見出し画像

点在するバカのしるし

家ではパンツ一枚で元気に活動している私だが、どうも最近三十一歳女性の機嫌が悪い。眉間にしわが寄っている。この女の機嫌を損ねることが衣食住にもろに影響を与える現在の状況において、これは由々しき事態だと言える。

パンツ一枚のまま平身低頭で話しかけると、女は無言で部屋のすみを指差した。ズボンが床に落ちている。うん、ズボンだね、僕のズボンだ。それがどうしたのかと尋ねる間もなく女は別の方向を指差した。別のズボンが落ちていた。うん、それもズボンだね、僕のズボンだ。さらに女は縁側のあたりを指差した。私のTシャツが落ちていた。うん、これはズボンじゃないね。

ここまで女は無言である。ズボンか否かはどうでもいいようだ。

「なんかいろいろ落ちてるね」と言うと、他人ごとのような発言にカチンときたのか、女は、「洗濯カゴあるでしょー、ちゃんと入れてぇーー」と言った。ようやく口を開いたかと思えば、怪鳥のようなヒステリック・ボイス。頭のなかで、晩ごはんのオカズが一品消えた。

なぜ、こんなことになってしまうのか分析する。

私は家ではパンツ一枚で過ごすが、さすがにそのまま外には出られない。そんなことをすれば警察が動く。だからコンビニで菓子でも買おうと思ったら、さっと服を着て外にでる。そして帰ってくればすぐに脱ぐ。居間であったり、縁側であったり、とにかく帰ってくるなり家のあちこちでスルスル脱いで、自分の部屋に戻った頃にはパンツ一枚に戻っている。誰も望まないストリップ・ショーを繰り広げるわけである。

結果、むなしく脱ぎ捨てられた衣服が居間や縁側にお目見えするわけだが、その頃には買ってきたチョコフレークに夢中だから服のことは気にもとめない。

なるほど。分析結果を一言でまとめるとこうだ。

「馬鹿か」

この、自分の部屋以外はすべて脱衣所としてとらえる意識、これは同居人の気持ちをまったく考えておらず、女が怪鳥のような声になるのも無理はない。さらにいえば、すぐにパンツ一枚になる態度はどうなのだ。すきあらば脱衣、スルスルと脱皮、まがりなりにも哺乳類として生を受けたのに、やってることはザリガニと大差ない。

最近は暑さも落ちついたから、服を着て過ごすことも増えてきた。家のあちこちに私の抜け殻がおちることも減っている。なんとか来年の夏までにこの悪癖を克服して、ザリガニめいた日常に別れを告げたいが、たぶん気温が30度を超えたら、ふたたびヒトとしての尊厳を捨ててパンツ一枚になる。そして晩ごはんのオカズが消える。

続きをみるには

残り 0字
初出:2010年〜2012年

杉松の家に住みはじめた頃の文章をまとめたもの

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

めしを食うか本を買います