。

いや…。
今回、本当はアンカラで過ごした語学学校の話を書こうと思ったのですが、その話の最初にビザが降りて…のところから書き出すと、そういえばビザが降りる前後がかなり精神的に不安定な時期だったな、ということを思い出してしまって、ついそっちのほうの話になってしまったという次第です。

なんせ相手はトルコです。日本とは違うのだ。気長に待たないといけない。

今思えば、渡航が決まった瞬間から、私はトルコ的なあれこれの洗礼を受ける運命にあったのかもしれません。しらんけど。

しかしそんな経験が短期間に重なったので、特に留学当初の私の精神状態はかなり危うかったと今になっても思います。夜中にぼろぼろ涙でてきたりとか。我ながらメンタル弱いよなと思ったりなどしていたものでした。

画像1


記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。Çox təşəkkür edirəm! よろしければ、ぜひサポートお願いいたします!いただいたぶんは、記事更新、また取材・調査のための活動資金に充てさせていただきます。