愛情の種類と性質

こんばんは、昨日は友情に関しての考察、まとめを行ってみたので、今回は愛情をテーマとして、思考してみたいと思います。

そもそも、愛情とは一体どんな感情を指すのでしょう。
”愛おしいと思う感情”としても、種類もあるだろうし、主観も大いに混じってくると思います。

種類としては、家族愛、友人などへの信愛、恋人やパートナーへの愛情などが挙げられるでしょう。
それぞれに対する”愛おしいと思う感情”とは、どんなものになるでしょうか。

友情の中にも愛情は存在するでしょう。
相手に向けた感情が心の安寧になるのならば、そこに宿っているのはきっと愛情です。

家族愛に関しては、私にはよくわかりませんが、親の心を、人伝ての体験談をベースに話すのなら、人生を掛けて子供を成長させるための覚悟のような感情が、愛情に近いような気がしています。

母親の気持ちとか、父親の気持ちとか、私はどちらの立場でもないからわからないけれど、先日聞いたとある母親のお話に拠れば、子供の命に責任を持てるかどうかという点が親から子供へ向けることが出来る愛情の性質として重要なことに思えました。

子供から親へ向ける愛情があるとすれば、それは成長して親の心象がある程度想像できるようになってきてからだろうと思います。

人間は経験したことからしか、物を言うことはできません。
どれだけの深い愛情を自分が抱えていたとしても、相手に適切な形で伝わらなければ、その関係は複雑で不明瞭なものになってしまいます。

ここで必要になってくるのは、想像力です。
”相手の気持ちを想像しましょう”なんて言いますが、そんなのは、はっきり言って無理です。あくまでも、”自分の経験から、相手の気持ちであろうこと”を想像しているに過ぎないのです。想像力とは経験値の量です。

愛情を的確に伝えるために必要な能力があるとすれば想像力は重要になってくるでしょう。だから、子供は大人と呼ばれる年齢になってから、親の心象を想像できるようになり、それが愛情という形となるのです。

違う個体と感情を交わし合うということは、困難です。
出来ないと思っている方が健全でしょう。
その中でも愛情と呼びたいものがあるのなら、それはとても力強い、生きる糧となるのだと思います。

人との感情は見えないものですから、一方的な押し付けにならぬようにしたいですね。
大切な感情や関係性を長く続けたいのならば、慎重に、相手の心を閉じ込めてしまわぬように生きていく必要があるでしょう。

これまで、家族愛と友人に対しての愛情について話をしてきたわけですが、続いて”恋人やパートナーに対する愛情”に関して考えていきましょう。

恋愛的な要素もあるので、先ほどまでの愛情とはどこか違う点が見つかるかもしれません。書きながら考えていきましょう。

これは家族愛(親から子供へ向けたもの)に近いような気がしますが、相手の人生に対する責任を持つことも、恋愛的な関係性の人間への愛情の一部なのではないかと思います。

恋愛的な視点における愛情を考えるのは少々難しいということに気が付いたので、恋愛というものを”恋心”と”愛情”とで分解して考えてみようと思います。

先に、恋心について思考してみます。この点を整理してから愛情を探ってみましょう。

恋という感情を抱くために必要な要件を確認していきます。
人として尊敬できること、一人でも生きていけそうな人間であること
他にも挙げようと思えば挙げられるとは思いますが、最低限の要件を並べるのなら、このような形になると思います。この他の頭に浮かんだ要件は、所謂好みのタイプの羅列な気がしたので割愛しました。

また、恋心というものは、属性としては”趣味”のようなものな気がします。いつ手放してもいい感情だからです。始まりも終わりもわからないような、そんな曖昧で突発的な感情のことを恋心と呼ぶのではないでしょうか。

つまりは、愛情と違って、継続させる責任がそこにはあまり存在していないのです。逆に言えば、愛情とは、慎重に継続させるべき感情であるということが出来ます。

では、改めて愛情とは一体何なのか、考えてみたいと思います。
これまでの私の言葉の重なる部分に焦点をあてるのならば、”相手を尊ぶことこそが愛情”な気がします。

子供の命に対して責任感を持つことが愛情。
親の心象をいつか理解できたのなら愛情。
友人と共に過ごしている時の関係性の中に宿る朗らかな感情が愛情。
そして、恋人と共に生きるための感情(覚悟)が、きっと愛情なのでしょう。

結婚式なんかで、『病めるときも愛することを誓いますか』と誓約を交わすこともあるくらいですから、相手がどんな状態になろうとも一緒に生きていこうと思える感情や心構えのことを愛情と呼んでいるのかもしれません。

ずっと続いてほしいという願いも愛情で、それを実現するための行動もきっと愛情でしょう。
人を深く愛したいのならば、手間を惜しまないことかなとも思いました。
それこそ、どうだっていい人に自分の時間を注ぐ必要はありませんからね。
己の人生を何に注ぐか、誰に注ぐか、その覚悟を決めた時に、愛情というものがより色濃く蘇るのかもしれません。

何度も自分の想いを確認して、その関係性が終結するまで、その人を愛せたならいいですね。

本日もnoteを読んでくださってありがとうございます。
明日も更新しようと思います。
それでは、おやすみなさい。よい夢を。

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