ブラフ

強いポーカープレイヤーになるために必要なもの。
「スリーカード」
直感と運。
「レイズします」
アグレッシブさ。
「ストレート」
そして自分の手札を信じること。

「勝者はハルヨシ・キヨハシ!」
正面に座っていた白人男性が悔しそうな表情を浮かべながら、両腕を投げ出すような形で左右に広げた。
ヘッズアップ(1対1で勝負するポーカーのこと)の世界大会はラスベガスで行われている。十四歳という若さで優勝した僕の快進撃は、日本でも割と大々的に報道されていた。ネットにアップロードされた動画のタイトルやニュースの見出しには「中学二年生のポーカープレイヤー幾世橋春好、全国の強者を圧倒。父の死を乗り越え……」などと書かれている。毎度毎度、取ってつけたように書かれている最後の一文は絶対に不必要だと思う。僕がポーカーで自分より一回りも上の相手に勝つことと、父さんが二年前に死んだことは何の因果もないのだから。

控え室に戻ると、母さんが待っていた。
「おめでとう春好。きっとお父さんも喜んでるわ」
そんなわけあるか、という言葉は口に出さなかった。だって父さんは、僕がポーカープレイヤーになることに反対していたんだから。
ポーカーと聞いて何を連想するか。と尋ねられれば、おそらく誰しもが三つ以内に答えるあの単語、ポーカーフェイス。僕の父さんは、まさにポーカーフェイスを具現化したような人間だった。僕が何をしても眉一つ動かさず、無表情のまま僕を褒め、時には叱った。僕にはそれがたまらなく嫌だった。病気で倒れた後も、父さんは結局、苦しそうな表情の一度も見せずに死んだ。最期まで僕は、父さんの笑った顔を見ることはなかった。
しかし父さんが死んだことで僕の夢が叶い、叶った夢のために今度は僕がポーカーフェイスを強いられているなんて、なかなか皮肉だと思う。
「母さん。父さんはさ、母さんの前でもずっと無表情だったの?」
父さんが死んでから初めて、父さんの事を母さんに尋ねた。すると母さんは驚いたように言った。
「あんた覚えてないの? 無理もないか、まだ幼稚園の時だったから……お父さん、昔はよく笑う人だったのよ。あんた、幼稚園の頃からお父さんとトランプしてたじゃない。お父さんも手加減してさ、初めてあんたがお父さんに勝った時、あんた言ったでしょ『お父さん弱い』って。あの時からお父さんは表情を出さないようになったのよ」
そうか。父さんから表情を奪ったのは他でもない僕だった。控え室から出て行く僕に、母さんが言う。
「次も頑張って、春好」

今大会の目玉である勝負の始まりを察して、既に会場は大いに沸いている。
大会の優勝者、つまり僕が最後に戦うのは、ヘッズアップ専用人工知能「オアシス」
過去の世界大会で四連覇を果たした凄腕のポーカープレイヤーの思考を完全にコピーした優れものだ。人口知能の元となったポーカープレイヤーは、十数年前に子育てに専念したいという理由で一線から退いた。そして二年前に病死した、幾世橋憩、つまり僕の父さんだ。種族の壁を超えた親子対決なんて、やっぱり皮肉だ。
きっと父さんは、僕に「弱い」と言われたあの日から、僕を息子ではなく対戦相手として見ていたのだ。きっと今日、この日のためにずっとポーカーフェイスを貫いていたのだ。
「オアシス」と対峙する。この無機質な威圧感まで父さんそっくりだ。
「フラッシュ」
「レイズ」
「フルハウス」
実力も流れも「オアシス」に分がある。僕の持ち点がどんどんなくなっていく。父さんのことを思い出そうとしても、何も出てこない。思考がまとまらない。
「やっぱり強いな、父さん」
思わずそう呟いた時、眼前の「オアシス」に重なるようにして、笑みを浮かべた父さんの幻影が見えた気がした。
「ストレートフラッシュ」
それに答えるような無機質な音声は、僕の持ち点を全て奪っていった。誰に負けた時よりも悔しかったけど、僕は少し父さんのことを理解できた気がした。

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