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年度末の足音と、言語を語る難しさと

最近、朝早く起きられています。これも生活改善の効果でしょうか(だといいですね)。月曜日の本日も、朝近所を歩いて歩数を稼ぎまして、その後所用も兼ねて市内中心部に行ってきました。

年度末、なにかと仕事が発生するのは我々の業界も同じことのようです。東京のほうからも仕事関係のメールが何通か。スマホなどを持ち歩くので、良くも悪くもすぐに対応に追われることになります。ハイもうなんとか、期日までに…の返事を書きつつ、また3月の末に遠征をすることになりそうなので、その準備をしなければということで市立図書館に行ってきました。

ということで、関連のある言語関係の本を何冊か借りてきました。まだ市立図書館にはニューエクタタール語は入ってないな、とか、トルコ語の本がそこそこ置いてあるのを確かめて(含む自分の本。図書館や書店で自分の本を見かけたときのうれしさというものはあります)、長崎でトルコ語の本を借りる人とかどれくらいいるんだろか、と余計なことを考えてみたり。我ながらホント余計なお世話ですな。

そういえば、図書館の入口ではランタンを見かけました。
そうです、昨日から長崎は冬の風物詩(とさっきテレビのニュースで言っていたのでたぶんそう)、ランタンフェスティバルが開催されているとのこと。パンデミックのせいでずいぶん間が空きまして、3年ぶりの開催なのだそうですね。

「異国」の雰囲気を感じさせる事物は私自身生来好きなところでして、感染の拡大はもちろん心配ながらも、それなりに賑わってくれるといいなと思います。

言語といえば、興味深い記事を読みました。別途私のアカウントで「オススメ記事」にもあげさせてもらいましたが、

改めてここでも、当該記事をみなさまにご紹介しておきたく思います。かなり気をつけて書かれていますし、なにより書き手のいろいろな意味での根気強さに敬服します。

ずっと書いてきましたが、私自身は漠然としたトルコという場所への好奇心から、「言語とは」あるいは「文法とは」という方向性に関心がむく過程で大学で言語学にであったという経験があります。したがって、ある意味究極の問いでもある上記のトピックには、トルコ語を通してしか(あるいはせいぜいテュルク諸語)という窓口を通さないとなかなか何かを発言したいと思えなくなるのです。

その意味で、不用意なことはできるだけ言いたくないし、書きたくもないので、SNSなどでは特に込み入った話への言及をしないようにもしています。一方で、そういったことがメディアで発信できている人たちにも敬意を表するところではあります。あるがゆえに…

いやもう、やはりこれ以上何か余計なことを書くのはやめておきますか。ただ一つだけ、私はやはりことばについて語り合うなり議論をするのなら、世界中のいろいろな言語、またはそれらの学習に関心がある人たちが相手だとより楽しいかなとは思います。

などと言うておりますが。年度末のテュルク諸語・アルタイ諸語関係者の集うイベントに参加がほぼ決まりましたので、しばしこちらの方に取りかかるといたしましょう。地元長崎と、長崎とは違う景色を見られる喜びを感じたい今日このごろです。

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