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ドクター・アルチザン (1/2)

プロローグ

今日は木村君に誘われてはじめて蔵前にきた。オシャレなカフェがあるらしい。

俺は小学生から高校まで野球一筋だった。一度も甲子園には出れなかったけど、府大会の常連校で三年の春から背番号1をつけていた。地元ではちょっとだけ有名だった。朝から晩まで野球漬け。野球を始めたあの日からピッチング練習をサボったことは1日もない。毎日ボールを人さし指と中指に挟んで寝た。野球以外のことは何にも知らなかったし、大学に入学するまでオシャレにも興味なかった。東京に来てはじめてパルコを知った。

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木村君は大学の同期。必須科目の席が隣だったのですぐに仲良くなった。生まれも育ちも世田谷というシティーボーイで、読モの兄貴の影響で中学生の頃から原宿で服を買っていたらしい。服はもちろん、カルチャー全般に詳しいし、最近はディフューザーっていうのにハマってるらしい。爽やかで、明るくて、スマート。絵に描いたようなモテるヤツで、実際女の子からめちゃくちゃモテていた。「入学して1ヶ月で3人に告られた」と聞いた時はマジで嫉妬した。

俺は高校3年間は寮生活だった。だから童貞だった。出会いがなかった。なかったんや。大学の目標はまず童貞卒業。そのために明らかに色々とゆるそうなテニサーに入った。TWICEのモモみたいな可愛い女の子と仲良くなりかった。

オシャレになることを決意するのに、あまり時間はかからなかった。大学にはオシャレな人たちがたくさんいた。俺は自分が着ていた、お母さんが買ってくれた服が急に恥ずかしくなった。
「オシャレ モテる ファッション」とか、ありがちなワードでググってみたけど、何がいいのか全然わからなかった。正反対の内容の記事も多くて、何がオシャレなのかわからなかった。一応パルコへ行ってみたけど、入店してすぐに「何かお探しですか?」、「お似合いですよ」と色んな店員に声をかけられて、焦って店の外へ逃げた。ほっといてくれ!

このままだとマジでオシャレになれない。そう思って、木村君に「オシャレ教えてや」とお願いしてみた。「褒められるのに慣れてるだろうし、断られたら微妙だな」と心配していたが、まんざらじゃない様子で快諾してくれて、その日から俺のオシャレの師匠になった。

木村君が師匠になってくれて4ヶ月。毎月表参道に一緒に出かけて服を買ってる。アクネとかH Beauty&youthによく行くかな。この前はサークルの先輩に「それアクネだよね?めっちゃオシャレじゃん!」って褒めてもらえた。オススメしてくれたTy SegallやXavier Dolanは全作チェックした。まだちょっと緊張するけど、人気のカフェにも行けるようになった。随分オシャレになった気がする。
まだ脱童貞というオポチュニティは経験してないけれど、少なくとも「おのぼりさん感」はなくなったと思う。そう思いたい。オカンが買ってくれたしまむらや洗濯しすぎて伸びきったDESCENTEのジャージを外で着ることはもう二度とないだろう。

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第一部

ドリンク オア ライ

そのカフェはまだ新しいのに、すっかり人気店になっている。「厳選されたカカオ豆とオーガニックのきび砂糖だけで作るこだわりのチョコレートがバイブス」と木村君が教えてくれた。倉庫をリノベーションした、広々としてウッディな空間は、まさに俺がイメージするサンフランシスコだった。なんとなくビル・ゲイツが飯食ってそう、な感じがした。

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週末の昼過ぎだったから店内は混んでいた。
木村君は店員とフレンドリーに話しながら、ホットチョコとワンプレートのスイーツを注文した。俺はこういうオシャレなカフェにまだ慣れてなくて緊張していた。動揺すると「自分が汗をかいていること」にだけ客観的になるのはなんでだろう。緊張してたし、後ろのオシャレなカップルを待たせるのも嫌だったから、メニューをろくに見ず、なぜか嬉野(URESHINO)っていう紅茶をオーダーした。せっかくこのくそ暑い中、1時間もかけてチョコレートバーに来たっていうのに。

切ない気持ちのままカウンターでカップを受け取り、2Fの席に座った。やっぱりオシャレなカフェっていいよね。隅々までこだわりがあってさ。テーブルの木材も普段行く駅近のドトールとは全然違ってた。詳しくわからないけど重厚感?があるっていうか。木村君の頼んだホットチョコのいいにおいがふわっと漂ってきた。スイーツもすごく美味しそう。次に来る時は絶対同じやつを頼もう。

冷めないうちに紅茶を飲もうと口をつけた瞬間、世界の彩りの一切が失われたのがわかった。一体、何が起きているんだ?異常な感覚に襲われ、俺は混乱した。紅茶の味も香りもしない。熱さも感じない。雑音も聞こえない。俺ひとりだけが今いる世界から切り取られて、モノクロテレビのブラウン管に突然吸い込まれたような感覚。違和感という言葉では表現し尽くせない何かが心の裡に強烈に押し寄せてくると同時に、いまの自分の生き方への疑問で頭がいっぱいになった。

俺は付き合いたい。誰かを好きになりたいし、好かれたい。エッチしたい。そう、エッチしたいんや!そのために今日もこうして努力しているわけだけど、たとえば隣のオシャレなお姉さんと付き合うことができたら、俺は幸福になるんだろうか?その幸福はいつまで続くんだろうか?こんな独りよがりな考えで、お姉さんは幸福を感じるんだろうか?大体なんで俺はモテたいと思ったんだろう?エッチしてどうなるんだろう?一体俺は何を目指しているんだろう? 誰のために努力しているんだろう?

人間はキッカケをコントロールできない。
ただキッカケから何かを学ぶだけだ、もしその気があるのなら。



この気味の悪い感情?は一瞬でやってきて、消えた。今振り返ってみてもあの時、何が起きたのか、何故起きたのか、よくわからない。

着席してから木村君はいつも通りオシャレな話をしていた。ずっと続けていたらしい。正直、この奇妙な事件の前後の内容を全然覚えていない。本当に申し訳ないと思った。我に返った俺はいつも通り聞き役に徹して、相槌を打ったり、ちょっと大げさに驚いたり、オススメしてくれたアイテム(通称キム着)をググった。でも内容が耳に入ってこない。

あまりに落ち着かないので店内を見渡していたら、一人の奇妙な男性に目を奪われた。



衝動

よくない意味で一際目立っていたその男性は、座っているから正確にはわからないけれど、周りの人と比べて一回りくらいでかかった。肌は浅黒くて、顎からもみ上げまでヒゲヒゲヒゲ。鎖骨の下まで伸ばしっ放しのボサボサで硬そうな髪。眉毛も手入れされていないようだった。清潔にしたらイケメンなのかも。くっきりとした二重で、黒目がちで、唇はやや厚くて。芸人の又吉に少し似てたかな?この人の存在感がとにかくやばかった。意思と情熱がいつでもほとばしってる、そういう生き方をしているように何故か思えた。

でも一番びっくりしたのは、男性の奇妙なファッション。カットソーの首元はヨレヨレ、端はボロボロ。素材はテロテロしていて昔お母さんが着ていた肌着を思い出した。靴はシワシワ。手首には鈍いシルバーのバングルとどこかの民族みたいなブレスレットとスプーン?、それから気味の悪いリングも付けていた。季節感のカケラもない。

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結構年上っぽいこの人は、木村君が教えてくれるオシャレとは真逆だった。清潔感はゼロ。サイジングはダメ。アクセントばかりでクドい。癖が強すぎる。普通の仕事についてなさそうだし、絶対にモテない服装だ。どう見てもやべー奴。それなのに俺はこの男性からまだ目を逸らすことができないでいた。この不思議な魅力は何だろう?

男性にばかり気を取られていたが、席の反対には後ろ姿でもわかるマブナオンが座っていた。綺麗なダークブラウンの、ふんわりとしたウェーブヘア。見たことがないほど細かい刺繍が部分的に入っている黒いワンピースを着ていた。多分ハイブランドの服っぽい。ブルー、イエロー、ピンクのシャーベットカラーのネイルとゴールドの細いリングは白くて綺麗な細長い指にとっても似合っていた。このナオンは絶対いい匂いがする。Jo Maloneがきっと好きに違いない。近づいて、気が済むまで脇の匂いを嗅ぎ倒したい。

男性をどれくらいガン見してたかわからないけど、とうとう目が合ってしまった。焦ったけど、男性がニコッと笑ってくれたので、俺もなんとかスマイルを返せた、と思う。こういう余裕のある大人になりてーし!てか、マブナオンと付き合いてーー!!とか思っていたら、男性が片付けをはじめた。間もなくナオン of マブと席を立ち、俺の横を通り過ぎて行った。男性は一挙手一投足が堂々としていてかっこよかった。マブナオンはアルマーニを着てた頃の宮崎あおい似だった。大好きです。

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このチャンスを逃したら、絶対カッコイイ男になれない気がした。これはもう運命じゃないか?って何故か思った。不思議だよね。あらかじめ自分の身体に刻まれていた出来事にいま遭遇しているような感じ。なんでこんなに興奮してたのかわからなかった。でも、とにかくあの男性みたいにオシャレ?になりたい。あわよくば彼女を作ってまたこのカフェに来たい。

「MBさんと恋達さんのスタイリングはマジで神だよね」と語っている木村君に「ごめん、ちょっと用事できた!今度酒おごるから!!」と言って、急いで二人の後を追った。後ろで木村君が「チョ!待てヨ!!!!」と俺を呼ぶのが聞こえた。



足りないもの

カフェを出てすぐの道端で「スイマセンッッ!!!」と声をかけた。男性は「エッ?!」と驚いた様子で振り返ったが、思っていた以上に大きな声が出てしまったので俺の方がビックリしていた。「あ、そこのカフェで目があったよね?」と男性は言い、さっきと同じように笑った。

俺は何も考えず、っていうか考えてたらこんなことしない・・・、「あなたみたいなオシャレな男になりたいんです!!」と叫んだ。男性と宮崎あおいさんに爆笑された。笑われてやっと、自分がどれだけ変なことをしていたのかに気づいた。めっちゃ恥ずかしくなった。木村君にお願いしたのと違って、見ず知らずの人にオシャレを教えてくれだなんてありえn

「とりあえず、話聞くよ。いいだろ、ユリ?」
男性は相変わらず笑顔のまま、言った。

俺たちは近くにあった別の喫茶店に入った。そして、俺はこれまでの自分のこと、童貞であること、オシャレになりたいこと、チョコレートバーでの違和感・・・思いついたことを見ず知らずの男性に洗いざらい話した。最初は二人の様子を伺っていたが、話しはじめてすぐにこの人達になら全部打ち明けてもいいって気がした。こんなに安心して誰かに話をしたのは、上京してからはじめてだった。

この不思議な男性の名前は稲垣さん。「木村に稲垣って、解散した某アイドルのメンバーかよw」と、稲垣さんとユリさんが同時に笑った。二人はもう5年近く付き合っていて、同棲しているらしい。すげー羨ましい。絵に描いたお似合いのカップルだった。

俺の自分語りがひと段落したタイミングで、稲垣さんが「俺も吉川君の気持ち、わかるよ。今年で31歳になるけど、学生の頃同じこと考えてたもん」と言った。
こういうカッコイイ大人でも同じ悩みを持っていたということに少しだけ安堵した。でも安心したくて声をかけた訳じゃない。稲垣さんの魅力の秘密、オシャレのコツが知りたいんだ。っていうか、稲垣さんは自分をオシャレだって思ってるのかな?

「まあ・・・焦るのはよくないよ。吉川君が登板する時、バッター毎に決め球を決めてから投げるだろ?」

そりゃそうだ。バッターには得意なボールと、苦手なボールがある。決め球を決めずに投げてアウトが取れるのはチャップマンか、ウェイクフィールドくらいだろう。

稲垣さんは続けた。
「悩んだ時はシンプルに考えるのがいいよ」
「はぁ・・・」
「1打席目でインローのストレートを打たれた打者に、2打席目も同じ球を投げないだろ?」
「はい。投げないッス」
「アウトローにスライダー投げるか、インローにチェンジアップ投げるだろ?」
「はい。それかインハイにストレート投げるか・・・。でもフィニッシュはやっぱりスライダーですかね」
「だよね。外スラで空振りリベンジ!と行きたいよなぁ。つまり配球と同じってことさ」

配球と同じ?

「プラスとマイナス。陰と陽。人間は二つの要素を持っているって聞いたことある?」
「何となく、あります・・・」
「人間は<プラスの願望>と<マイナスの願望>を持っているんだ。<マイナス>と言うと悪く聞こえるかもしれないけど、最初から人間が持っているものだからね。悪玉菌的みたいな。 で、そういうネガティヴなものはどうしたらいいと思う?」
「えーー・・・最初からあるってことはゼロにはできないッスよね?」
「だね。もし簡単にゼロにできるなら、こんなに沢山お寺や神社はないだろうな」
「調子悪いときは・・・そうッスね、うまくコントロールする?とか?」
「正解。自分が感じてる<マイナスの願望>をうまく管理するんだ。そしてプラマイのバランスを取る。俺が思うに、吉川君のさっきの話を整理すると、『モテたい』ために爽やかオシャレを目指してるって最初に言ってたけど本当はそれの同じくらい孤独になりたいんだよ」

エッ?!

「君はマゾヒスティックなんだ。人生をもっとリスキーに生きたい、落ちるところまで堕落したいって思ってる。とんだすけべ野郎だね」

言ってる意味がわからなかった。そしてショックだった。もし言われたことが本当だとしたら、そういうネガティヴなことを心の底で考えて望んでいるのか?俺は自分が信じられなかった。

っていうか、俺はかっこよくなる方法、オシャレの極意を知りたいだけなんだが。

「繰り返すけど、それがダメってことじゃないんだ。生まれた時から自然に持っている要素だからね。俺にも当然ある。たまたま今、ネガティヴなマインドが高ぶっているタイミングってだけかもな。部活と受験が終わったばかりで、燃尽症候群みたいになっているとか?」
「あー、それはあるかも知れないッス・・・。」
「吉川君はいまネガティヴなマインドなのに、無理矢理ポジティブなことに挑戦しようとしているんじゃないかな。そのギャップで苦しくなっている。モテたいのは本心だと思うけど、俺にはモテたい焦燥に敢えて溺れて楽しんでいるるようにも見える」

ギャップか・・・。

「大体考えてみてよ、俺のこの服装見て、普通はオシャレだって思わないでしょ?www」
「確かにwwwww」

すげー失礼なことだけど、声を出して笑ってしまった。
どうして稲垣さんはこんなに明るいんだろう。怖めな第一印象とは違って、包容力が半端ない。でも、言われてみたら確かにそうなんだよな。なんでこの変なスタイリングが魅力的に見えたんだろう?

「ジロウの服、汚いからぶっちゃけ嫌いだけど、ポリシーがあって着てるから文句は絶対に言わないんだ」とユリさんが言った。



ポ  リ  シ  ー !

そうだ。俺にはポリシーがなかったんだ。稲垣さんとの決定的な違いはポリシーがあるか、ないかの違いなのかもしれない。確かに木村君が教えてくれたものをただ真似してただけ。行きつけのショップの烏天狗さんが「吉川君に絶対似合う服があるから!見に来てね!!」ってLINEしてくれた服を、酒を飲まされてテンションで買っていただけ。そうだ、野球だって阪神ファンのお父さんに「お前は将来藪になるんや!」って無理矢理やらされたんだった。

「おいw 汚い言うなw あくまで小汚いだからなww」
「どっちも一緒じゃん・・・。吉川君、このカットソーいくらだと思う?」

ユリさんがわざわざ値段を聞いてくるってことは、ボロボロだけどきっと高いんだろうな。欲しかったけど諦めたUNDERCOVERISMのダメージ加工のカットソーでも1万5,000円くらいしたな・・・。失礼がないように、思いっきり高めに言ってみよう。

「えーっと、2万円くらい、ですか・・・?」
「4万円らしいよ・・・」

ヨンマンエン?!
お母さんの下着を煮て焼いて干してヤスリで削っただけみたいな、このボロボロで汚くて臭そうな服っていうかほぼ布切れが?ヨンマンエン?!新小岩の路上で無料でゲットできそうなのに。

「この靴も14万円?だって。吉川君のバイト代より高いんじゃない・・・」

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マジ??さっきは遠目でシワっぽいな、としか思わなかったけど、よく見たら表面は色ムラがひどいし、なんとなくカサカサ?している。コバのステッチはボコボコで綺麗ではないってか汚い。沈没した船からサルベージしたアンティークみたいだ。一体誰が、何のために、こんな法外な値段の靴を作ったんだろう。てか、稲垣さんはなんで買ったんだろう・・・。

俺は混乱していた。
こんなに高い服や靴なんだから、何かすごい秘密があるに違いない。けど、じっと見ても何がすごいのか全然わからなかった。ユリさんが言うように稲垣さんにはポリシーがあって買ったんだろう。でもポリシーがあって選んだようにはとてもじゃないけど思えないクオリティだった。何を言えばいいんだろう、下手な感想を言って稲垣さんを不愉快にしたくなかった。

少しの沈黙の後、稲垣さんの笑顔が今日はじめて消えたんだ。

「吉川君さ、アルチザンって聞いたことある?」



アルチザン

アルチザン?
チーズの名前みたいだ。

「吉川君が俺をカッコイイって思った理由はね、多分俺にはポリシーがあるからだよ。服装だけじゃない。生活すべてにおいてさ。俺はポリシーを持って生きている。ポリシーに従って選択して、決断している。毎分毎秒ね。だからこんな小汚い格好でも吉川君はカッコイイ!ってきっと思ったんじゃないかな。吉川君は俺のアルチザンっていうポリシーに共感してくれたんだ。そうだと嬉しいけど」

俺は無言で頷いた。

「逆に言うと、吉川君はフワフワしているんじゃないかな?」

フワフワ・・・。

「いま環境が一気に変わって、それまで生活の軸になっていた家族や野球っていうものから良くも悪くも自由になったからさ。さっき俺は<プラスの願望>と<マイナスの願望>があるって言っただろ?吉川君は大学に入るまでプラスの世界しか知らなかったんだと思う。その反動で、今はマイナスの方向に興味が向いているんじゃないかな。生まれてはじめてマイナスの側にいる」

「いろんな考え方があるから、一概にこれがいいとは言えないけど・・・、俺は、そういう時はマイナスを安易に拒絶しないで、一旦受け入れて、むしろ徹底的にマイナス道を突っ走ってやるぜ!っていう考え方が好きなんだ。その方がトータルで見た時、いい気がする。ムッシュかまやつも何かに凝ったり狂ったりしろって歌ってる。そのマイナスの究極のかっこよさというか、零度のオシャレというか・・・そういうのがアルチザンって巷では呼ばれてる。マイナスを限界突破して、プラスのエネルギーに転化する、ジャンプ台みたいな服」

究極のかっこよさ!ジャンプ!!なんか魔法みたい・・・?!

「アルチザンは究極のポリシーなんだ。アートフルなんだ。さっき吉川君は俺のカットソーの値段を聞いてびっくりっていうか、ぶっちゃけ引いただろ?アルチザンは良識を超えた地平にある服なんだよ。既成概念で理解しようとしても無駄なんだ」

良識を超えた服・・・?

「アルチザンはプリミティブな宗教なんだ。普通の人は着心地がいい服を欲しがるだろ?アルチザンはその反対なんだ。地面に置いて立ち上がる、何十万円もする極厚のレザージャケットを有難がって買う。腕をうっ血させて恍惚に浸る。聖テレジアや聖セバスチャンみたいにさ。信仰心が薄い信者は、より信仰心の強い同じ宗派の信者に迫害される。俺の友人は表参道で、同じ販売員に接客されていた客に火をつけられて、二週間後に死んだ」

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立ち上がる服ってどういうこと・・・?宗教?迫害??焚刑???

「奴らは川に服を流して、『これがプレゼンテーションです』って平気で言う。カビに服を食わせたりして喜んでる。それを高値で売りつけて、しかもそれにプレ値がついて闇のマーケットで転売される。あるギャングが仕切ってる村ではアルチザンの服が通貨として今でも流通している。

服を川に流す・・・?カビに食わせる・・・?

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「アルチザンはすけべに生きたい人、博打したい人、マゾな人、孤独な人、ひねくれた人、差別したい人のための服なんだ。ほとんど犯罪的だ。実際、アルチザンを買うためにヤクの運び屋や人身売買といった犯罪行為に手を染めている奴もいる。ただ知っておいて欲しいんだけど、人はみな、心の中で犯罪を犯してみたいって思っているんだ」

稲垣さんの言っていることが全然わからない。内容が飛躍しすぎてついていけない。急に稲垣さんが怖くなった。ユリさんは「また始まった・・・」という呆れ顔だった。

「・・・ごめん!いきなり話しすぎちゃったね。とりあえず俺は法を犯したことはないから安心してw ちゃんと納税してるww しかも高額納税者www 」
「もしアルチザンが気になったら、このお店に行ってみてよ。いいお店だからさ」

そう言って、一軒のショップを教えてくれた。

喫茶店のマスターが閉店時間です、と不機嫌なトーンで言った。いつのまにか7時を20分も過ぎていた。慌てて会計を済ませ、外に出た。



未知への旅

駅までの帰り道では、稲垣さんが今日履いてたブランドや、ユリさんが好きなPurple MAGAZINEやthem magazineという雑誌について教えてもらった。木村君とは違うジャンルの話で面白かった。改札でお礼を言って、LINE交換した。別れ際もやっぱり二人は笑顔のまま手を振ってくれた。

俺は電車に揺られながら今日の出来事を反芻していた。色んなことが一気にあったからうまく整理ができない。何度も溜息をついてしまった。ポリシーを持った生き方。人間の相反する本質的な二つの願望。そしてアルチザン。

稲垣さんが教えてくれたことをメモして、何度も何度も考えてみた。だけどやっぱり理解できなかった。ただ、俺が知らない何か崇高な世界が足元に広がっている気がした。早速オススメされたショップのサイトを見つけた。だけど、知らないブランドばかりだった。m.a+ってなんて読むんだろう。ブランドの説明も画像もないし、SNSもやってない。オンラインショッピングもできないみたいだ。てか、NEWSが2014年の秋から更新されてない。まだこのお店営業してるのかな・・・。

もうすぐ家だ。これ以上考えたところで、いまは何の結論も出ない気がした。
とりあえずこのショップに行ってみよう。そこでヒントが掴めるかもしれない。いや、絶対掴まなきゃいけない。今回は一人で行ってみよう。

熱帯夜だったけど、部屋のエアコンもつけずにベットに潜り込んだ。



次回予告

やめて!

キャロル・クリスチャン・ポエルのアウターを買ってしまったら、クレジット与信枠を限界突破して、来月破産しちゃう!

お願い吉川君、あんたが今ここで倒れたら、お母さんと木村君との約束はどうなっちゃうの?債務がまだ90万円残ってる。ポエルに耐えれば、木村君と帰省して祇園祭でワンチャンあるんだから!

次回、「吉川、柏の闇金へ行く」
デュエル、スタンバイ!!



*注
このnoteはフィクションです。
実在の人物や団体などとは9割関係がありません。
画像は全てイメージです。
特定のブランドを称賛、毀損する意図はあまりありません。


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