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《ショートショート》白だけの花束

パソコン画面に広がる白い背景と黒色の文字。
カタカタと音をたてて打つキーボードの音。
タン! エンターキーを押して、男は息を吐いた。
背もたれに身体を預ける。
明日までに仕上げないといけない書類があるから、こうして休みの日に家で仕事をしているというのに、いまいち進まない。
男は頭をかきむしった。
原因はわかっている。俺の気もしらないではしゃいでいる、あのガキだ。
 男の部屋の窓の向こうには、秋らしいコスモスが一面に咲いていた。
さっきから、女の子が、そのコスモスを見てはとびはねている。
「うわぁ、きれい! 白、ピンク、薄紫、紫、赤紫、ほんとに色とりどりだ!風に揺らめいて、みんなでおしゃべりしているみたい!ビューティフル! 華やか! 清らか! 秋らしい! だれがいちばんきれい? 私? あなた? ねぇねぇ私もまぜてまぜて!」
女の子はこんな調子で、コスモスに話しかけていたり、一緒に揺れたりしていた。
それは、本来ならのどかな光景なのだろう。だが、仕事に行き詰まっている男にとっては、能天気な言葉のひとつひとつがかんにさわった。
 いい気なもんだ。こっちは妻や娘をくわせるために、理不尽な上司の説教に頭を下げ、無理難題をいうクライアントにへらへら愛想笑いしてるというのに。
まぁ、しばらく我慢すれば飽きるだろう。男はまたパソコン画面に視線を戻した。

 甘かった。女の子は飽きることなく、色の名前を楽しそうに言っては、きれいだ華やかだとはしゃぎ、コスモス畑の近くを走り回っていた。
 男が集中しようにも、甲高い声がきこえてきて全然できない。それどころか、女の子の声が頭のなかにガンガン響いてくる。
 キーボードのかたかたとした音がむなしく聞こえてくる。
 うるさいうるさいうるさい!
 男はついに、窓を開けた。
「おい、いい加減にしろ! うるさいんだよ!」
 女の子は、時間が止まったように動かなくなった。男を見つめる。怯えているようだった。ごめんなさい、と言おうとして男の睨みつけるような顔が怖かったのか、顔をそむけた。
 女の子はコスモス畑に背を向けた。家に帰るのか、とぼとぼ歩きはじめる女の子を男はまだにらみつける。そして気づく。
 なんだあの子は。赤信号を無視して渡っているじゃないか。自分ことしか見えていないのか。男は当たり散らすように勢いよく窓を閉めた。もう自分には関係のないことだ。

 男はようやく仕事に集中できた。書類ももうすぐできそうだ。
玄関のドアがあく音がした。どうやら妻が帰ってきたようだ。スーパーのビニール袋のにぎやかな音が聞こえる。
「ただいま。ねぇあなた、これあげる」
妻がくれたのは、雑草でつくった花束だった。花束は、全体のバランスはとれているものの、花はどれも白い。アクセントに違う色をいれてもいいのに、と男は思った。
「これね、さっき、ゆなちゃんからもらったの」
「ゆなちゃん?」
「そう。娘のクラスメイトなのだけど、先天的な病気ですべての景色がモノクロにしか見えないんだって」
だから、この花束も色のバランスがちょっと、変わってるの、といった。
「ゆなちゃん、さっきまでコスモス見てたんだけど、騒ぎすぎて怒られちゃったんだって、しゅんとしてた」
 男はどきりとした。妻に、ゆなちゃんの特徴を聞いてみる。紛れもなく、さっき自分が怒鳴りつけた女の子だった。
あの女の子がみる世界には色がなかったのか。
「でも、色の名前を知っているし、華やかとかいっていたぞ」
あれだけ嬉しそうにしていたのに。そう、まるで、明るい色のコスモスをみているかのように。
「みんながいっている言葉から、想像を膨らませているんですって」
 妻は、買ってきた食材を冷蔵庫に詰めながら答えた。
 男は窓の外を見た。鮮やかなピンク色の景色が広がっている。
 コスモスがきれいといっていたとき、あの子はどんな景色を見ていたのだろうか。
 妻はキッチンのしたの扉を開けた。ガラスでできた小さい花瓶を取り出すと、水をいれる。花束を花瓶にさす。
 白だけの花束を見て嬉しそうな妻に、男はどんな言葉をかければいいかわからなかった。

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サークル『25時のおもちゃ箱』
テーマ『秋桜を眺めて』
参加作品です。
よろしくお願いいたします。

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