瞳

物語る瞳。

『人は見た目が10割』

最近はこうらしい。昔は『人は見かけによらない』とか『人を見かけで判断するな』と言われたものだ。それを聞くたび、何を眠たいことゆーとんねん、と思っていた。その人がどんな人間かなんて、見たらわかるじゃん。顔を見て声を聞けば、少なくとも自分と仲良くなれるか、関わらないほうがいいタイプなのかは充分感じ取れる。

造形の問題ではない。一見整っているようでも、実はてんで話が通じない、会話の成立すら危うい「人間研修・実習中」みたいな人もいれば(ちなみにお人形みたいに容姿がかなり端麗なタイプに多い。なぜなら、初級なので人生チョロめのイージーモードからスタートするのだ)どうひいき目に見ても美形とは言い難いはずなのだが、味や愛嬌があって眺めていると落ち着くとか、なぜかたまに一瞬びっくりするほど美しく見えるような人もいる。それは、オーラというか肉体に重なって存在している魂の層が透けているのだ。

なかでも、瞳にはすべてが表れる。目は心の窓だというけれど、知性と意思は瞳にこそ宿るのだ。目で会話ができるのは、ある程度通じ合っている者同士でなければ難しいが、初対面の人と目が合って「あ、なんかこの人知ってる…」と感じたら、それはまさに過去生からの深い繋がりがある人だと思っていい。もし、数秒間なんとなくお互いに無言で見つめ合ったとしたら、それは魂同士が感動に浸っているのである。時間・場所・環境など、ありとあらゆる可能性が無限に広がるこの宇宙で、まさに奇跡的な再会を果たせた喜びを分かち合っている瞬間だ。

これは恋愛などのパートナーに限らず、出逢いの全般における話である。ニコニコ笑っている赤ちゃんは、自分を囲んで見つめてくる両親や兄弟、祖父母や親戚たちに「みんなに会いたくてがんばってここまで来たんだよーやっと生まれてこれた!また会えて嬉しいな!!」と全力で語りかけている。いつのまにか家に入り込んで、気がつけば家族の一員になってしまった猫も「さびしがりのアナタのお世話をしに来てあげたよ」と言っているだろう。

動物たちは、いつでも人間に意思を向けている。そして、自分のもとに迎えることになった動物は、全身全霊であなたを愛するためにやってきてくれた特別な存在なのだ。ちなみに人間が話す内容もちゃんと理解している。「おなかすいた・ごはんちょうだい・遊ぼうよー」くらいしか考えていないと思ったら大間違いで、むしろ人間を見守る側の立場なのだ。対等以上な存在として、敬意を払いながら愛と感謝を口に出して伝えよう。

誰かとわかり合いたいなら、話をするのもいいのだが、瞳の奥をのぞくほうがより深いところで通じ合える。心の動きも目に浮かんでくる。伝えたい気持ちを想いにのせて、じっと相手の瞳を見つめてみよう。きっと、どんな言葉よりも、大切なことが真っ直ぐに伝えられるはずだ。

お福分けのひとしずくをありがとうございます!この波紋を大きく広げていきたいと思います。