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フランスとアメリカ、それぞれの人種の多様性

私の母が知人に、私がフランスで働いているという話をしたとき、「日本人でも分け隔てなく雇うフランス企業がすごい」といっていたそうです。確かに納得。今、フランスで日本ブームが起こっているとはいえ、よくぞこんな外国人をデザイナーとして雇ってくれたものだと改めて思いました。

いわれてみると、フランスの高級ブランドのデザインのトップでも、フランス人ではないことは珍しくありません。特にクリエイティブな職業において、良いものをつくる人であれば、人種問わずといった印象があります。
もちろん、日本企業でもトップが外国人ということはありますが、一番の違いは、フランス企業のトップは外国人でもフランス語を喋り、日本企業では英語を喋っていることです。

今、アメリカを発端に、人種差別についての論議が熱く取り交わされていますが、生まれてから幼い頃までをアメリカ、その後日本、今はフランスに住んでいる私が感じていることについて書いてみたいと思います。

日本にいた頃は、西洋の外国は「欧米」と一括に考えていました。日本にいるときに私が感じていた欧米人のイメージ「自己主張が強くて、喋りが上手くて、フレンドリーでいつも笑顔」は、アメリカ人が多いかも。
フランスに住んで気づいたのですが、フランス人の大半は、そこまで押しは強くなく、ボソボソ喋る口下手も多く、何よりフレンドリーじゃないし、機嫌が悪いときも顔に出ます。私は、その自然体な不器用さが好きなんですけどね。

ある日、日系アメリカ人の友達と日系ブラジルの友達と飲んでいたとき、フランスにおいての人種差別の話で盛り上がりました。
私は差別されたと感じることは日常でほとんどないのですが、彼らにしてみると、「フランスでは人種差別を受ける」とのこと。日本人は優遇されている側なので差別を感じにくいとは思っていましたが、彼らは日系人。日本語は喋りませんが、見た目は日本人です。どういうときにそう感じるのかが気になりました。

それぞれ、自分はブラジル人、アメリカ人であるといっているのに、「で、元の出身はどこ?」とさらに追求されるとき、差別されていると感じるそう。見た目がアジア人であるということで、ルーツはどこなのか、という何気ない質問だと思うのですが、どうやら北米南米共にタブーのようです。私もウッカリ聞いてしまいがちなのですが、本人が「アメリカ人」「ブラジル人」といっているのであれば、それ以上は追求しないのがアメリカ大陸では礼儀のようです。

それに近いことを感じたのは、シアトルのアジア系アメリカ人博物館のツアーに参加したときでした。日系三世の方がガイドをしてくださったのですが、「お住まいは日本のどちらですか?」と聞かれました。今はフランスに住んでいるんです、と言ったところ、立ち入ったことを聞いてしまい大変申し訳ないという反応をされてしまいました。アジア系アメリカ人がアジア人というステレオタイプに縛られて苦労してきたという説明をしていたのに、日本人=日本に住んでいるというステレオタイプな質問をしてしまったことが失礼だったと思われたようです。私は全く気にならないのですが。

フランスでは、ルーツを聞くことは、全くタブーではありません。地理的にヨーロッパの真ん中に位置しているので、常に北からも南からも人が流入してきた歴史があります。白人でもドイツ系だったりイタリア系だったりしますし。
以前「フランス人ってなんだろう?」という子ども同士の議論を取り上げたラジオ番組がありました。みんなおじいちゃんとおばあちゃんは他の国から来たという子が多く、生粋のフランス人って、実はそんなにいないんじゃないか、という話をしていました。フランス語を話したらフランス人! というのが彼らの結論。単純なようで深い。
フランス人はフランス語を誇りにし英語を喋らない、といわれている通りですが、下手くそでもひとたびフランス語を喋る努力をみせると、仲間として迎えてくれます。先程の、フランス語を喋る企業のトップというのも、こういった考え方に基づくのだと思います。明らかに日本人訛りのフランス語を喋る私ですら、「フランス人?」と聞かれることがあります。

ルーツを聞くことはタブーではないのですが、政府が国として民族の統計を取ることは原則禁止しています。なので、フランスの出生率が高いのも、実は移民が押し上げていると内心誰しもが思っていても、それを証明するすべはありません。
アメリカでは、ルーツを聞くことはタブーですが、大学入試や就職の際に何系アメリカ人なのか、という記入項目があります。アメリカの大学では、教育熱心なアジア系家庭の子の割合が増えすぎてしまい偏りが出始めたため、アジア系は入学しづらくなっています。意図的にいろんな人種を混ぜようとしているのです。
アメリカで大きなイベントがあると、子ども達がズラッと手を繋いで並び、みんなで歌うシーンがよくみられます。もちろん、人種はバランスよく混ぜられて。そういった「平等」に不自然さを感じてしまう私は、ひねくれすぎでしょうか…。

そういえばアメリカの幼稚園に通っていた頃、私はアジア系の友達とばかりつるんでいて、白人の子がクラスの中心人物という印象を、幼心にも漠然と抱いていました。誰に教わったわけでも指示されたわけでもないのに、そんな頃から人種の違いを意識していたなんて、そう簡単には片付かない問題のような気がします。
今後、娘はフランスの学校に通うようになりますが、フランスの子ども達の世界がどうなっているのかを彼女を通して知るのが楽しみです。

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