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野生の勘よりグーグルマップ

初出:『真顔日記』2018年

最近はまったく道に迷わなくなった。日常的にネットを使う環境にあるからだろう。スマホを出せばその場で道を調べられるから迷いようがない。これは地味にすばらしいことかもしれない。というのも、私はいわゆる方向音痴というやつで、以前はひんぱんに道に迷っていたからである。

十代の頃、はじめて遊びに行った友人の家から帰るとき、「10分ほど歩けば駅につくよ」と教えられて出発し、ひたすら歩き続けて1時間、深い森にいたことがあった。あれが人生で一番ひどい迷いかただった。何をどう間違えれば、駅のかわりに森につくのか(しかも深い)。

そのときはなんとか森を抜け、電車じゃなくタクシーでうちに帰った(最終の電車がなくなるほど夜が更けていた)。あとから聞いたところ、私は一度目の岐路で間違え、そのまま間違った方向に歩き続けたようだった。その結果の深い森である。

道に迷うというのは、岐路で間違えるということだ。一本道で迷うことはない。そして岐路で間違えた時、正論を言わせてもらうならば、途中で気づいて間違えたところまで戻ればよい。少なくとも、自分が深い森にいると気づくまでに、このままじゃ絶対に駅には着かないと分かるはずなんだから、その時点でくるりと方向転換し、来た道を戻ればよかった。

しかし、方向音痴の人間を支えるのは妙な自信である。あのころ、私は岐路のすべてを直感で処理していた。自分では、それを野生の勘と呼んでいた。右に行くか左に行くかは野生の勘で即座に決め、自信まんまんで進みはじめる。そして、ひんぱんに迷っていた。

すこし考えれば分かるが、小学生のころからファミコンのコントローラーを握っていた男に、野生の勘などあるはずがないのだ。人生で一度も野生だったことがないくせに、野生の勘がそなわっていると思っているんだから、のんきなものだ。そのまま深い森で十年ほど過ごしていれば、野生の勘も備わったんじゃないのか。

むかしの自分に皮肉を言っていても仕方ないが、そんな私ですら最近は道に迷わない。すこしでも迷いそうになるとスマホでグーグルマップを見るからだ。現在地まで表示してくれる。これならば迷うことがない。

野生の勘よりグーグルマップ。ファミコンで成長した男にお似合いの結論ですね。

めしを食うか本を買います