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未確認

オゴポゴ。モケーレ・ムベンベ。シーサーペント。ジャージーデビル。モスマン。
これらは全て、UMAと通称される未確認生物の名だ。
十四歳で、夏で、田舎者だった。
学校はあったが、通っている者は少なかった。各学年ひとクラスの、全校生徒が百人にも満たない中学だった。街にはカラオケボックスやネットカフェなんか勿論なく、自分の携帯電話を持っている者は皆から羨ましがられた。
娯楽の欠片もないこの小さな町の、三軒しかないコンビニで時折販売される、誰だかよくわからない人間が書いたオカルト本だけが僕の唯一の楽しみだった。これみよがしにおどろおどろしいフォントで「未確認生物図鑑」「UMA大全」などと書かれた怪しげな本たちを、家でも、学校でも、手放さなかった。

僕の中学三年間の使命は、なるべく他の生徒と関わらないように努めることだった。クラス替えもなく、同じ面子が同じ空間で三年間過ごすのだ。もしも誰かといざこざを起こして、クラス全体の雰囲気が悪くなってしまったらと考えると、深い関係を築こうという気にはなれなかった。仲違いをして気まずい雰囲気のまま卒業まで過ごす度胸はなかったし、傷ついた関係を修復する自信もなかった。だから、毒にも薬にもならない存在でいた方がずっと楽だった。しかしそう考えているのはクラスの中で僕ひとりだけらしく、教室はいつも誰かの笑い声で満たされていた。誰しもが打ち解け合い、中には交際している男女もいる。みんなお互いに友情を確認し合っていて「このクラスで三年間楽しくやれる」という自信があるのだ。小さな町の小さな学校、その中のもっと小さな教室で、僕ひとりだけが未確認生物だった。
僕は一刻も早く、こんな狭い世界から飛び出したかった。そう考えながら奇怪なオカルト本のページをめくるたびに、僕の世界が少しずつ広がっていく気がした。

そうやって必要最低限の人間関係を保ちながら過ごしていた僕の毎日を、壊そうとする人間が現れた。
「ねえ津久井くん、いつも何の本読んでるの?」
ある日、帰りのホームルームが終わり生徒の少なくなった教室で、彼女、瀬戸柚月は突然僕に話しかけてきた。僕は何も言わずに、机に寝かせて読んでいた本を立て、彼女に表紙を見せた。
「へえ、こういうのが好きなんだ。あたしも結構好きだよ。面白いよね、なんというか、世界が広がる感じがしてさ」
「……何か用?」
「ううん、別に、津久井くんと話してみようと思っただけ」
こっちは今まで積み上げてきた平穏を壊されようとしているのに、あっけらかんとした返答が返ってきて、少し腹が立った。
「話すことなんかない。一人で本読みたいから、帰れよ」
そう言って再び本に目を落とすと、瀬戸は僕の正面から背後に移動し、本を覗き込んできた。
「何」
「UFOが載ってるページある? 見せて」
「……自分で探せば」
そう言って渡した本を、瀬戸の細い指がパラパラとめくっていき、目的のページで止まる。しばらく無言で本を読んでいた瀬戸が顔を上げた頃、教室には僕ら二人だけになっていた。
「思ったより細かく書いてあって楽しかった。目撃者の体験談とか、どんな形で現れるか、とか」
「瀬戸はUFOが好きなの?」
「んー、まぁね」
「なんで?」
「そんなことよりこの本、加筆しなきゃいけない部分があるよ」
「え?」
「この『日本にも現れるUFO』ってとこ」
そう言って瀬戸が指さしたページには、大きく描かれた日本地図のそこかしこにUFOの出没地点を示すマークや線が書かれていた。一拍間をおいて瀬戸の指は本を離れてふわりと浮き、教室の床を指した。
「この町にも出るからね、UFO。見たことあるんだ、あたし」
「……」
瀬戸の言葉に、無性に腹が立った。だって僕はUMAやUFOの存在を信じていなかったから。
好きでいることと、信じることは必ずしもイコールではない。ネッシーの死骸は腐敗したウバザメだし、スカイフィッシュはカメラに写り込んだ昆虫の残像だし、ビッグフットは着ぐるみによる捏造だ。UMAやUFOはあくまで世界を広げてくれる「気がする」だけのものなのに、それをいとも簡単に、至極当然という風に「実在するもの」として扱う瀬戸の物言いが、腹立たしかった。
瀬戸は再び僕の正面に来て、続ける。
「呼んであげよっか、UFO」
カーテンが風に揺れ、隙間から漏れた夕陽が瀬戸の顔を照らした瞬間、彼女の大きな吊り目が銀色に光ったように見えた。
「……バカじゃねーの。帰るわ」
席を立ち上がって、振り返らずに教室を出た。僕を引き止める声は聴こえなかった。
翌日からの生活は以前と同じ平穏な毎日に戻り、瀬戸と言葉を交わすことは二度とないまま、僕は中学校を卒業した。

十九歳で、夏で、気ぜわしかった。
小さな町を出て入学した高校では生徒寮で生活し、なんとか卒業して更に都会の大学へ進学した僕は、最近頻繁に中学生の時のゆっくりとした時間の流れを思い出していた。繰り返される授業とアルバイトの日々に、心身ともに疲れきっていた。一人暮らしをするにあたってわざわざ実家から持ってきてもらった幾冊ものオカルト本は、結局荷ほどき出来ていないままだ。広い世界を知った今となってはもう必要の無い物なのかもしれない。
深夜十一時、その日のバイトを終えて帰ってきた僕は、コンビニで買った弁当をつつきながら、なんとなくテレビの電源を入れた。数回ほどのザッピングの後、ふとリモコンを操作する手を止めた。
十分ほどの短い告知番組だった。売れなさそうなアイドルグループが、水着姿で「夏といえば」というテーマで話している。その中の一人に見覚えがあったのだ。
「あたしは夏といえばやっぱり怖い話かな。オカルト好きなんだよね。心霊とか、UFOとか」
テレビの中の彼女がそう言った瞬間、中学二年のあの日、瀬戸と話した放課後を鮮明に思い出した。まるで答え合わせのように、画面では彼女がクローズアップされ「瀬戸ゆづき」とテロップが出た。
「あたし、UFO呼べるんだけどさ」
そう話し続ける瀬戸の目に、あの日の輝きはなかった。他のメンバーは呆れにも似たぎこちない笑顔を浮かべており、僕もまた、瀬戸をバカな女であるように映すテレビを、ただ黙って見ているしかなかった。
「えーっと、ゆづきの話はこれくらいにして、ね? やっぱり夏といえばー?」
『モアハッピースイートの初ライブー!』
リーダーらしき女がなんとか流れを作り直し、告知に入ったところで僕はテレビを消した。複雑に混ざり合った感情の中で真っ先に大きくなっていったのは後悔の念だった。
もしもあの時、話しかけてくれた瀬戸の言葉を少しでも肯定し、友情を確認し合えていたら、瀬戸は低俗なアイドルにならずに済んだはずだ。本当は僕もUMAやUFOの話ができる友人が欲しかったのに、自分の持論を面と向かって否定されるのが怖くて、瀬戸を拒んだ。
夕陽に照らされた放課後のあの日、瀬戸は小さな町にUFOを呼んだのだ。腹を立てて校舎を出た僕の遥か頭上で、円盤型の物体がキラキラと滑空するのを、僕は確かに見ていた。
都会のしがらみに囚われたせいか、それとも単に大人になったせいか、瀬戸からあの能力が失われていることはテレビ越しでも容易に察することができた。それに気づいていないのは、他ならぬ瀬戸本人だ。しかし今更あの時のことを伝える術も勇気も、僕にはなかった。
僕はスマホで、瀬戸の所属しているグループについて調べた。さきほどの告知番組についてのスレッドが立っていた。
「UFO呼べるとか言ってた電波女怖すぎ」
「終始グダグダだったな、ありゃ売れねーな」
「次にあいつらの顔見るのはAVか風俗だわ」
そんな書き込みを見ながら、僕は今すぐUFOの大群が地球に攻めてくれば良いのに、と考えていた。

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