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望郷、またの名を。

子どもの頃から、自分の住む町にこれといって愛着がなかった。むしろ成長するにつれて、早くここではないどこかへ行きたいとすら思っていた。祖母や母は何かにつけて『都会の怖さ』を私に説いてみせた。治安的な問題や物欲に染まる事への罪深さなど、おとぎ話のように曖昧で極めて前時代的な警告だったけれど、幼い時分に限っていえばある程度の抑止力にはなっていた。

大人になった今では、それは自分達の享楽的な性格を私に受け継がせたくないが為にしたことだったんだろうと推測できる。言ってはなんだが、彼女達はお世辞にも真面目な青年期を送ってきたとは言い難かったから。

私の育った町。外界へと繋がるインターチェンジに直結した国道沿いには、中途半端な利便性を持つ地方都市(=ドのつくほどでもない田舎)テンプレよろしく、ゲレンデの女王のCMソングでお馴染みのスキー用品店やらチェーンのファミレス、中規模家電量販店、レンタルビデオ店、現在では各地で靴流通センターへと様変わりしたであろうおもちゃショップなどが鎮座していた。

『ここで暮らし続けるのも悪くはないでしょう?』
『よそへ行かなくたって、この町で十分でしょう?』

そう言いたげに人々へ快適な暮らしを提供するための店たちが軒を連ねる町の大動脈は、年を経る毎に多少活気を失いつつも辛うじて機能している有り様だ。言わずもがな末梢へ伸びる血管ーーーー個人商店の類などはいまや壊死寸前だろう。

そんな故郷を思い出す時、私の瞼の裏に浮かぶ風景はいつも曇天の空に似たねずみ色のベールに覆われていた。もちろんイギリスのように年中曇り空しか拝めない土地という訳じゃない。
なのに何故か、抜けるような晴天の空の下に有る故郷が私には想像できなかった。母達の”ありがたい戒め”がまとわりつく息苦しさと、非力な癖に成長を先走る自我とのアンバランスさに苛立ちを感じながら過ごしていた頃の記憶がそんなイメージを形作っているのだろうか。未だに理由はわからない。

やがて結婚し世帯を持ち、生まれ育った町を離れる時が来た日も名残惜しさは全くと言っていいほど感じなかった。転居の手続きなどを終えた役所からの帰り道、車窓から川沿いに延びる桜並木を見て「ここからやっと、私の新しい人生が始まるんだ」とありがちな安いキャッチコピーのような文章が浮かび、胸が熱くなったくらいだった。

電車でせいぜい小一時間くらいのその場所が”遠き”にあたるとは思えないけれど、時々気まぐれに、かつ適度に想いを馳せる程度でいいと思っていた。そこに何か感傷がついて回るなどという経験も無かったし、みんなそんなものだろうと疑問に思わなかった。
時々顔を見せに夫婦で帰った時も、生まれたばかりの娘を連れて里帰りをした時ですら、今住んでいるわが家に戻った時の方が「ああ、帰ってきたな」としっくり来た。

世界が「新しい日常」を余儀なくされて数ヶ月経ったある朝、洗濯物を干そうと開け放した掃き出し窓からどこか覚えのある匂いをまとった空気が部屋へと流れこみ、私の鼻をくすぐった。燃えた枯葉と湿っぽい土とが入り混じったような、独特の香り。
1日の大半マスクをつける生活の中で、『○○の匂い』と言い表すのが難しい、自然界に溢れる『複雑な匂い』を嗅ぐのは久しぶりな気がした。

「ばぁばのうちみたいなにおいがするね」

側にいた娘の一言をきっかけに私の脳裏に映し出されたのは、いつものねずみ色の故郷ではなかった。

駆け足で沈んでいく様が人の命の黄昏を思わせて切なくなるから、少し苦手だった冬の夕焼け。
その濃くまばゆい橙色の斜陽が、田畑の中にぽつんと建った中学校から延びる長い一本道の通学路を歩く私を照らす。

『この冬が終われば、きっと私の世界は広がるはずだ。こうして冬を越す度に、私はこの町から少しずつ離れることができるんだ。』

まるで根拠のない期待に胸を膨らませる私を諫めるように強く北風が吹きつけた。周りに何も遮るものがないせいで余計に身体を冷たくひりつかせる風は、家路を急ぐ私の足取りを早めるとともに幼稚な決意をじわりじわりと鈍らせる。
ようやく到着したわが家の玄関、夕餉の匂いに混じって母が換気扇のそばでくゆらせているであろう紫煙の香りが鼻につく。

無防備な私へ一気に流れ込んできた「匂い」は、あの頃の私にとっての「おかえり」とよく似ていた。
それに甘えてはいつまでも抜け出せないと半ば意固地になって振り払ってきたはずなのに。
家を出てから湧き出たことのなかった感情が、胸の内にどっと溢れ出す。

私は無性に、「ただいま」を言いたくなっていた。




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