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飛行機雲がずっとのびていますように

 《#また乾杯しよう》の応募に8月12日の日航機墜落事故を哀悼する小説を書こうと思っていた。
 だが、やめた。書くなら最低限、もし御遺族の方が読まれても失礼のない小説にしたいが、リアルタイムですら関わっていない私にそれが出来るのか。自信がなかった。
 亡くなられた方と乾杯したかったのではないか、をテーマにするつもりだったからこそ、何が乾杯だ!と思われそうな作品しか仕上げられそうになかったのだ。

 それでも、書くのをやめても、今年はなぜか、12日を過ぎても頭から事故が離れなかった。
 理由は簡単だ。ここ何年かで、私が飛行機を好きになったからだ。その理由も単純だ。彼氏が飛行機が好きだからだ。
 JALはジャルだけどANAはアナと言ってていいのかわからなかったレベルから、私はぐんぐん覚えた。ANAはアナと呼ばれているけどエーエヌエーが正式なこと、日本に航空会社は星の数ほどあること、飛行機はボーイングとエアバスの2社が主流なこと、同じように見える飛行機の機体にもそれぞれ型番があること。
 いつのまにか空港に行くのが好きになり、飛行機を見るのが楽しくなった。乗る機会も増えた。
 墜落事故が頭から離れないのは、そうやって無邪気に楽しんでいるからこそ、これは安全が大前提だよね、だからこそだよね、と念押しされているようだったからだろう。

 正直言って、この飛行機事故いつまでやるんだろう、もう忘れていいんじゃない、と思っている人もいると思う。実際、年をおうごとに、テレビやネットのニュースも扱いが小さくなっている。
 それに、私自身、飛行機が好きだからこの事故は忘れてはいけないと思うものの、すべての事件事故を365日ちゃんと覚えている訳じゃない。江戸時代や縄文時代の事件事故が語り継がれていないように、この事故もいずれは忘れられるのだろう。
 でも、この事故の正式名称も、いつ、どこで、どこの会社が、どうして、どんな事故だったかなんて、忘れ去られてもいい。けど、飛行機が飛び続ける以上、空の安全が何よりも大事だという事実は忘れてはいけない。それを伝えるにはやはり、事故があったことをせめて航空に関わる人だけにでも、語り継いでいくべきだと思う。

 暑かっただろう35年前の8月12日。
 空中で垂直尾翼が飛び、客室から空が見えたといわれる機内。
 激しく揺れる機体に、乗客やクルーはどれだけ怖かったか。
 身元の判別が困難な黒焦げのちぎれた遺体が並べられた、激しい異臭のたちこめる体育館。
 遺族は、どれぐらい辛かっただろうか。想像しても足りない。
 いや、もう怖くて想像できない。
 でも、現実にあったこと。
 もし、事故がなかったら、いきていたら。
 35年後のいま、みんなどんな風に成長していたのだろうか。

 小説は当初、8月12日に縁側から空を眺めていた女性が飛行機雲を見つけ、どうかと途切れませんように、と祈る内容だった。
 そして、実際の8月12日に、私は飛行機雲を見つけた。想像以上にきれいな白い線を見て、小説をやめてよかったと思ったことをまだ覚えている。

#エッセイ #また乾杯しよう






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