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記紀物語:「日本のふたつの歴史書――序にかえて」

日本のふたつの歴史書――序にかえて

今からおよそ1300年前、奈良時代の日本で、令和の時代にまで残るふたつの歴史書があらわされました。
ひとつは『古事記』。現代に伝わる日本最古の古典です。
もうひとつは『日本書紀』。日本で最初の正史(公式の歴史書)として知られています。

『古事記』は、飛鳥時代に活躍した第40代・天武天皇の指示により記憶力に優れた近侍の稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦(よ)み習わしていた歴史物語を、官人の太安万侶(おおのやすまろ)が第43代・元明天皇の命に基づいて撰(えら)び録(しる)し、和銅5年(712)正月28日、上・中・下の全3巻として献上したものです。

『日本書紀』はそれから8年後の養老4年(720)5月21日、国家事業として天武天皇の皇子である舎人親王(とねりしんのう)が編纂総裁となって完成されたものです。
発端は天武天皇10年(681)3月17日の勅命。40年近くの歳月を経て編纂された『日本書紀』は、全30巻にも及ぶ記録と、現存してはいませんが当時は併せて系図も付されていた、勅撰の歴史書です。

同時期に成立したこのふたつの書を合わせて「記紀」とも称します。
「記紀」はそれぞれ、まず世界のはじまりと神々の時代から筆を起こし、『古事記』は第33代・推古天皇の御代まで、『日本書紀』は第41代・持統天皇の御代までの歴史を描きます。

古代国家の公式テキストとして編修された『日本書紀』は、国内のみならず、当時の国際社会も意識して書かれています。その頃の世界の文化的中心であった中国の歴史書のスタイルを手本に、日本らしさが滲み出されながらもかなり本格的な漢文体で書かれ、各所には漢籍の表現を踏襲した文飾も加えられました。

一方、『古事記』は和漢混淆文のさきがけのような文章です。太安万侶は『古事記』の文体を和漢どちらかに統一はさせず、文字のない時代から話されていた大和言葉を書き表すために漢字の音を利用する「万葉仮名」も使いながら、上古以来の伝承を苦心してまとめました。

また、口承文学としての色彩も濃い『古事記』は物語調であるのに対して、『日本書紀』は各氏族が伝えてきたような異説も併記しながら国内外の文献も引用し、記事の年月日も具体的で、歴史書としての体裁がより整えられたものとなっています。

いずれも日本の成り立ちを語る「記紀」は、その内容にも大小さまざまな違いが見られます。しかしそれらはすべて、国と天皇とそこに生きた人々の姿を後世に残そうとしたものです。

そしてそれは、一貫した日本の歴史として、千三百年を超えて現代にまで通じています。
「記紀」を鏡として現代の日本を眺めてみると、古代から今に繋がる日本の個性がありありと浮かび上がってくるのです。

※『記紀物語』のテキストは自由に使っていただけます。凡例などはこちらをご覧ください。


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操觚の人(writer, editor)です。歴史とか神社とか、日本のアレコレが主な領域。顕名・匿名さまざまに、時々駄文を世間へお示ししています。Twitterは@gengakuya_san。ひっそりブログも運用中(https://pedantry.hatenablog.jp)。

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