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説明不能の笑いのつぼについて

同居人が問診票に色々と記入していた。会社で健康診断があるという。私は物珍しさで見ていた。すると「よく食べるもの」の欄に、同居人は「アメやチョコなど」と書いていた。それで私は笑いがとまらなくなった。自分でも何がつぼに入ったのか分からないんだが、ヒイヒイ笑った。「だって、正直に書かなきゃダメでしょ!」とキレられましたが。

これには逆のパターンもあって、以前、私がビニールぶくろにパンを三ついれて居間を歩いていたときは、同居人のほうが爆笑していた。「パン買ってる、パン買ってるっ!」と言っていた。自分が笑われる側になると分かるが、なんなんだと思いますね。

ただ、私も少しだけニュアンスを理解できてしまうところがあって、「人がビニールぶくろにパンをいれているだけで面白い」という感覚はあるのだ。非常にせまいものだが、私と同居人は共有している。「あまりにも当り前な当り前」が、その当り前さゆえに面白くなるとでも言えばいいだろうか。

高校の頃、みんなが教室で弁当を食べているのを見て、全員の口元がモグモグしていることがつぼに入って仕方ないことがあった。それぞれに複雑な内面があり、ややこしい人間関係もあり、元気な奴や暗い奴、スポーツのできる奴できない奴、家庭の経済状況もさまざまで、なのに全員、口がモグモグしている。モグモグのもとに全員が集まっている。なんなんだこれは、と思っていた。

どしゃぶりの雨が降っているとき、窓の外を眺めながら「ウソつけよ」と思うこともある。雨というのは一定の量をこえると冗談にしか見えなくなるもので、ズババババッみたいな音をさせながら大量の水が落ちているさまを見ていると、むかし理科の時間にならった雨雲の仕組みなんかも全部ほっぽりだして、ただただ「ウソはやめろ」と思う。「冗談がすぎるぞ」と思う。そして、このときも笑いがある。

タイトルに「説明不能」と書いておいてなんだが、無理やりに説明を付けるならば、これは世界の未知性があからさまになる直前の心理的防衛反応だと言える。食事や降雨といった日常的な現象に対して一時的に異星人のような気分になってしまい、その不安をしずめるために笑うのである。

もっとも、冒頭に書いた「アメやチョコなど」だけは、ちょっとちがう気がする。これはたぶん、「アメやチョコなど」という響きが絶妙にバカっぽかっただけ。アメやチョコをよく食べていると医者に報告する女に笑っただけ。そりゃ同居人にキレられますね。

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初出:2016年〜2018年

真顔日記の通常回をまとめたもの

めしを食うか本を買います