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「小倉台地」形成の謎に迫る 火星人のタコ神殿説は全否定か

小倉北区の大手町や城内という地名でくくられるエリアは、地名からも分かるようにかつては小倉藩の中枢で、近代には陸軍の造兵廠(兵器工場)が置かれた。現代も北側は北九州市役所や国の出先機関が集中する官庁街として地方行政の中心地であり続けている。エリアの南側は中高層マンションが林立。タコ公園の一つ「勝山公園」も所在地は城内4番で、台地のちょうど中央にある。(「タコ公園、北九州に11カ所! 火星人が残したメッセージか」

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標高10メートル前後の台地

エリアを南北に貫くのは清張通りという愛称が付けられている北九州市道城内木町1号線。平均幅員31メートルの立派な4車線道路で、地図を眺めると道路は標高10メートル前後の台地の中心を走っていることが分かる。

小倉駅周辺の市街地(標高2~4メートル)に比べ、明瞭な高さを持つこの台地(便宜上「小倉台地」と呼ぶ)は東西約700メートル、南北約1.5キロの広さがある。東はかなりの急崖で紫川にまで落ち込んでいる。道路も下の写真に示すような急な坂道を描く。

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20200502_小倉台地の謎_東端崖

西側は濠による地形改変はあるものの、基本的には田町・竪町付近の段丘面まで下り、さらに板櫃川(いたびつがわ)の旧河道へと2段階で落ちている。

板櫃川の「旧河道」は明治時代の地図(次の図)の通りで、現在よりも小倉都心部に迫った位置を流れていた。小倉城から見れば好都合な場所にある天然の外濠で、「板櫃川の水門をしめて敵を水びたしにする策」(西日本シティ銀行,米津・長尾,1992年)というのも考えられていたらしい。

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今でこそ小倉高校の横を穏やかに流れている河川だが、板櫃川はたびたび水害の発生源となっていた。地図が示すように街中に向かって一気に流れていき、城下町の手前でくるりとターンする形状は言うまでもなく悪線形。昭和初期に抜本的な対策として流路を直線化する工事が始まり、下到津から直線的に響灘に注ぐ新河道が1934年(昭和9年)までに完工した。

なぜ「小倉台地」はできたのか

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二つの河川に挟まれていた台地なのだから、地形の成立要因も紫川と板櫃川の下刻(かこく,削る)作用によるものだと考えるのが自然だ。特に西側(板櫃川側)は田町・竪町付近の段面と旧河道段面の2段になっていて、「河岸段丘」であることを強く示唆する。上の図の「濠跡」と「日豊本線の盛り土」を心の目で取り除いたら、階段状になっていることが分かっていただけるだろう。板櫃川が長い年月を掛けて削っていったと言えそうだ。

東側(紫川側)に関しても紫川の下刻作用が強かったと考えられる。しかし、もっと壮大なストーリーがあった可能性もある

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紫川の壮大なストーリー

上の図を見ていると、ある疑問が浮かんでくる。台地の南端は、なぜ泉台方面の山地(山田丘陵)とつながっていないのか。木町にある水準点の標高は7メートルで、台地よりも明らかに低い。まるで間に川でも流れていたかのように、地形が分断されている。台地は島のように孤立しているのだ。

本当に川が流れていた可能性があるのではないか。

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疑問の答えを求めて、インターネットにある資料を当たってみた。

そして先に結論を言うと、川があったかどうかは「分からない」と述べざるを得ない。国土地理院がまとめたボーリング調査の資料(国土地理院,2010)では、清水(きよみず)の調査地点で地下3メートルまで粘土混じりの砂礫層が確認されている。ただ、川の跡と考えるには試料に乏しい。

仮に「八女粘土層」と呼ばれる粘土層が見つかるなら、足立山麓で確認されている八女粘土層(宇津川・中村,1998)を手がかりに地形の変遷をある程度は推定できるが(※)、板櫃川流域ではサンプルがほとんど存在しないのだ。

(※八女粘土層には9万年前に起きた阿蘇山大噴火(Aso-4)の火砕流堆積物を含むため、何が先に起き、何がそれ以降に起きたかを知る手がかりとなる)

したがって、これから先の話は「地形」と「標高」だけで考える妄想である。

古板櫃川が存在したと仮定してみる

下図は妄想の第1フェーズである。「古板櫃川フェーズ」と名付けた。少なくとも10万年よりも昔であろうと推察する。

古板櫃川(仮称)は北流しておらず、現在の到津の森公園付近から国道3号線に沿うように東流(地図上の右方向)していたと妄想を膨らませる。河口がどのあたりであったかも分からないが、現在よりもかなり内陸のほうまで海が迫ってきていたかもしれない。

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(もし海が数万年でも2~3キロほど内陸まで入っていたなら、小倉台地の東端の崖が波によって洗われた(波蝕,はしょく)地形である可能性もある)

他方、紫川は今と同じで北流していた。が、紫川には板櫃川よりも困った特徴があった。

紫川はとにかくたくさんの土砂を運んでくるのだ。次の段階(紫川扇状地フェーズ)では紫川が運んできた土砂によって面積の広い扇状地が形成され、古板櫃川の出口も閉塞したと想像する。このとき、一時的には清水付近に「古板櫃湖」ができたはずだ。

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紫川の元気すぎる堆積作用

紫川の旺盛な土砂運搬と堆積作用については「妄想」ではなく、いくつかの論文で指摘されている。

国土地理院が編集した『土地条件調査解説書』は、「紫川(小倉)三角州・紫川扇状地」という小項目で「紫川沿いの低地は最下流で幅約2km、小倉競馬場付近で800m~1.2km」(国土地理院,2010)の広さがあると解説し、小倉北区片野では岩盤の上に厚さ10メートルの礫(れき)層が堆積しているとする。

半世紀近く前に書かれた別の資料『土地分類基本調査』ではもっとストレートに表現し、この地域は「平地としては小倉市街の発達した紫川三角州以外に広いものがない」(福岡県,1972)とにべもなく、「小倉-香春断層線(紫川断層線)に沿って、幅1km余りの谷底平野性の紫川扇状地を形成して、北方洪積台地の北端をなす三萩野付近から低平な三角州となっている」と述べている。

総合すると小倉競馬場付近から砂礫中心の扇状地が広がり、そのまま下るとやはり砂が堆積した三角州になる。もはや砂だらけである。

なお、ここに出てきた競馬場、三萩野、片野といったワードはモノレールの駅にもなっているので、土地勘がない場合は地図を開けば分かりやすいと思う。もしくはモノレールの路線図(リンク先はPDF)を見るといいだろう。

砂だらけと言えば、安部公房の「砂の女」であるが、以前、興味深いコラムを新聞で読んだことがある。安部公房本人ではなく取材していた記者の話で、ネットでも記事が見つかった→リンク。今こそ円環のある生活が戻ってきてほしい

板櫃川と紫川の永遠の別れ

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「古板櫃湖」なるものが長く存在したわけではなく、しばらくして響灘とつながったはずだ。このときの流路が、小倉台地西側の田町付近の段面(※)だったと考えると、なぜ2段の段丘になっているか合点がいく。(※初出から用語を変更します)

最後の「板櫃川旧河道フェーズ」では、板櫃川本流はさらに西側に移動し、日豊本線が走っている部分の低地に達した。一方の紫川本流は扇状地の発達で自らの流路が移動。波蝕で削られていた小倉台地の東端は、さらに紫川本流の下刻作用で削られ、崖のようになった。

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妄想は以上の通りである。

これらは全くもって想像の域を出ないし、いとも簡単に否定されるだろうから、ぜひ、あなたも妄想の範囲で楽しんでほしい。

ところで、現在の地形でも清水や木町付近には紫川と板櫃川の分水界(分水嶺)がある。山や稜線のない分水界を「谷中分水界」(こくちゅうぶんすいかい)と呼ぶが、これは川と川が水を奪い合う「河川争奪」の痕跡とも言われており、妄想を部分的には支持する。

※一つ前の記事(「徳佐盆地 なぜ真っ平ら? 火星人の着陸基地か」)で触れた山口県の徳佐盆地では、外縁のゆるやかな地形に分水界や河川争奪が存在している。

多少なりとも地理のお勉強に役立つだろうか。うーむ…。とはいえ、身近な地形に興味を持つと、あれもこれも調べてみたくなる。徳佐盆地、小倉台地と2話連続でそんなお話をしてみた。少しでも興味を持っていただけたなら幸いである。

【文献】
1)国土地理院(2010)「土地条件調査解説書:北九州地区」
2)宇津川徹・中村浄志(1998)「北九州の段丘地形とAso-4火砕流堆積物」,ペドロジスト第42巻1号,p.44-56
3)福岡県(2011)「紫川水系河川整備基本方針」
4)福岡県(1971)「土地分類基本調査:5万分の1 小倉」,国土調査
5)経済企画庁総合開発局(1970)「縮尺20万分の1 土地分類図付属資料:福岡県」
6)米津三郎・永尾正剛/別府正之(1992)「(対談)風雪265年 小倉城物語」,西日本シティ銀行,ふるさと歴史シリーズ
7)吉川恵也(1975)「新関門トンネルの海底区間地質調査」,応用地質第16巻2号,p.45-55
・地図に関しては国土地理院のデータを元にしている

【トンデモ】小倉台地は火星人の神殿なのか

ところで、小倉台地は太陽の昇ってくる東に向かって階段状になっていて、登ると勝山公園のタコの出迎えを受ける。まるで神殿のよう。火星人が古代に建立した「タコ神殿」だったという可能性はないのだろうか。

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古代宇宙飛行士説の本をコンプリートするべきかAmazonで悩んでいるという鳥類のシン・ウエッダー博士に聞いてみると、「古代は海が今よりも近かったはずです。そんな時代に火星人が神殿を建立するはずがありません」と一蹴された。

火星人の外皮は弱く、浸透圧の関係で海水に浸かるとすぐに死んでしまいます。そのリスクを背負ってまで、古代にタコ神殿を造った可能性は考えられません」

……。せっかく、図までこしらえたのに、小倉台地は火星人とは関係がないのか…。あれほどウエッダー博士はタコ公園を熱く語っていたのに…。

筆者がしょぼくれていると、ウエッダー博士は「もっと深い意味は紫川のほうにあります」と言って、総発行部数1部の『ゼロから分かる! 冥王星太陽説』という手書き本を手に説明を始めた。

「小倉には火星人が造らせたタコ公園が2カ所あります。一つは勝山公園、もう一つは昭和町公園です。そのちょうど中間地点にあるのがまさに紫川であり、風の橋の風車です。小倉は鉄道の線路が半円形を描いていますが、円の中心も風の橋です」

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風の橋といえば紫川十橋(北九州風景街道という八幡西ロータリークラブのサイトに詳細がある)の一つで、風車状のモニュメントが設置されている。たしかに、今回ばかりは『恣意的』なことをせずとも、二つのタコの中心点が風車なのは間違いなさそう。小倉都心部を取り囲む半円の中心も、確かに風の橋あたりにありそうだ。

良くできた偶然か。博士はぺらっぺらの『ゼロから分かる!』の表紙を指して、「紫川十橋の中で、下流から数えて9番目」という点に注目しているという。

「太陽系で9番目の惑星は冥王星でした。その冥王星を意味する風の橋を、火星人が造らせたタコが取り囲んでいるわけです。つまり、火星人にとって、冥王星こそが宇宙の中心なのです」

ウエッダー博士は、「ですが、風の橋の風車は今は回っていません」として、次のように持論を述べる。

「壊れたために修理しているというのが通説ですが、2006年に冥王星が惑星から除外されたことと無関係だと言えるでしょうか。これは冥王星を軽んずる地球人に向けた、火星人たちの静かな抗議です」

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風の橋は1992年に完成後、モニュメントはしばしば修理されている。2020年の今年も羽がない。とはいえ少なくとも昨年までは存在していたため(2枚上の写真は2019年撮影)、惑星論議が起きた時期から止まっているわけではない。

そもそも風の橋を冥王星と関連付けることに無理がある。紫川十橋には「太陽の橋」「火の橋」などと名付けられた橋があるが、例えば「火の橋」は下流から2番目で、太陽系第4惑星の火星とは関係がない。風の橋が冥王星の権化と考えるのは、博士お得意のトンデモ理論である。

冥王星人の復活を祈った?

ただ、奇妙なことに、風の橋からタコ公園までの半径で円を描くと、「太陽の橋」が円周上に位置しているのに気づく。それだけなら偶然に偶然が重なっただけだが、太陽の橋には小倉では良く知られた宇宙人が生息しているので、偶然とはいえ興味は沸いてくる。そう、太陽の橋には、通称「マカロニ星人」と呼ばれるモニュメント(宇宙七曜星の精)が列をなしているのだ。

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念のため太陽の橋についてウエッダー博士に聞くと、「マカロニ星人と言われていますが、これはマカロニ星の生物ではなく、冥王星人に違いありません」とトンデモ理論を昇華させる。

金星人のレポートによると、冥王星人は宇宙戦争に敗れ、今や地球に数人が住んでいるだけだと言われています。火星人にとって冥王星が重要なプラネットなのは述べてきた通りです。そこで、冥王星の復活を期すために、本来ならタコを増設すべき円周上に冥王星人のモニュメントを造らせたのです」

もはや収拾がつかなくなった。モニュメントは冥王星人ではないし、マカロニ星人でもない。グラフィックデザイナーの故・福田繁雄氏(1932-2009)が制作した作品である。ウエッダー博士の話には付いて行けない。

しかし、タコに、マカロニに、風に、太陽に……。何ともおもしろい場所だ。小倉にダイナミックな地形をこしらえた紫川は、風に泳ぐ自由と空を見上げる夢さえもプレゼントしたのかもしれない。

(散らかりすぎてまとまらなかったし、エッジワース・カイパーベルト天体についても触れられなかった…)




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