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フクシマからの報告 2020年秋    廃墟の街に出現した「伝承館」     外に広がる現在進行形の       原発災害に来館者は無関心

2020年9月20日、福島県双葉町「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月上旬に訪問して展示を見てきたので、今回はその報告をしたいと思う。

新聞報道などで、この「伝承館」開館のニュースをご覧になった方も多いと思う。概略は記事のとおりだ。

「原発事故直後の混乱と復興の歩みを後世に受け継ぎ、記憶の風化を防ぐ」
「地上3階建て。総工費は約53億円」(注:国の予算)
「六つのエリアに分かれ、震災や原発事故の発生から復興までの道のりを時系列に沿って紹介する」
「伝承館開館に向け県が収集した関連資料は約24万点に上る」
「語り部29人が自らの体験を伝えるコーナーもある」
(2020年9月20日 共同通信より)

言うまでもなく、双葉町は福島第一原発が立地する地元である。放射能汚染のもっとも甚大な被害を受けた自治体のひとつだ。2020年3月まで9年間、町内全域が「強制避難」つまり立入禁止だった。伝承館も、同原発から約3キロほどの至近距離にある。

伝承館があるのは、2020年3月に強制避難が解除された一角である。といっても、その区域は全町の面積のわずか5%程度でしかない。

ということは、伝承館の区域を一歩出ると、2011年3月の地震と原発事故の当時のまま時計が止まった街が広がっているということだ。

2020年9月30日現在、双葉町に避難先から戻ってきた人はゼロ。9年半たってゼロなのだ。

登録人口5823人のうち、5823人が今も避難生活を送っている。震災翌日の2011年3月12日に全住民が避難したまま、誰も住んでいない。それが双葉町なのだ。

原発事故で廃墟になった街が広がっているのに、そこにわざわざ53億円をかけて展示施設を作り「原発事故直後の混乱と復興の歩みを後世に受け継ぎ、記憶の風化を防ぐ」のだという。

何よりまず、その事実そのものが奇妙かつ奇怪極まりない。

もし原発事故の惨禍を見たいと願うなら、まず見るべき現実は伝承館の外側に広がっている。伝承館の中にあるのは、その現実のレプリカに過ぎない。

伝承館を一歩出れば、津波で破壊された家や工場がいまなお点在し、黒いフレコンバッグの山が連なっている。「記憶の風化を防ぐ」も「後世に受け継ぐ」もへったくれもない。原発事故の惨禍はいま目の前にある、現在進行形の現実なのだ。

何よりも、3キロのところにある福島第一原発は、今も3つの原子炉で溶け落ちた燃料棒が崩壊熱を放ち続けている。2011年3月11日夜に政府が出した原子力緊急事態宣言は、2020年10月現在も発令されたままである。日本政府は「福島第一原発は2011年3月11日夜と同じように危険な状態です」と言っているのだ。

どう考えても「後世に受け継ぐ」とか「記憶の風化を防ぐ」施設を作るには拙速すぎるのだ。

東京から新幹線に乗り、福島市から約2時間半レンタカーを運転して伝承館に行った。入り口に立ってみて、私の恐れていたことがことごとく現実であることがわかった。いや、もっと現実は予想を超えてひどかった。

(本文中の写真は特記のない限り2020年10月4日〜9日に筆者が撮影。冒頭の写真は津波で破壊された工場から見た伝承館)

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