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上野駅前旅館街 あぁ上野駅ー旅館物語1

創業104年、祖祖母の代から4代目の江戸っ子ホテルです。

小さい時は「上野駅前旅館街」の中の一旅館でした。上野駅は東北の窓口と呼ばれ、東北から来た人が着く駅でありました。木造2階建ての旅館、当時は今で言う「旅行会社、トラベルエージェント」はなくて、各旅館にお抱えの番頭さんがいました。番頭さんは ワイシャツ、ズボンにネクタイ その上に旅館の名前が書いた法被または名前が入った襷のようなものをかけていました。あぁ昇りを持っていた人もいたかなぁ。

上野駅に着いて キョロキョロしている人がいると、

「今晩のお宿はお決まりですか?xx円くらいでお部屋取れますよ。」と道々値段交渉をしながら、旅館まで案内してくるのです。上野駅を出ると番頭さんが10人くらい居たでしょうか、、

旅館には、やはり住み込みの女中さん(今では差別用語ですが、当時はこう呼ばれていました。)が 常時5〜6人くらい居ました。年齢も様々、女中さん達が待機している女中部屋で私は育ったのです。(特異な環境だなぁ)

この女中さん達も飛び込みで来る人もいれば、上野駅で途方に暮れている東北から出てきた女子をやはり番頭さんが

「働くところ探しているの?住み込みであるよ」

とスカウトして連れて来る場合もありました。当時は二つの棟から成り立っている建物で両親が仕切る「小泉旅館」と祖母が仕切る「第二小泉旅館」に分かれて居ました。夕餉の時間になると女中さんが、お膳に夕飯を載せて、かしこまった顔でしずしずと、半ば恐るおそる祖母に差し出していました。きっと祖母は味とか行儀作法に煩かったのでしょう、お膳にはりんごにキャベツをちょっと入れたジュースがあったのを覚えています。りんごの中に隠されたキャベツの匂いの騙されたような味を思い出します。

姉は祖母の側によく居たのですが、私は女中部屋に居るのが好きで、本を読んで梅干しを咥えて座ったまんま茶をすする、というババくさい子供でした。祖母の前ではかしずいている女中さん達も私の前では豹変して、歌ったり踊ったり井戸端会議をしたりと素に戻ります。 私はその空気の中にいるのがなぜか心地よかったのです。

母との結婚を機に出版社を辞めて旅館に入った父は子供の私から見てもちょっとイケメンで 昭和のキムタク顔でした。女中さん達の若旦那物語も首を傾げながら聞いていたものです。まぁ 今考えると女中さん達もあけすけにお妾さんになりたいとか私の前で喋っていたなぁ。子供だから分からないだろうと思ってたのだろうけど、私は子供の時の方が今より頭良くて、ちゃーんと分かってたのだ!

〜ー続く

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