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人生の夏休みは前髪がないのかも

 大学時代は人生の夏休み、と言われる。
社会人になったら遊べなくなるから、時間がありあまっているうちに遊んでおけ、という、あまりよろしくない意味である。
 実際、大学生の頃は友人と
「大学時代は人生の夏休みっていうけどさ、うちらだって講義やレポートやバイトで忙しいじゃんね!」と憤慨してた。
 そしてお互い社会人になり何年か経つと今度は「社会人ってほんとに大変!大学時代は人生の夏休みじゃないなんて怒ってた自分を平手打ちしたいわ」と笑っていた。

 今振り返れば、私みたいな親のすねをかじって進学している大学生は気楽だったと思う。講義はさぼりたいときにさぼるなり代返してもらうなりすればいい。テストに落ちても単位がとれなくてもレポートが間に合わなくても来期に挽回できる。バイトはバイトだから、たいていのことの責任は社員にいく。
 だが、社会人になるとそうはいかない。仕事をさぼれば無断欠勤だ。頼まれた仕事をさぼればただの怠慢。そしてバイトをはじめ周りの人間を管理するのが社員の仕事だ。
 うん。大学生時代は気楽だった。唯一の欠点はお金がなかったことぐらいだ。

 でも、不思議なことに友人はさきほどの会話のあとに「でも大学時代に戻りたいとは思わないな」と言っていた。
 わかる気もする。私はもう一度勉強したいからできるものなら大学生に戻りたいのだが、あの《人生の夏休み》が充実していたかと思うと確かに疑問だった。
 ばか高い入学金と授業料。そのわりに1日5、6時間程度の講義を週4日ぐらい受ける日々。講義もレポートもない夏休みと冬休みはそれぞれ2ヶ月間ぐらいもあるのだ。休みに長期旅行にいったり習い事に行けるようなお金をもっていない私は、バイトしたり友人と遊んだりして過ごしていた。
 いまなら、教授たちにもっと質問したり、空き時間に勉強したり、それこそもとをとる勢いで頑張ればよかったと思う。だが、それは卒業して、勉強できる環境も自由な時間もなくなってはじめて気づけたのであって、当時の私たちには知るすべもないことだった。
 なにもかも受け身でいて退屈な《人生の夏休み》にしてしまったのだった。

 ところで、私は大学卒業後にもっと勉強したくて大学院に進学した。
 ここでは教授とメンバーに恵まれた。私は卒業まで毎月小論文を提出し、学部生のゼミにも2年出席させてもらっていた。大学院時代を振り返ると、紅茶を飲みながらひたすら小論文や卒業論文を作成したことと、教授に添削してもらってたことぐらいしか覚えていない。頑張りすぎた私は卒業論文提出した日に39度の熱を出した。
 大学院は私にとって、人生の夏休みでも冬休みでも春休みでもなかった。それどころか、社会人になっていまいち仕事に身がはいらない時期よりも、はるかに充実していた。

 そして今回、コロナの影響で私は3月から3ヶ月ほど、ほとんど休業していた

。会社から休業補償金はもらえるものの、給料は大幅に減った。お金がないが時間はある。大学時代の《人生の夏休み》とそっくりな状況になったとき、今度こそ私は思った。
私にできる自己投資はなにか。
料理したり、家族や友人とあったり、DVDをみたり、本を読んだり、エクササイズをしたりと、やりたいことをやってみた。そして、もう一度文章を書きたいと思った。
 三日坊主の私なのに、文章を書くことは、4月から始めてもう5ヶ月以上続いている。
 人生の夏休みはこれまでもあったし、これからもきっと何回もある。それは怠惰や退屈にもなればチャンスや転機、そして希望になるのだと思い知った。









 

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