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【小説】夜の歩調を合わせて。0話、松河鈴音ノ章

そのノートの書き出しは何処が優しげで少し不思議、それでいて私を寂しい気持ちにさせる物だった。

「このノートを読んでる貴方へ、月が雲で隠れてしまった夜は勇気を出して街に出てみましょう、街の灯りを見下ろせる高台まで登って、そこでゆっくり目を閉じたら、胸一杯に少し湿り気を含んだ夜の澄んだ空気を吸ってみてください、どんよりした雲空は街を優しく包んでくれてる、夜空も空気も質量を持った暖かな灰色の酸素が覆ってるみたいで、日常生活で硬くなった気持ちが柔らかくなった感じがしませんか?そしてリラックスしたら目を凝らして月と大地の境目を観察してみてください、今迄は見えなかったはずの彼等が此方を覗いてる事に気がついたでしょ?私が育ったこの街は夜が素敵な街だから、これを読んでる貴方もこの街の夜を好きになってくれたら嬉しいかな?優しくて悲しくて嬉しくて儚くて沢山の感情が染み渡った夜だから、だからかな?目を奪われる様な月夜の晩には何も見えない、きっとこの街の夜には月明かりは眩しすぎるのね、だから私は今にも泣き出しそうな灰色の雲に覆われた夜空の下で大好きな夜歩きをするの、色んな出会いと色んな別れ、それをこのノートに書き記します、私が書き残した色々な物語が、これを読んでる貴方と私の夜の歩調を合わせてくれる事を願って。1995年2月1日 松河鈴音」

松河鈴音ノ章

私が産まれた日の夜は静かな夜で、お母さんとお父さんがキスをした時に『リーン』って鈴の音みたいな夜の音がしたんだって、だから私の名前は鈴音なんだよって、少し恥ずかしそうに私の両親は私の名前の意味を教えてくれた、そんな両親と今夜私はこの街を出る、東京の本社に転勤するんだとか、この生まれ育った街を出て私の生活はどうなってしまうのか、正直に言えば霧で覆われた夜道を一人で歩くぐらいに不安な気持ちが強い、この街でやり残した事は無いかしら?お別れを言い忘れた友達は?携帯電話と手帳を取り出して最後に親友の佳菜子に電話をする事にした

「こんばんは、起きてたかしら?今夜両親と東京に行くから最後に貴女の声が聞きたくなって電話しちゃった、えぇ大丈夫よ私は東京に行っても自分の夢を追いかけるから心配しないで、佳菜子こそ元気でね、ちゃんと勇気を出して聡太君に告白するのよ?ふふっ冗談よ、そんなに怒らないで、そうね私も寂しい、だから何時でも連絡してね?東京に遊びに行く時とかも連絡してね?待ってるから、そうだノートの事なんだけど、やっぱり佳菜子に持っててほしいなって思ったから、貴女の机の引き出しに入れといたから宜しくね?うん平気よ、だってこの街は素敵な街だもの、それじゃ行ってくるわね、さよなら、また会いましょう」

こうして私は大好きな街の大好きな曇った夜空を背景に両親の車で東京に向かうのだった

この街の魅力を詰め込んで書いたノートを、親友に託して。

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