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記紀物語:「神代より言い伝え来る国」

神代(かみよ)より言い伝え来る国

世界のはじめ、天地には数多くの神々が現れたと伝えられています。

大地が未だ若くて固まりきっておらず、水に浮かぶ脂のように、あるいは海月(くらげ)や魚が水面(みなも)に浮くようにふわふわと漂っているところで出現されたのが、クニノトコタチノミコト、ウマシアシカビヒコジノミコト、トヨクムヌノミコトなどの太初の神々でした。

一方、天の世界――高天原(たかまのはら)に出現されたのが、アメノミナカヌシノミコト、タカミムスヒノミコト、カミムスヒノミコトの三柱です。

こうして世界には、天と地に次々と神が出現していきました。
そのなかで、イザナキノミコトとイザナミノミコトという男女の神が現れます。

天と地の間に架けられた天浮橋(あめのうきはし)――。揃って現れたイザナキノミコトとイザナミノミコトの二神は矛を手に、この橋に立たれました。
二神は手にした矛を海に指し下ろすと、探るように掻き回しました。けれども、矛はコロコロと海を鳴らすばかり。しかし矛を揚げると、引き揚げた矛の先から滴り落ちた潮が重なり積もり、島となったのでした。

二神は潮が自然と固まったこの島へ降り立たれると、そこで夫婦の契を交わしました。そして他の神の助言も得ながら、日本の国土と、木や草、海、山などの神々を産まれます。
そうした二神の営みの末に、数ある神々のなかでも特に尊いとされる三柱――日神アマテラスオオミカミと月神ツクヨミノミコト、そしてスサノオノミコトの「三貴子」が誕生されたのです。

そして現代――

「記紀」の冒頭に登場する神々は、古くから信仰の対象として祀られてきました。
歴史が絶えず動いてゆくなか、そうした神々は時代ごとにそこで生きる人々から崇敬を寄せられていました。その姿は現在でも全国津々浦々に残されてます。

淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮は、三貴子まで得て役割を成し終えたイザナキノミコトが終(つい)の住処(すみか)とされたところであるとされます。古代より朝廷からの崇敬を得てきました。

イザナミノミコトは火神を産んで焼死されたと伝わります。その身罷(みまか)られた女神を葬った地とされるひとつが、三重県の花窟(はなのいわや)神社です。現在でも浜から見上げる巨岩を神体とし、女神と火神を祭神としています。

島根県に鎮座する須我(すが)神社は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、オロチから救った姫と夫婦となって新居を構えられた場所であると伝わり、今もその夫婦神を祀っています。

その他にも、京都府の城南宮(じょうなんぐう)では平安京遷都以来クニノトコタチノミコトが祀られてきたとされ、兵庫県の西宮(にしのみや)神社は葦の船で流されたヒルコが当地の海に漂着されたことにちなむという伝承を持つなど、全国のあらゆるところに記紀の神々とのゆかりが見られます。

そうした由緒のなかには、「記紀」の編纂された古代からのものばかりではなく、中世や近世になって成立したものも見られます。けれどもそれは、歴史を通じて「記紀」の世界が広く日本各地で語られてきた証でもあるのでしょう。
日本では、少なくとも1300年以上前より言い伝えられてきた神代の物語が、今も生きた信仰として日常のすぐそばに息づいているのです。

ちなみにの解説(または参考としての裏話)

『古事記』の冒頭は天地が開けた段階からはじまるのに対し、『日本書紀』はそれよりも前、世界が未分化の頃から語り起こされている点が特徴としてよく指摘されます。
ただし、そうした『日本書紀』の導入部は日本独自の神話というより、広く当時の世界を見たときの一般論としてあらわされたものだと解されています。

また、そこに登場する神々も、順番や神名表記などで、「記紀」のなかにも多くの異同があります。
『古事記』で最初に描かれる神は天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の天に属するいわゆる「造化の三神」です。
一方で『日本書紀』はさまざまな異伝も「一書(あるふみ)」として取り入れているため、それぞれの説で多くの違いが見られますが、正文では国常立尊などの神々だけが描かれており、「造化の三神」は数ある「一書」のひとつにのみ挙げられています。
『記紀物語』ではこの「記紀」の諸説を広範に取り入れてひとつとするにあたり、『日本書紀』の「造化の三神」が記される「一書」の書き方を参考として、天地それぞれの神の先後をあえて曖昧にさせました。

イザナキノミコト・イザナミノミコトの二神が産んだ国土や神々も、諸説がさまざまで統一は難しいため、『記紀物語』では最大公約数的に簡潔な記述のみとしました。
また、なかでも三貴子の出生次第は「記紀」でも大きく異なる部分です。『古事記』では伊耶那美命の死後に黄泉国(よもつくに)から帰還した伊耶那岐命の禊によって三柱は生まれたとされるのに対し、『日本書紀』正文では夫婦両神の実子として描かれます。また『日本書紀』の「一書」には、伊奘諾尊が白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに生まれたとする話も載せられています。
これらを総合して、この『記紀物語』ではいずれの説にも当てはまるよう「二神の営みの末」に三柱は誕生したものと描きました。

なお、イザナキノミコトの隠棲地は淡路島の伊弉諾神宮の他に、滋賀県の多賀大社とされることもあります。これは『古事記』で現存する最古の写本が「淡海(おうみ)(=近江)の多賀」としているためですが、『古事記』でもその他の系統の写本では『日本書紀』同様に「淡路」とされていることから、「淡海」は「淡路」の誤写であろうと指摘されています。
ただし、イザナミノミコトの葬送地が花窟神社のある紀伊半島以外に、『古事記』では出雲と伯耆の堺にある比婆(ひば)山とされているように、神々に関する伝承地が複数あること自体は有り得べきことでしょう。

※『記紀物語』のテキストは自由に使っていただけます。凡例などはこちらをご覧ください。

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